野ばら 15             2003/4/13     

 宿舎に逃げ帰り、しばらく台所に座り込んでいた。
 さっき起こったことは、ぼくの頭の中をショートさせるのに十分だった。 
 そうだ、何にもなかったことにしよう! あの発情男は、「好きだ」なんていわなかったし、ぼくのことを「ホモである」などと断定もしなかった。

「何をしに帰ってきたんだっけ」
 そうだ、お食事だ! ぼくは腹が減っていたはずだ。 だってお昼も1時過ぎてるもんな。
 とりあえずパンを薄く切り、ローズマリやタイムの小枝を漬けたオリーブ油を、少しだけ小皿に移した。
 しかし油がついた親指を舐めたとたん、クージの唇の感触を思い出した。
 とてもやばい。 ぼくは、洗脳されかけている。

 その日、もうぼくは国境地点には戻らず、かといって宿舎でじっとしているのもいたたまれず、ざわつく心をかかえて、町へと逃げ出していた。



  町も、やはり祭りの準備にざわついていた。
 通りは花で埋め尽くされ、郵便ポストにまで花が飾られている。 町の広場には、小さなひな壇が出来上がっており、そこの上では数人の男女がにぎやかな音楽をやっていた。
「これにあわせて踊るんです」
 木屑を掃除していた村人が、ぼくに説明してくれた。
「楽団雇うなんて、豪勢だな」
「みんな村のものですよ。 フィドルは小学校の先生、アコーディオンは牛飼で、タンバリンはパン屋で…相変わらずみんな下手ですが」
 しばらくそこにいるだけで、新しい木材の香りと、花の香りに酔いそうだった。
 ぼくは広場を後にして、レジーナの顔を見たいがために、バーニーの家へと向かった。
 
 白いドアの呼び鈴を鳴らすと、すぐにバーニーの母が出てきてくれた。 かいがいしくエプロンをして、青いスカーフからひと房、金色の前髪がこぼれていた。
「いいところに来てくれたわ。 これからソーセージ作るとこ。 手伝ってくださいな。」
 なんと癒される笑顔だろう…。 来てよかった。
 台所のテーブルには、でかいボウルがでんと置いてあって、中にはピンク色の挽肉があった。 見ると、いろんなハーブが混じっているのか、ところどころ緑色が見える。
「昨日タネを作って、一晩寝かせたのよ。」
 口金を真っ白な腸にあてがい、言われるままにゆっくりと袋を圧迫した。 腸の中ににょろにょろと挽肉が入っていくのを、レジーナは手早くひねっている。
 あっというまに、つながったままのピンク色のソーセージが出来上がった。 それを気長に茹でてから、レモンを絞ってくれた。
「さ、味見してみましょ。 村伝統の、特大ソーセージよ。」
 湯気を立てているソーセージはかなり太くて長く、それが皿に盛られているのは、かなりきわどい風景だった。
 にこやかにすすめる彼女は、ぼくのことをどう思っているんだろう。 なんだか、男として認識していないような気がする。
 それより、こういう特大のソーセージを前にすると、クージのそれを含んだときの衝撃が甦ってくる。 記憶は消せない、一度やってしまったことは、取り消せないのだ。
 ソーセージを歯に当てると、ぱりっと勢いよく割れ、肉と脂と香辛料の香りが舌に広がって、ぼくの妙な連想を吹き飛ばしてくれた。 うまい!
 バーニーが帰ってきたら、これと付けあわせの野菜で夕食にしようと話していたとき、電話が鳴った。
「え? バーニー? うちの子は、仕事からまだ帰っていませんが。」
 それから、レジーナは受話器を握ったまま沈黙してしまった。 その受話器を置いたまま、レジーナは飾り棚に手をついて、じっとしていた。30秒ほどだったが、何か異常なことが起こったのはあきらかだった。
「レジーナ? 大丈夫?」
 すると、夫人はわれに返ったようにぼくを見つめた。
「バーニーが。 人質にとられているの。 行かなければ!」
 それだけ言うと、エプロン姿のまま駆け出していった。
 ぼくも靴を履いて、彼女のあとを追った。

 10分ほど走っただろうか、農家の前で、野次馬が集まっているのが見えた。 庭を取り囲むようにして中をうかがっている。中から何かが割れる音がしていた。
「あの中です!」
 村の巡査が、レジーナに叫んだ。 彼女が庭に入っていこうとするのを、巡査は抱きとめて制止した。
「犯人を刺激する、ここでいてください!」
 倒れそうな彼女を支えて、ぼくが巡査に聞いた。
「いったい何があったんですか」
「村祭りを狙ってきた泥棒でしょう。 窓を割って押し入り、めぼしい物を物色していたところにバーニーが配達に来て、運悪く捕まったということらしいですが」
「バーニーは無事なんですか?」
「生きてはいるようですが、けっこう乱暴な犯人のようで」
 そして、法外な額の金を要求しているのだと言った。 もう一人の巡査が村長宅に走り、もうすぐ村長も来るところだという。
 また中で何かが壊れる音がして、誰かが叫ぶ声が聞こえた。 バーニーの声かどうかはわからないが、それを聞いてレジーナは座り込んでしまった。
「レジーナ。しっかりしてください。」
 ぼくは失神しそうな夫人の前に廻り、肩をゆさぶった。 彼女はぼくの顔を見上げ、「あの子を助けて。 一人息子なの」と言った。

 
 ここで騒いでいても、埒が明かない。 バーニーの命が危うくなるばかりだ。
 ぼくは巡査の制止を振り切り、生垣を飛び越え、農家の庭先に降りた。 大きな音がして、足元の土がえぐられ、威嚇の銃撃を受けたのだとわかった。 見ると、窓の割れ目から銃口がこちらを狙っているのが見えたので、ぼくは両手を上げた。銃撃の腕は正確のようだった。
 暗がりで顔は見えないが、その見えない犯人に向かってぼくは言った。
「やあ、ぼくはアウチっていうんだ。 バーニーの友人だよ」
「金は持ってきたか?」
「今、かき集めてるとこだけど。 村長さんも来るからちょっと待っててよ。バーニーは元気なの?」
「郵便屋なら、まだ生きてる」
 その言い方にぞっとした。怪我をしているのかもしれない。
「頼みがあるんだ。」
 手を上げたまま、できるだけ穏やかな声でぼくは言った。
「バーニーのおふくろさんだが、心臓が弱くてね。 ショックを与えるのがよくない。 わかるだろう?」
 中から答えはなかった。
「ぼくがバーニーの代わりに人質になる。 ぼくは武器は持っていない。 一切抵抗しないと約束する。 バーニーは解放してくれ。」
 中から高笑いが聞こえてきた。 
「丸腰だと証明しろ。 そこで素っ裸になれ。 自分で手を縛って入って来い!」
 ぼくは命令に従った。悪夢のようだったが、村人が見守る中、ぼくは犯人を刺激しないよう心がけながら、一枚ずつ脱いだ。
 最後の一枚を脱ごうとしたとき、村人の間からどよめきが起こった。 しかしぼくはパンツを脱ぎ捨てた。
 そして、脱いだシャツで腕を縛って、ドアのほうへ向かった。

 部屋の中は真っ暗で、かすかに血の匂いがした。

 部屋の隅に、バーニーがうずくまっているのが見えた。バーニーはぼくを見上げて唸った。
「何で来たんです」
「腹が減っただろうから、交代してやる。」
 ぼくを見上げた顔は血だらけだったが、致命傷ではなさそうだった。
「レジーナが待ってる。 心配させるな」
 若者は涙を浮かべ、首を振った。
「行けないよ、アウチ」
「君のために、ストリップまでしたんだぞ?」
 気のいいバーニーは泣き笑いのような顔になった。
「レジーナがでかいソーセージを作って待ってる。 うまいぞ。」
 じれた犯人が、こちらに銃口を向けて怒鳴った。
「何をぼそぼそ言ってる! そいつを帰すのならさっさと帰せ、さもないと二人とも人質だ!」
 ぼくはバーニーを促し、外へ出した。
 犯人と、丸腰ですっぱだかのぼくが残された。

野ばら16

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