野ばら 2 2002/5/15


 翌日から、ぼくの仕事が始まった。
仕事といっても朝起きて、顔を洗って、国境地点でただ立っているだけだ。 こちら側には豊かに葉の茂った大木があり、それが素敵な木陰を作っている。
 しばらくは直立不動の姿勢をとっていたが、、一時間もしないうちに、その木の幹にもたれるようにして座り込んでいた。 誰がとがめるでもない状況で、真面目に見張りをしているほどぼくは真面目ではない。

 二つの国をまたがってつないでいるのは、街道と、野ばらの巨大な茂みだ。これはもう何十年もかかって育ったのだろう、直径10メートルはある、グロテスクなほど巨大な野ばらの群生だ。 今は白い花がいっぱい咲いて、甘ったるい香りを放っている。 ミツバチがいっぱい群がって、にぎやかに羽音を立てながら、忙しく働いていた。

 そのそばには、国境地点を示す古い石の道標があった。 それは古く、文字も風化して、刻んだ文字も見えないほど苔むしている。
 この道標が朽ちるのが先か、それとも野ばらに飲み込まれるのが先か。 いろいろ考えているうちに、ぼくはすっかり退屈してしまった。
 本当に、ただ立っているだけのこの仕事は、一種の懲罰だ。
 しかも、数メートル先に立っている隣国の兵士は、ぼくと目をあわせようともしない。 まっすぐ立っているばかりだ。

 辛気臭い。
 退屈だから横目で奴を眺めてやった。 
 身長は、はじめに思ったほど高くはないようだ。 髪は黒くて、後ろで束ねている。 あごがとがっていて、顔は黄色っぽくて、どちらかというと土気色に近いほど顔色が悪かった。
 
 そうするうちに、隣国の兵士は持参してきたいすに腰掛け、居眠りを始めた。
 平和なものだ…ぶんぶんいうミツバチの音に、兵士の寝息が混じる。本当に本でも持って来ればよかった。
 それにしても、どこからかすごくいい香りがする。 その香りは夕刻になってさらに強くなった。野ばらは甘ったるいだけの香りだが、それに混じってライムのような香りがする。 どこかで花が咲いているのだろうか。

 注意していると、その香りはなんと上から漂ってくるのだ。

 ぼくは目を凝らしてみた。 丸い、薄緑の葉の中に、黄白色のささやかな花が、たくさん咲いているのが見えた。
 思わず手を伸ばして、一枝折り取ったときに、「やめろ」と声が飛んできた。
 驚いて声のしたほうを見ると、隣国の兵士がいつ目覚めたのか、いつから見ていたのか、吊りあがった目でこちらを見ている。異様に輝く緑の目が怒りを含んで、ぼくをはったとにらみつけている。 髪は、不気味に黒い。
 長い髪の中に隠れた耳が、なんとなくとがっていそうな感じがする。
 
「そんなもの折って、どうする気だ」
「どうするって…」
 この木はこちら側に生えている。 こちらのものだから、こいつの知ったことではない。 ぼくの木ではないにしても。
 でもぼくは言い返すほど気が強くない。
「いい香りだから…部屋に飾ろうかなと思って」
「それは墓場用だよ」
「は、墓場?」
「今、そのはっぱをとろうとしただろう。 その枝ごと取って、墓場に飾るんだ。 墓参りでもないのにそれを取るものは、亡霊を呼び寄せることになるぞ」

 そんなこと言っても、もう取っちゃったじゃないか。
「…ぼくはただ、この花のにおいがいいなと思って、だから…」
「花も一緒だ。お墓の花だ。ちょっと先に墓地があるんだ。そっちにはいっぱい植えてるが、夜中に幽霊が出歩いて種が飛んだんだろう」
 ぼくは花を握り締めたまま、彼を見ていた。 幽霊よりこの兵隊の、魔物のような風情が怖いのだ。

「花を摘むと、亡霊がお前を連れに来るぞ。 亡霊は鼻が利く。 匂いを頼りにお前を探しに来る。冷たい墓の中で一人で朽ちていくのはいやだ。寂しい墓場で一人で寝るのはいやだ…死人はたいていそう思ってるんだ…」
「……」
 やつはゆっくりと、人差し指をぼくの胸に向けた。 八重歯が唇の影から白く覗いた。

「匂いが目印だ。 お前を、墓の中に引きずり込みにやってくるぞ…」
「!!」
 反射的にその花を投げ捨てていた。 青年はしばらくぼくのようすを見ていたが、満足げな笑い声を立てた。
「うそだよ。 別に摘んだってかまやしない。 墓に備えるのは匂いがよくて、空気を清めるからだ、それ以上の意味はない。 枕の下に置いといたらいいにおいがする。よく眠れる」
 
 大いにプライドを傷つけられたぼくは、日の入りを待ってさっさとそこを後にしようとした。 「花は持っていかないのか? せっかくお前が摘んだのに。 無駄にするのか?」
「うるさい。  ヘンクツ野郎。 おれに話しかけるな。」
「おれはヘンクツ野郎なんて名前じゃない。名前がある」
「よかったな」
「クージってんだ。 お前の名前は…」
 ぼくはやつが話しかけるのを無視して、足元に捨ててあった花を乱暴に拾い上げた。
 
「お前名前ないのかよ!」
 やつは、羊を呼ぶような大きい声でぼくに叫びかけた。
「貴様に教える名などない!」
 ぼくは誇らしく叫び返し、胸を張って、せいいっぱい軍人らしく両手を振って…ねぐらへと逃げて帰ったのだった。

野ばら3

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