Only You 16   2004/10/03

 
 午後2時過ぎだった。新規のローン申し込みの客が帰ってすぐ、おれの内線電話が鳴った。
 支店長だった。
「ちょっと支店長室に来てくれないか」
 支店長室は貸付担当の机のすぐ後ろにある、細長い部屋だ。
 ここに一般の行員が呼ばれるのは、ひとに聞かれたくない話、また人事面談をするときくらいだろう。
 多少緊張してドアを開けると、支店長はソファに座って待っていた。
「まあ座って」
 こちらが座るや否や、支店長はこう言った。
「さっそくだけど、来月から本店の資金証券部に行ってくれるか?」
 来月と言うが、その日は月末の前日だった。あと1日しかない。
「喜ばないのか? お前、希望出してただろう?」
 いえ、もちろん光栄です。ありがとうございます、と答え、せいいっぱいの笑顔を浮かべた。すると支店長は満足げにうなずいた。
「先方も君に期待している。ところで、このことは明日の朝発表するから、今日は誰にも言わないように」

 
 支店長の前を辞して、自分の席についた。頭の中がぐるぐる回るようで、フロアに静かに流れているはずのBGMも、店内の喧騒も何も聞こえなかった。しかしいつまでも呆然としているわけにはいかない。
 とりあえず、目の前の仕事を片付けなければならない。さっき受け付けたばかりの、車のローン申し込みの書類を手に取り、思い直して、得意先係から降りてきていた書類の処理を優先させることにした。
 その書類の一番上に、平良の担当しているものがあった。古いラブホテルの、改装の案件だった。そこへは以前、二人で下見に行ったことがあった。
 そこに目をつけたのは、平良だ。おれはただ、言われるままにそこに車を乗り付けただけだった。
 夏の終わりで、窓の外からかすかに虫の声がしていた。
 平良は部屋に入るなり、メジャーを持ち出して部屋の大きさを測り始めた。見回すと、どう見ても30年は経っていそうな内装だった。すすけた赤いカーテンと、赤紫のベッドカバー、恐ろしく古そうなアダルトビデオのカセット。うらぶれた印象は隠せない。
「場所は悪くないんだ。外装を塗り替えて内装を清潔な感じにしたら……若い客を呼べるはずなんです」
 うす赤い明かりの下、平良が真剣な顔をしてメモをとっている。それは、非常にそそる眺めだった。
 平良の気が済むまで、お預けを食った犬みたいにおとなしく待ち、それから何もせずに部屋を出た。入り口に、最悪の場合は部屋の中にでも、隠しカメラがないとも限らない。これから平良がそのホテルに営業に飛び込むのなら、軽はずみな振る舞いはしないほうがいい。
「ありがとうございました。すみません、変なことを頼んで」
「ああ、気にしないでいいよ」
 生返事をしながら、おれは堤防沿いに車を走らせた。平良が何か言い出す前に、手近なホテルに車を乗り入れたのが、まるで昨日のことのようだ。


「話、短かったですね……何の話だったんですか。人事面談?」
 桜間の声に、われに返った。かなり近いところに桜間の顔があった。
「いや、ちょっと世間話」
 桜間はそれには答えず、銀縁の眼鏡を指で直しながら、平良の案件書類に目を落とした。
「その案件、平良さんのですか」
「そう。あいつもがんばってるな」
 すると桜間は、薄い唇に薄い笑いを浮かべた。
「原付で走るのが似合いすぎですよね、平良さんは」
 そつのない男には珍しく、人を見下したような言い方だった。おれは少しマジになった。
「おい、男はカブで走り回って、金を集めて金を貸して何ぼだろ。おれたちもそのうち外に出るんだ」
「坂東さんがカブで外回りですか?」
「言われたら明日からでもおれはやるよ」
 桜間はふいにおれの二の腕を握ってきた。
「腕、細いんですね。坂東さんにそういう仕事は無理ですよ」
 桜間はいつまでも腕を握ったままで、放そうとしなかった。
 おれはボールペンでやつの手の甲を叩いた。
「それ、女子にやるんじゃねえぞ。セクハラ教育受けただろ」
 桜間は目を細めて笑ったが、妙に目が真剣で、白い顔に血が上っていた。そつのない後輩だったが、今日のこれは「殿、ご乱心」というべきものだった。
 席に戻ってからも時おり、桜間の視線を感じた。疑いは、しばらくして確信に変わった。何で今まで気づかなかったんだろうと思うくらいだった。
 おれの勘が自意識過剰のせいではなく、桜間が本当におれと同じ種類の人間であったとして、そして何かの原因で、突然自分を抑えられなくなり、身近にいるおれに、慰めを求めているとして……。なぜおれがそうだとわかるんだ? そんなに「それっぽい」のか、おれは。
 よそう。考えるのも不毛だ。おれにはどうしてやることもできない。
 よくぞ都合よく異動があったもんだ。この厄介な後輩、絶体絶命な状況から逃げられるじゃないか。
 東京でなら状況は違うのだろうが、この田舎でそういう人間が生きていくのは楽ではない。空っぽの体と気持ちを持て余して、息をするのだってやっとだ。数年前のおれもそうだった。
 おれは、仕上げた平良の書類をよく見直してから、ホチキスを止めなおし、丁寧に判を押した。驚くくらい、静かな気持ちだった。
 潮時というのがあるのなら、これがそうなんだろう。
 しばらくの間、平良のおかげでおれは楽に息をしてこられた。
 もしも、おれのせいでやつが生きにくいのなら、この際、静かに立ち去ってやるべきなんだ。
 その日、平良に電話をかけたが、携帯電話の電源は切られていた。
 

 翌朝、大会議室に支店の人間が集められ、異動で出て行く人間、今回は4人が壇上に並んだ。おれもその一人だ。支店長が短い挨拶をしたが、聞いちゃいなかった。
 平良をちらっと見たが、いつにもまして顔色が悪く、うつむいたままだった。一度だけおれのほうを見たが、真剣なというより、何か怒ったような目をしていた。
 最後の一日、しかも月末を、おれは粛々と仕事をした。
 幸い、一発で集計はあった。


 できればひっそりと荷物をまとめ、静かに出て行きたかったのだが、そういうわけにもいかなかった。
 4人も異動で出て行くことになったので、壮行会をやってくれることになったのだ。女性陣は先に会場へ行き、男どもは、7時も過ぎてから徒歩で「ありの道」へ向かった。平良はもう宴会場に向かったのか、姿が見えなかった。
「急なのによく予約入りましたね」
「支店長が前から予約入れてたみたいですよ」

 支店長が最初の挨拶をし、異動する4人が挨拶をする。ベテランの女性の行員でも、涙で言葉にならなかった。ヒラのおれは最後に、簡単に今までのお礼を言ったのだが、そこまでは全く冷静だった。
 挨拶が終わったとき、平良が宴会場に飛び込んできた。
 一人で4つも、大きな花束を抱えてだ。
「遅いよ、平良クン」 
 ベテランテラーの近藤さんが、頭から声を出した。
「なんか手違いで、予約通ってなかったみたいで。大急ぎで作らせました。すっげえ焦った〜」
「それならそれで、どっかに隠しておきなさいって。花束は最後のほうって決まってるじゃない」
「まあまあ。いいじゃないか、めでたい門出の席なんだから」
 支店長は辟易したように割って入った。
「せっかく花が登場したんだから、今渡したらどうだ? 平良よ。いや、女の子が渡すのか?」
 女の子、というのに、女性陣が柳眉を逆立てた。この支店には、30歳以下の女性は存在しない。しかもみんな意識が高く、気が強い。こういうのもセクハラというのだ、本人はぜんぜん気づいていなくても……。
 そのとき、一番年上の女子行員が手を上げた。今年初孫ができたという、ベテランの行員だ。
「は〜い、私です。女の子です」
 どっと一同が笑い、一瞬にして緊張がほぐれた。
 渡すべき人間が進み出て、花束を受け取る。平良は、最後に残った花束を持って、おれの前にやってきた。
 そして、「本当にお世話になりました、先輩」と言いながら、おれの顔の前に花束を突き出した。全く最後まで無骨なやつだ。白い歯を見せて笑っている。いっそう日に焼けているのでよけい目立つのだ。
 おれは、震える手で、大きなリボンのついた花束を受け取った。何か言わなければならない。
「世話なんか何も。平良は、おれなんか以上に一人前だ」
 ぐっとせまるものがあったし、鼻が痛くなった。
「ありがとう! 平良。元気でな」
 平良の顔は白くなり、見る見るゆがんでいった。泣き出すのではないかと、こちらがあわてたくらいだ。
 しかし平良は気丈に笑みを浮かべ……というより、泣き笑いみたいな変な顔で、「先輩も、どうかお元気で」と答えたのだった。


Only You 17

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