Only You 15 2004年7月19日
開店早々、スーツの肩を濡らして来店した客が、預金窓口を素通りし、まっすぐに融資窓口にやってきたかと思うと、几帳面な手つきで、おれの前に名詞を差し出した。名詞には「渡辺庸一」と書いてある。
「坂東君、お久しぶりです」
渡辺庸一なら、クラスが同じだったことはないが、おれの高校時代の同級生だ。しかし当時の面影が全くない、別人だ。
「久しぶりですね。渡辺さんもお元気そうで」と言いながらも、内心焦りまくっていた。渡辺はやせぎすな男だったのに、なんとしたことか横幅は2倍になり、顔はまん丸、まだ30には遠いのに髪まで薄くなり………役所勤めの気苦労をうかがわせる容貌となっていた。しかもこちらが聞きもしないのに、自分の薄い頭を叩いて、こう笑った。
「もともと薄かったんだけど、役所に入ってから毎年薄くなりますね。それでもいいって家内が言うんで、何もしてないんだけど。リアップも多少は効くけど、産毛が生えてくるだけでね。気休めにもならん。坂東くんも髪にはくれぐれも気をつけて、抜け始めると早いですよ」
しばしあって、パンフでかさばる茶封筒を手に、渡辺氏は再度の訪問を約束して帰っていった。時計を見たら1時間も経っていた。
午前中なので、得意先係からの書類はまだ降りていなかった。おれは自分のPCから信用情報機関にアクセスし、さっきの客、渡辺の信用照会を行った。信用上の問題はないが、奥さんのほうのローンがけっこうあるので、そっちを返済してもらう必要がありそうだ。
渡辺ん家は夫婦そろって県庁務めで、手持ちの自己資金は借入希望額の8割。悪くない。
しかし、土地担保がない。信用保証協会に通るかどうか。まあ、このご時世、公務員で共働きの渡辺が通らなくて、誰が通るかとも思うが……。
共働きで子供が一人。これからもう一人、二人できる可能性はある。次の子供ができてからも、奥さんが勤めを続けられるかどうか? そのときにならなければわからない。奥さんが仕事を辞めるとなると、収入は半分だ。
気がつけばマイナスの要因ばかりリストアップしている。因果な商売だ、こっちとしても融資の目標額ってもんがあるので、良さそうな客は逃したくないというのに。
暇をもてあましたか、隣に座る桜間が珍しく無駄口を利いてきた。
「さっきの人、坂東さんと同級生なんですってね」
「らしいな。むこうは覚えてたけどこっちは忘れてて、すごい焦った」
「もう子供もいて、家も建てるんですか。坂東さん、先を越されましたね」
「まあひとそれぞれだから」
「前から思ってたけど、坂東さんって付き合ってる女の子、いないんですか」
「いない」
桜間は少し大げさに驚いて見せた。おれは軽く桜間をにらんで、「おれのことはいいから仕事しろ。暇なら仕事をくれてやるぞ」と答えた。
そのとき預金窓口のテラーが血相を変えてやってきた。手話ができます、と書いた丸いバッジが、胸の上で揺れていた。
「ちょっと坂東さん、お願いできる? あちらのお客様だけど」
窓口のほうを見ると、背の高い、金髪の女性が立っていた。
「手話とか試してみたら通じないかな?」
「バカ言わないで」
「おれだって英語、超だめなんだ。桜間くん、頼むわ」
桜間はさっと立ち上がった。そして預金窓口から顔を出し、流暢な英語で客に話しかけはじめた。
昼、桜間はいつまでも降りてこなかった。業を煮やして、早くしろと催促するつもりで、食堂に入ろうとして、足が止まった。
桜間はとっくに弁当を食い終わり、平良を捕まえて、話しこんでいた。二人ともこちらに気づきもしなかった。
「結局、英語のわからないブラジルの人だったわけですよ。見た目北欧系だったんでだまされた」
「桜間くんは英語ぺらぺらだってみんな言ってるけど?」
「まあそうだけど、今日の場合ぜんぜん意味なかった。話が通じたのは、これのおかげだよ」
そういって、桜間は自慢たらしく、電子辞書を出して見せている。しかも平良に頭まで寄せるようにして。おれの頭は噴火を起こしそうになった。そのとたん、桜間はおれに気づき、なぜかぎょっとした顔になった。きっとこちらの怒りのオーラを感じたのだろう。
「すみませんっ」
「50分過ぎてるよ。後がつかえてるんだ」
桜間がはじかれたみたいに出て行った後、平良は茶を飲み干し、それからみぞおちの辺りを押さえた。
「どうした?」
「なんか胃が痛いんです。変だな」
うつむいた平良の額はかなり青かった。珍しく眉間にしわまで寄せている。
「マジ痛い。一気に食いすぎたかな」
「桜間の毒気に当てられたんじゃないのか」
平良は弱々しく微笑み、すぐにまたみぞおちを押さえた。
「あの、坂東さん……胃薬とか持ってませんよね?」
言ってるうちにも、血の気がどんどん引いていき、今にも倒れそうすら見えた。
「胃薬なら、売るほど持ってるよ。すぐ取ってくるから待ってろ」
更衣室に飛び込み、常備してある粉末の胃薬を掴んで、食堂に戻ってみると、平良の姿はどこにもなかった。
「坂東さん、お茶入ったからどうぞ」
テラーの近藤さんが優しくそういってくれるのに頭を下げてから、「あの、平良見ませんでしたか?」と聞いた。
「出て行ったけど、お手洗いじゃないかしら。少し待ってれば帰ってくるんじゃない?」
その少し待つという余裕がなくて、胃薬を手にしたまま男子手洗いに直行した。単に消化不良ならいいが、みぞおちが痛いというのは気になった。
手洗いのドアを開けたとき、個室トイレの中から水を激しく流す音が聞こえてきて、しばらくして平良が出てきた。平良はおれを素通りして、そのまま黙って顔を洗い、口をすすぎ始めた。
「吐いちまったのか?」
「……楽になりましたよ」
「こういうこと、たびたびあるのか? 医者は?」
平良はおれから胃薬を受け取ると、小さく頭を下げた。
「もう大丈夫ですから」
「具合が悪いんだったら、ちょっとでも横になったらいい。和室開いてるかな」
食堂の横には和室がある。第二会議室、と名前はついているが、女子がときどきお花を習ったり、お茶のお手前をやったりしているくらいしか使われていない。たまに貧血を起こした女子が寝てたりするらしいが、いつもではない。しかし平良は顔を赤らめ、首を振った。
「まずいです。あそこは、いつも女の子が使ってるでしょ」
「別に誰が使ってもいいんだよ。変なことに使うんじゃないんだし、遠慮することはないんだ。おれが先に見てやるから来いよ」
腕を取って連れて行こうとすると、平良は、おれの手を軽く押しやった。
「あんまりその、おれに優しくすると……つまんない噂が立ちますから……気をつけてください」
「何、何のことだ? 変な噂って、おれは聞いたことがないぞ」
「噂があるっていう話を、聞いただけです」
「だから、どんな噂だ」
「おれたち二人が怪しいって噂。坂東さんと平良は、ただの友達にしては仲が良すぎるって」
背中が凍りつくかと思った。来るべきものが来たのだ。次の瞬間、おれは怒りを爆発させてしまった。
「言いたいやつには、言わせておけばいい。仕事は仕事、プライベートはプライベートだ。だいたい誰がそんなこと言ってるんだ」
「坂東さん、声が高いです」
平良はあわててあたりを見回し、ドアを少し開けてみて、洗面所の外に誰もいないことを確認までしてから、小さな声で話を続けた。
「おれも気をつけてたつもりなんだけど、勘のいいやつはいるもんですね。けど、誰がどう中傷してるかなんて、詮索しても仕方がない。大事なのは普通にしてることです……隙を見せないように……どこで誰が見てるかわからないと思って、気をつけないと」
改めて平良の顔を見直した。線の堅い、大人の顔だった。何も知らない、あどけなくて可愛らしい平良は、もうどこにもいない。その厳しい顔の男が、こうもいった。
「とりあえず、おれたちは少し距離を置いたほうがいいと思うんです」
おれは息を呑んだ。
「距離を置く、って?」
「しばらくの間です。様子がわかるまで」
これは、別れ言葉だ。
男が「少し距離を置こう」と言ったとき、もうすべては終わりに向かって走っている。前にもこういうことはあった。それは別の男だったけど、そういう時は追ってはいけないし、追っても引き止めることはできない。
平良と、桜間が親しげに笑いあってるところが、目に浮かんだ。
軽く、そうだな、それがいいかもな、と答えようとしたのだが、平良を目の前にして、口をついて出たのは違う言葉だった。
「できない」
「坂東さん?」
おれは平良を鏡の前に残して、個室の中に飛び込んで鍵をかけた。あまりのかっこ悪さに自分でも愛想がつきそうだ。震える手で、ポケットからハンカチを取り出して顔を覆った。おれはこんなに嫉妬深くて、ちっぽけだ。
「先輩? どうしたんです」
「うるさい」
「坂東さん、誤解したんですね」
「いいから、もう行けよ。薬飲んで寝てろっ」
「坂東さん、聞いてくれ。おれは、自分のことならどんなことでも我慢ができると思ってた。けど、それじゃすまないことだってある」
ごつん、とドアのすぐ外で音がした。
「坂東さんが何か、いやな目にあうのなら……それは絶対我慢できない……」
平良は、一息ついて、さらに続けた。
「どんなことがあっても坂東さんを守ります。だからおれを信じてください」
それでも黙っていると、平良は静かに言った。
「おれ、先に行きます。しっかり気持ちが落ち着いてから、出てきてくださいね」
そういって、平良の靴音が遠ざかっていった。
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