野ばら 7 2002/9/21
遠い昔、夏休みの終わりだったか。 バカンスのお土産に、近所の女の子がきれいな貝殻を持ってきてくれた。 どこぞの海岸で拾ったのだという、淡いバラ色の巻貝だった。 ぼくらは、庭に植えてある木苺の、黒く熟したすっぱい実を食べながらおしゃべりをした。
ああ、そしてそしてハイディちゃんは。
「アウチって、ちょっとスキ。 うふ。」といって、ボクにキスをくれたのだった。思えば早熟にして多感な、10歳の夏の終わりだった。 そう、振り出しはまずまずだったのに。
いったい、ぼくの人生どこでどう間違ったのか!
嘆いているうちに、事態はどんどんやばいことになっていく。 でかい舌を突っ込まれて、苦しさに目をむくと、「キスをするのに目をつぶらないのか?…それも、いいか。 きみのブルーの瞳が見えるから。 スウィートハート…」などとささやいた。ひ、ひとりで盛り上がってる…。
クージは黒々と長いまつげをしているが、それに見合ってひげも濃い。キスされると頬が削られる。
やつはもどかしげにぼくの手をとり、いきり立った自分の股間に引っ張っていき、もろに擦りつけた。 べっとりと濡れた感触…。
か、かんべんしてくれ。 思わず目をやると、やつの巨大な肉棒はへそに達しようかという勢いであり、その角度と来たら腹に沿うほどで、若さゆえの元気さがうらやましい。もとい、こんなのに犯られたら、ぼくは壊れるかもしれない。
しかし抵抗しても無理なので…この場はもうしかたがない。 耐えがたきを耐え、忍びがたきを忍び、後日、合法的に仕返しをしてやるのだ。……
思い起こせば10年前。 軍隊に入ってすぐ後のオリエンテーションでのことだった。
銀縁メガネをかけた、実直かつ、きまじめそうな教官が言うには、
「先ごろ、規則が改正されました。 後輩に性的ないやがらせをするのは厳罰の対象となります。 ところで、アウチのようなタイプは尻を狙われやすいので、身辺に気をつけて下さい。」
そういって、上官は、いきなりぼくに話を振った。 真顔だった。
「痩せていて金髪で童顔でおとなしそうな、つまりアウチのようなタイプは、統計上よく狙われています」
周りは笑うし、これは恥辱そのものだった。 顔の毛穴すべてから恥ずかしさに汗が噴出しそうだった。 しかし上官は、笑うやつにするどい視線を投げた。
「しかし、筋肉質だから大丈夫というわけわけではありません、がっしりした男を好んで襲うもの、とりたてて特徴のないものがすき、という者もおります、要するにみんな女日照りなので、とりあえず穴があれば足る……」
さすがに言い過ぎたと思ったか、上官はせきばらいをした。
「しかしまあ、何人もが相手である場合は、抵抗したって無理だし、命の危険がありますね、適当に抵抗してダメだったら一発やらせてやって、あとで私に訴えてきてくれたら、こちらで対処いたします。
同国人には、そういう目にあわされたことはなかった。
‥‥‥
30の声を聞く頃にこういう災難に見舞われるとは、やはり名前が悪いのか?
「ふ、かわいいよ、アウチ」
クージは上体をぐいとそらし、束ねていた黒い髪をふりさばいて、両肩に流して見せた。筋肉質の肩に黒髪が貼りついている。 これが半裸の美女とかだったら、見るだけでいきそうになるだろうが。
「‥お前の全てを知りたい、アウチ」
そう宣言して、クージはぼくの脚を高く持ち上げ、足首からふくらはぎを舐めた。
「あっ」
一瞬、ぼくは、いい気持ちになってしまった…もしかしてぼくはこの事態を、半ば楽しんでるんじゃないのか? と思いかけたとき、空気がふいに動いた。
「ごめんください! シルバーコックさん!」
そっとドアが開いて、非常に日焼けした青年の顔が覗き、そのまま固まってしまった。
さすがにクージもぎょっとして、ぼくの上に載ったまま青年をにらんでいた。
若者は口をぽかんと開け、帽子に手をかけたまま、今にも気絶しそうな風情でこちらを見ている。
クージは、青年をどなりつけた。
「なんだお前は、人の家に勝手に入って来て!」
「よせ、クージ。 だいたい、ここはきみの家でもない…ぼくの家でもないが」
「あ…アウチ・シルバーコックさん…はどちら、でしょうか?」
「はい、ぼくですが…何か御用ですか」
「はじめまして、郵便局のものです、バーニーといいます…何度も声かけたんですが、聞こえなくて。 いらっしゃるみたいなんで」
バーニーは固い表情で、早口にしゃべった。
アウチはいらいらした声で、「玄関ならまだしも、部屋へ入ってくるか、ふつう」と毒づいた。ぼくはやつを押しのけ、シーツを腰に巻いて立ち上がった。 するとバーニーは後ろ向きに数歩下がった。
「そ、速達書留です…」
「ありがとう、バーニー」
受け取ったときに、バーニーの手がぼくの指に触れた。 バーニーはさっと顔を赤らめ、手を引っ込めた。
「バーニー君、だったね。 とんだところを見せてしまった…わかると思うけど、このことは…内密にしてほしいんだ。 これにはちょっと…よんどころない事情があって。」
「いえ、誰にもいいません。 棺に入るまで、誰にもいいませんです!」
「ありがたい」
その真剣な様子に、ぼくは思わず腹の力がゆるんだ。すると、はらりとシーツが落ちてしまった。 バーニーは両手で顔を覆った。
「失礼した…見苦しいところを。」
顔を覆った手の下から、バーニー君は震える声で言った。
「ぼく、うれしいんです、アウチさん。 こんな田舎で…あなたみたいな人に会えるなんて。 ぼくだけだと思ってたのに…ぼくはひとりぼっちじゃなかったんだ。」
大いに誤解がありそうだが、どうやら彼がいいふらすことはなさそうだった。
「用事が済んだら帰れ、郵便屋」
野太いクージの声に怯えて、郵便局の若者が帰った後、ぼくはあらためて速達を見た。 ぼくの勤めている出版社からのもので、ふといやな予感が走った。
「いったい…何なんだ?」
ぼくは震える手で封筒を開けて、少しの金と、社長の手紙を見たのだった。
『アウチ…。本当に申し訳ない。 私たちの小さな会社はついに倒産してしまった。これは未払いだった給与だ。 今まで、本当にありがとう。君がまた除隊して、職探しするときのために推薦状を同封した。 君はまだ若い。 これからやりなおしがきく。 しかし、本当に申し訳ないことに…』
社長はいい人だった。 本当にいい本を出すんだとぼくらは安月給でもがんばっていた。 苦しかったけど楽しかった数年間、これが結末か。
「どうした、いい手紙か? アウチ」
後ろからクージが声をかけてきたので、ぼくはありのままを告げた。
「ぼくの会社がつぶれた。 社長はいいひとで、差し押さえが来る前に金を持ち出したらしい。 未払いの給与を送ってくれた」
「それは…また……気の毒に…」
「まあ30年近く生きてると、いろいろあるさ」
「アウチ」
「悪いけど、クージ。今日は帰ってくれないか。 君と遊ぶ気分じゃなくなったんだ。 また、明日な。」
「おい、……アウチ………本当に大丈夫か?」
なるべく不敵な笑いを浮かべ、ぼくは言った。
「明日になったら復活するさ。 バイ、クージ」
やつは服を着て、何度も振り返りながら出て行った。
そして、静寂が訪れた。
野ばら8
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