野ばら 8 2002-11-18
国境のこちら側にそびえる大木が、無数の小さな実をつけた。 クージが「幽霊を呼ぶ」とうそをついて、ぼくを脅かしたその木だ。
初夏にはレモンのような香りの、可憐な花を咲かせ、それが夏に青い実になり、晩秋の今は黒く熟し、つやつやと光っている。
鳥が実をつついて食うが、小枝ごと地面にばらばらと落ちてくる実も多い。
この黒い実は、靴で踏んづけるとぐしゃりとつぶれて、ちょっとくどい香りがする。 緑の若い実も落ちていて、これは手に取ってみると、わずかにレモンのような香りが立つ。
よい天気の今日、木の下でぼくらはチェスを打っている。
まるで友人同士のようにだ。
とん、とクージは音を立てて駒を置いた。
小さな音を立てて、やつの足元に黒い木の実が落ちてきた。
「よく落ちるな… なんだっけ、死人の木?」
「いや、これは…おれたちはカンファーと呼んでいる…」
隣国の兵隊は、うつむいてチェス盤をにらんだまま、こもった声でそう答えた。
「おれのばあさんが、葉っぱを箪笥に入れてた。 虫除けになるんだ」
「ふうん」
「南から来た旅人がいて、国境のここに種を蒔いていったんだと。 それをばあさんが種を取って、自分の家に植えたんだ。 今もあるよ。 家はもうないが」
「そうか。 チェック。…」
クージはさっと顔を赤らめた。
2度目のチェックだ。 よく逃げたが、もうクージのキングを守る駒はほとんどない。 落城は目の前だ。 しかしクージは淡々と、自分の家系の話を続けた。
「死んだばあさんは、産婆の名人だったんだ。……それだけじゃない、薬草を操って、ちょっとした病気なら治してしまう。 薬草で堕胎させることもできたらしい。…大鍋を掻き回して、薬を煎じているのをよく見たもんだ。」
「それはまた珍しい…」
「ようするに魔女の末裔というわけだ……大昔には、火あぶりになったご先祖もいるらしい。」
平静を装ってはいるが、クージのこめかみの血管は痛々しいほど動いている。 手詰まりになったクージは、次の一手を出すことができず、さきほどから無駄話で時間稼ぎをしているのだ。
今朝、クージはチェス盤を持ってきて、「元気か? ちょっと遊ばないか?」と言った。それは、失業して落ち込んでいるぼくの気分を引き立てようとの、クージの親切心だったのだろう。
それなのに、ぼくはふといたずら心を出してしまった。
「いいよ、……せっかくだから賭けようか?」
「何を賭けるんだ? 金なんてないぞ」
「そうだな。 月並みだが、君が勝ったら、ぼくを一晩好きにしていい。というのはどうだ」
クージはしばらくくわえタバコで煙を吐いていたが、ゆっくりとタバコを口から出し、靴で踏みつけてぼくをじっと見た。 喉仏が大きく動くのが、やつの動揺を曝露していた。
「冗談…」
「ぼくは冗談は言わない」
ちょっと良心がとがめたが、このさい仕方がない。 クージのアプローチが激しすぎて、こっちまで洗脳され、あやうくその気になりかけないとも限らない。
「本気にするぞ、アウチ」
「ぼくはいつだって本気で生きてるさ。 そしてぼくが勝ったら、きみは夜這いをかけるとか、風呂の覗きとか、その他の紛らわしい行動はやめる。 乗るか?」
「引き分けだったらどうするんだ?」
「そのときはもう一度勝負。」
「……乗った。」
そういうわけで、ぼくらは朝から白熱したチェス勝負をやっていた。 けっこう手ごわかったが、ようやく奴に引導を渡す段階に来ていた。
クージはどこまで本当なのかわからないような、ばあさんの話などをして平気を装っているが、内心焦っているのは見え見えだった。
「クージ、君の番だぞ?」
促すと、破れかぶれの一手を指す。
「これでどうだ!!」
「チェックメイト。残念だったな、クージ」
「あああっ! 負けちまったっ」
若者は、悔しげにうなると、髪をかきむしった。
「ええい、くそっ!」
クージはむこうの方言で、そういう意味の罵詈を三度ほど、青空に向かって叫び、ばったりと草の上に倒れてしまった。
「負けた。…どうしてお前はそんなに強いんだ?」
「そりゃまあ、自分の身体がかかってるからな」
「なんか、なんか納得いかねえぞ」
「何が納得いかない?」
しかしちくり、と良心が痛んだ。 彼をだましてしまったからだ。
ぼくは、学生時代にはチェスの州大会で優勝したこともあるのだ。 いわばだまし討ちだ。
「やっぱり、なんか納得いかないぞ!」
「どこが?」
ふと、クージの目がきらっと光った。
「…さっき、夜這いをかけるのと、風呂の覗きは止めるということだったな」
「その通り。」
「トイレ覗くのとか、白昼襲うのとかはいいんだなっ」
「その他の紛らわしい行動、に含まれる。」
若い兵士はチェス盤をどかして、ぼくの腕をつかんだ。
「チェスなんかで人生決められてたまるか!」
「気をつけろ、クージ・クンツ。 ぼくはこういうのも持ってるよ」
ぼくはピストルに手をやるまねをした。 もちろん安全装置をしたままだ。
「腹に穴が開くのなんかいやだろ?」
少し考えていたが、真っ赤な顔をしてクージは叫んだ。
「よし、もう一発勝負だ!」
「懲りないやつだなあ…」
ちょっとかわいそうな気もして、ぼくは再勝負に応じた。 祭りも近い、秋の和やかな日だった。
野ばら9
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