Only You 22 2006/06/22
平良は、とてつもない足音を立てて、階段を駆け上がってきた。火事場の消防士みたいな足音だった。
「坂東さん!」
穴の開いたジーンズに、仕事に行く革靴というちぐはぐな姿だった。その姿で靴のまま畳の上を走ってくる。ひきつった顔。異様に赤くなった頬。おれは立ちすくんだまま動けなかった。
「悪い。携帯間違えた。お前のだよ」
間抜けな声でそういって、平良の携帯を差し出した。やつはそんなものに目もくれず、大またに歩いてくる。手に持った服を放り出し、おれに向かって両手が伸ばしてくる。
おれは歯を食いしばった。おれが平良なら絶対殴る。この野郎、何様のつもりだってな。
だが平良は、不器用な手つきでおれの頭を引き寄せ、顔を自分の胸に押し付けた。
どうやって桜間の家を出たのか、よく覚えていない。おれはバイクの後ろで揺られて、しがみついているだけだった。結局何もできず、それどころか、平良のお荷物になっただけだった。
やがて、平良はバイクを止めた。
無人の自販機コーナーだった。平良は自販機にコインを入れて、お茶を買った。
平良はそれを、おれの頬に押し当ててきた。それは、本当に凍るほど冷たかった。
「冷たいよ。平良」
平良は手を引っ込めなかった。
「まだ半時間も走るんだから、少し冷やさないと、明日はもっとひどいですよ。本当にこんなに一方的に殴るなんて」
おれは握りこぶしを平良の前に突き出した。
「おれだって一発は殴ってやったんだから」
「すごいな」
平良はかすかに微笑んだ。
「でも、手がかわいそうだ」
言われて初めて気づいたのだが、右の握りこぶしでやつを殴ったところが、真っ青になっていた。平良は両手でおれの右手を包んだ。
そして相変わらず優しい声で、いきなり核心を突いてきた。
「桜間は、何か変なことを言ったでしょ」
気温がさっと5度くらい下がったような感じがした。
「ああ。言ったとも。あいつのいうことすべてが変だ。いかにもストーカーって感じだった。おれのこと爬虫類とか貧相とか、言いたい放題だったのに、ヤル気満々だったよ。どうなってるんだ、あいつ」
おれは、必死でとぼけて見せた。
「坂東さん。昔のことを言ったでしょう。あいつ」
「うん。お前が桜間に気があるみたいな? 思い込み激しいのな。ストーカーだから仕方ないけどな!」
逃げられない、だめだ。今日に限って、上手な嘘がつけない。平良の顔も見られない。どうやったら平良を傷つけないで済むのかわからない。
「のどが渇いた」
頬を冷やしていた缶を開ようとしたが、手が滑って、うまく開けられない。平良はそれを取り、爪でプルタブを上げてくれた。それを受け取り、本当は欲しくもない冷たい緑茶を、無理にのどに流し込んだ。
平良は自分のジャンパーを脱ぎ、おれに掛けてくれた。
「すこしの間、怖がらないで聞いてください。すぐ終わります」
ジャンパーは温かかった。だけど平良はセーター一枚で、ぼそぼそと話しはじめた。
「何年も前、おれは大学行ってて……たまたま入ったゲーセンであいつに会いました。目が切れ長で、色白で、あなたとちょっとタイプが似てました。ごめんなさい……変なこと言って。気になって見てたら、話しかけてきてくれた。県外の人? へえ、大学生。これからどっか行こ、って。あいつは今みたいに変じゃなくて、優しそうでした。おれは、坂東さん、期待して、ついていったんです」
聞きたくない。だが決壊したダムみたいなもんで、もう平良は止まらなかった。
「そしたらあいつは一人じゃなくって」
平良の息は上がり、言葉が途切れた。顔色がまた悪くなった。
「もう、いいよ。平良。わかったから、もういい」
「殴られて、蹴飛ばされて、それから」
「もう言うな、平良。お前は悪くない!」
背伸びをして、セーターの背中に両手を回した。
国道を大きなバスが連なって走っていった。風が起こり、平良の髪を吹き乱した。
「おれは悪くないって思ってたけど、やっぱりおれにも隙があったんです。今でも隙があるから、こうして付け込まれたんだ。どうして桜間はほっといてくれないんだろう、って思いますよ」
もっと悪い奴でも、涼しい顔をして生きている。18や19のガキがたった一度、冒険心を起こしただけじゃないか。それが、これほどの罰に値するのなら、おれなんか30回くらい死んでなきゃならない。
「お前のことが怖いんだよ。いつお前にバラされるかと思って、気が気じゃないんだ。卑怯者さ」
おれはもっと口を極めて桜間を罵りたかったが、適当な日本語が見つからなかった。
「あいつの弱みを探そう。何かあるはずだ、何か」
だが平良は静かに首を振った。
「来週、警察へ行きます。この携帯が証拠です。おれはもう、何を聞かれても平気です」
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