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 あまりにも内容が増えすぎたので、ページを切り替えました。以前のページから読みたいという物好きな方は下のリンクからどうぞ。びーねっとの歴史がわかります。(笑)下の方に行くにしたがって古くなります。


2003/9/4 on-line版の戯言日記をサーバ移転したら動作しなくなり、急遽、こちらに移動。数年ぶりにHP改造中。メンバーの多数が視覚障害者という事も有り、フレーム仕様はやめ、シンプルにテキスト中心のHPに変更。但しピュアシルバー事業部は画像中心か。

 ともあれ数年ぶりの大改造のため、せっかくご覧下さっている奇特な方々にはご不便をお掛けしますが、ご容赦下さい。

2003/6/7 いつもながらマイHPはおろそかにしている日々。パソボラの依託事業が始まり、受付を開始したは良いが、携帯でメールを下さる方が多く、携帯へのパソコン送信は受け付けない機種が多いので、困ってます。山本の年代でメールといえばパソコンというイメージですが、今や携帯メールが主流なんですね。でも、受付業務に支障をきたしますので、携帯メールでの送信はご遠慮下さいね。(-.-;)

 現時点でびーねっとは依託事業も含めて8障害者事業を行っておりますが、なかなか収益を上げるというまでには行かない事業ばかりで、新たな事業に移行している最中。「障害者だから」ではモノは売れない時代だということを当事者サイドが認識し、買う側も変なお情けで購入するのはさけて頂き、その施設が前向きになる提言をして下さい。良く聞く話では、施設関係者が売りに来ると、断れないから仕方なく買っているという話しを良く耳にします。売っている側は、そうしたことを知らずに、売れていると勘違いします。その結果品質向上や、商品開発もおろそかになりがち。悪いものは悪いと指摘して頂くのが作業所や授産施設の活動を良い方向に導きます。「しょせんは障害者」と言われない仕事がしたいと思っている障害当事者はたくさんいます。(そういう人は作業所なんか行かないという声も良く聞きます。作業所の存在意義も問われる時代となりました)作業所は社会参加の第1段階の場という意識から、今や雇用の場とならざるを得ない状況下です。健常者でさえ職がない時代、それ以上の努力をしなければ人並みの仕事を得ることは難しい。そうした意識を持つ人は社会でも立派に働けます。作業所のデイサービス化現象が就労意識をなくさせている気もします。「年金もらっているから働かなくても」という人も多いです。でも、年金とて保障されるものでは有りません。いつ減額されるかもわかりません。でも、多くの当事者はそんなことを真剣に感じていないのが現状です。いざとなったら座り込んで抗議するという、いまだに時代錯誤の考え方がはびこっています。世の中は常に変化しています。それを感じられない福祉関係者が多いのはいささか情けない限りです。福祉はもう聖域では有りません。聖域なき構造改革の名の元に様々な改革が行われています。私たちも意識改革をしましょう。障害者に働けと言う私たちは「元気な障害者しか相手にしていない」と非難されますが、障害者に元気も元気でないもありません。脳障害などで全く何の意識も無い人なら、それは無理な話かもしれません。しかしそういう本当の重度障害者は全体の数%です。上肢が動けば出来る仕事は数限りなく有るし、下肢だけでも機用に動かして働いている人もいます。では、働けない人との違いは何でしょうか。「やる気」としか言い様が無いのです。精神世界では禁句の「やる気」ですが、それが有れば不可能も可能にできるのだという希望を持って欲しいのです。

 びーねっとには中平というメンバーがおります。彼は今は視覚障害者向け講習の講師です。ソフト開発なども2年ほど前から始め、今ではかなりの知名度を持っています。その彼がパソコンを使い始めたのは今から6年ほど前です。彼に天分の才があったことは間違い有りませんが、視覚障害で目が良く見えなくとも、逆にそれ(障害)を克服するために使用していたパソコンが、今度は自立の元になろうとしています。目が見えなくなったと諦めている人との違いはここなのだろうと思いますし、他の障害にも同じことが言えるでしょう。山本は障害者の中にダイヤモンドが眠っていることを信じています。そのダイアを掘り当てた時がこの仕事をしていて良かったと思う瞬間です。でも、ダイアも磨かなければただの石です。自分の可能性を磨いて下さい。諦めず、諦めず、磨きに磨いて下さい。ただの石でも磨いていれば光り出します。磨きが悪ければただの石以下です。それを決めるのは自分自信であり、家族や回りの影響力。びーねっとが関わった人たちが最近活発に動き始めました。昨日の新聞にも掲載されましたが、そうした小さな活動から、大きな活動に繋がっていくだろうと信じて応援しています。

 夢を持ちましょう!希望を持ちましょう!それが原動力になるのだから。まずは最初の1歩を踏み出して下さい。

2003/4/2 いつものことながら、仕事ばかりで自分のHPは後回しの平成14年度が過ぎ、平成15年度が始まりました。3月旗のHP業務で追われに追われ、やっと一段落が付いた今日この頃。1年越しのよさこいマートもまもなく運用開始です。取り敢えずは肩の荷が下りた。今後はシルバー製品の製造に力をいれて、稼がなくては。ちなみにパソコン業務葉というと、ソフト開発部の2名はばりばり活躍しています。先日も新しい視覚向け会計ソフトを発表。代表がHPやらDTPに追われている間も開発は進んでおりました。(笑)

 これからの15年度が本当の「仕事」が始まるときかもしれません。ソフト開発部同様、ピュアシルバー工房も宜しくお願いします。ちなみにシルバー工房は、本格的にロストワックス技法を使用した鋳金も取り入れはじめました。研磨も本格的。よさこいマートで販売開始。イベントなどにも出ますので、見かけたら是非お買い求め下さい。手ごろな価格で良い品を。(笑)


2003/1/19 気がつけば年が変わってしまいました。無事胆嚢手術も成功かと思いましたが、カメラをお腹に入れたところ胆嚢が破裂していることがわかり、腹膜炎も起こしていたことが今ごろになって判明。急遽開腹手術になり、15センチ以上切られてしまいました。胆石も5センチ近くの大物が出てきました。
何とか無事退院しよさこいピックも全日5日間参加し、変な痛みに気がつき病院へ行くと糸の取り残りが・・・。と言うわけで、未だにお腹に糸の取り残しを持ったまま新年を迎えました。銀粘土事業も何とか順調。年末のイベントや福祉基金のお陰で開けた体験教室も好評に終わり、今は2月のフェアに向けて製作に追われています。早く銀粘土事業も就労支援として正しく認知して欲しいなと思っています。



2002/9/29 手術入院4日目が終わろうとしています。激痛の胆嚢造影検査も何とか堪え、手術日が10月7日に決まりました。腹腔鏡を使った手術になるか、7センチ切るか当日の医師の判断で決めることになった。取り敢えずは腹腔鏡でやる方向で進めています。胆石の大きさもほぼ判明。1センチ位と聞いていましたが、1.5センチくらいあります。でかい。今夜はYブラザース弟が見舞いに来てくれ、久々の再会。ステロイドの副作用で、また少し顔がむくんでいますが、取り敢えずは元気そうで一安心。Yブラザース兄としても、ここは早く元気にならねばとは思いますが、早く要らないものを取らなくては始まりません。明日は朝から絶食で、今度はMRIで正確な位置の検査。それが終われば外科病棟に移り手術準備に入ります。秋季国体ではYブラザース弟が頑張り、よさこいピックではYブラザース兄が頑張ります。

2002/9/07 5日に下記取材の様子がRKC高知nowで放映されました。日頃、日の当たらないところ(ボラ)に日が当たるよう-になったのはいいけれど、こういう報道はその時だけの物見遊山みたいな感じでいつも終わるので、微妙な気持ち。日々の活動の方を知ってもらう事の方が大切なんだけど、でもマスコミに良いほうに評価されるのは嬉しいこと。感謝。

 木曜に追加の鎮痛剤と抗生剤を出してもらったんだけど、鎮痛剤が後3個になってしまった。一向に痛みは変わらず、薬が切れたら熱は上がるし痛みはひどくなる。結構副作用がある薬なんだけど、使わないときつい。急性胆嚢炎で痛みを変に我慢していると場合によっては死亡する人も居ると医師に言われ早く除去手術受けたいんだけど、仕事はまだ1週間は終わらない。

 今日7日(土)、Yブラザースに学校の文化祭に見に来ないかって呼んでもらった。市内でも有名な進学校に初めて入った。従兄弟なんかは卒業した学校なんだけど。ここ卒業した人の多くが公務員になるような学校。Yブラザースを見つけることが出来るかと思ったら案外簡単に見つかった。と言うのも異常にこの学校は女子が多い。だから自然と男子生徒が目立つ。(笑) 体育館で彼の所属する部活の演奏があるので、体育館に入ったらその暑いこと。どっと汗が・・・。彼の部活の演奏が始まる1時間前のステージから見ていたんだけど、その時は10人程度しか居なかった観客が、目的の時間になるとどっと数十倍に。更に部員の数もどどっと。多いとは聞いていたけど、さすがにこれだけ揃うと壮観。最初の曲から「おっ、これは凄い」と思わせるレベル。さすが国体で演奏するだけのことはある。Yブラザースもすぐに発見。男子生徒3人しかいない。60人とか80人とかいう部員数の中ではすぐに見つからないかなと思っていたら、重そうに荷物運んで入ってきたのが居た。まだまだ体力付けなきゃねY君。たまたま偶然、座った位置が丁度Yブラザースの真正面。勉強と練習に明け暮れて頑張った成果を聞かせてくれました。拍手も鳴り止まずアンコールも2曲。胆嚢の痛さを忘れて聞き入ってました。演奏終了後、声を掛けに行ったらYブラザースは顔からも汗びっしょり。「凄く良かったよ」と言ってやったらにこりとうなずいてました。午後はお化け屋敷の脅かす担当するとか言うので、早々に帰りました。午前中、教室の前までは行ったんですが、お化け屋敷入るのはチョットね。(笑) 
日頃とは違う環境の中で居られた数時間はストレス発散になりました。Yに感謝。でも、もっとぼろだった気がしたんだけど、いつの間にキレイな校舎になったんだろう。皆さんも秋季国体の開会式の時は盛り上げ役のN高校吹奏学部に声援してあげて下さい。おいらもよさこいピックでは頑張ってボラ担当部所しっかり守らねば。

2002/9/04 胆嚢の痛みは更に激しく、月曜に検査したら炎症反応が最初の入院時と同じく7に近い値。よくぞ救急車呼ばずに我慢していられるものだと、人間痛みにも馴れるんだなと我が身で体感。1日にはテスト前のYブラザーズ宅に邪魔しに行って6時間勉強の邪魔をしてきました。(-.-;)その時は痛みも感じてなかったんですが・・・。昨日はRKCがうちのメンバーを取り上げたいとのことで、1日密着。その日は特に忙しい日だったので12時間労働に痛みは更に激しく、座薬3個(限度は1日2個まで)入れないと堪えられない痛さに。そして今日は更に極限。カメラの合間をかいくぐりつつ、1回3時間の講習を2回こなして夜10時に帰宅。定例となったY弟のメールを待っていたら寝てしまい、気がついたら送ってきたのが朝の3時過ぎ。こういう生活しているから潰瘍性大腸炎なんかになるんだよなと、ブツブツ言いながらあまりに簡素なメールに文句をつけて返信して再度寝たという1日。明日もあさっても連続して講習。人に指導するのが一番疲れる。指導は業務にすべきではないと実感している代表者でした。

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 8/31には地場産センターへ行って、高知機型工業の銀粘土教室におじゃましてきました。講師の北先生を紹介していただき、お目にかかるため。パソコン以外の就労に目を向けていたY兄は、以前から銀粘土に注目していたのですが、新素材の登場で、益々障害者でも簡単に良い製品(作品ではなく商品となる製品)が作れることを教えていただき、早速事業活動開始。びーねっともパソコン業務以外に売り物が出来たということですか。これも自主商品開発機構の活動なのです。

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2002/8/28 25日の高知新聞朝刊にパソコンボラ養成講習の記事が掲載された。そして気にも留めていなかったら、月曜の夕刊にも白黒名刺の話で、紹介してもらっていた。高知新聞さん、毎度ながら感謝。新聞の取り上げられるのは半年ぶりくらいかな。

 受講生から、このページを見に来ていると聞かされ、こりゃYブラザーズ以外にも見ているんなら更に気合い入れなくてはと思いつつも、他のHP管理業務でいつもこのページのみ更新。Yブラザーズの入院中の奇怪な行動を仔細に書こうかとも思うのだが、プライバシーの侵害でいじめられそうなので、モザイクかけて(文字にモザイクかかるんか!)書き込みます。

 入院当初、彼の奇行には不可思議なものを感じていたY兄でした。まず方位磁石を持ち歩いていること。これは下記に以前書きましたね。迷子にならないため。次ぎに消灯時間になると2時間は帰ってこない。年ごろの子だから何やら怪しいと思っていたら、品行方正の少年は、食堂で勉強して、その後階段の上り下りで体力訓練。39キロまで痩せてたんだからね。身長はY兄と大差ないのに。身長といえばY兄は173センチだったのに、病院で計ると171センチに縮んでいる。椎間板がすり減っているのか。老化現象なのか・・・。(-.-;)

 次ぎに彼の奇異な行動は朝4時から起きて勉強。Y兄が採血の激痛で6時にたたき起こされたときには(何故朝の6時なの)既に彼は勉強中。ちなみにY兄はY弟の勉強のじゃまをいつもしていました。そのため現在彼は家庭教師付けて取り戻すべく遅くまで頑張ってます。反省。ちなみに毎晩メール交換してもらっているので(してもらっているという表現で、既に立場が明白になっているような・・・)、パソコンの話から、元某ホテルコックのY兄としての食事指導まで、色んなメールを交換中。
入院中、面白かったのは、某看護学科の学生が研修に来たとき。潰瘍性大腸炎の彼の検査見学の担当になり、直腸から薬の注入するシーンや、直腸内視鏡検査まで付き添われて「患者にはプライバシー権はないのか」と話してましたが、結局全て見学されたらしい。(笑)
Y兄も人事ではなく、入院当初は苦痛のため、座薬のお世話になり、何度看護士に恥部を見せたことか。不思議と元気になると自分でやりますと言い出すのは、痛みで忘れた羞恥心の目覚めからか。

 ついでに、Y弟が内視鏡検査の時、下剤2リットルを飲まなくてはならず、Y兄はその模様を冷酷にもVTRに撮影していたという。ちなみに普通吸収されないはずの下剤が、どういうわけか吸収されてしまい、彼は結局3時間かけて飲んだ苦労は水の泡で、浣腸と強制洗浄で検査を受けた。あの2リットルの苦しみは何だったのと、二人で思った次第。あれなら2リットル浣腸されたほうがまし!!皆さん2リットルまずい下剤を飲めますか?ちなみにこの潰瘍性大腸炎は現在急激に増えている難病。クローン病との因果関係も疑われている原因不明の病気。下痢から始まり、大腸が潰瘍を起こし、疑似ポリープが出来、出血が始まり、最悪人工肛門手術を受けなくてはならなくなる人もいるという。Y弟も輸血を受けるほど貧血状態になっていた。171の慎重で、42.5キロはやせ過ぎですよね。ちなみに脳性まひの送迎していた子も同い年ですが、あいつは身長低いから体重は同じくらいかもしれないけれど、ガリガリです。しかも皮膚も長期の下痢のために角質化してしまい、ザラザラのおじいちゃん状態でした。
予断ですがY兄は3週間入院で、2週間絶食でしたが5キロしか痩せなかった。顔は小さくなったけど、お腹の脂肪は消えなかった。(;_;)胆嚢取るときに、脂肪の吸引もしてもらいたいな。

 退院後、Y兄は早速難病連に詳しい某団体関係者にコンタクトを取り、難病連に参加しようと感じた次第。でも病院で夏の花火大会を見たという経験は生まれてこの方40数年、初めての経験でした。晴眼者に視覚パソコン指導するというのも初めての経験ですが。(笑)

2002/8/24-2 今夜、入院中に仲よくなった(下記参照)Yブラザーズが訪ねてきた。1週間ぶりに会ったけど元気そうで何より。さすがに学生服姿だと見違えてしまった。元気そうなので一安心。入院中に出来なかった宿題の提出期限が月曜らしい。誰かがじゃましたせいかも。(-.-;)お互い国体行事に関わっているので(おいらはよさこいピックだけど)、国体が終わらないと忙しくて遊ぶ暇も無しというかわいそうな彼。このHPもこまめに見ているようなので手が抜けなくなってしまった。このページだけでも更新していなければ。(笑) 他の方々もいつも見てくれてありがとうございます。山本は胆石の痛みといつ起こるか分からない発作におびえつつも元気です。狭心症と心筋肥大の方は今のところ安定しているんですが、胆石にはやられてしまいました。皆さんも定期健診した方がいいかも。特にストレスの多い人は。ちなみに心筋肥大の方は「重いものは持つな。水分補給は常にして血液濃度が高くならないように」と厳重注意を受けました。人様より3ミリから5ミリ心筋が厚いようで、その分心房が狭くなっているようで、血圧もそのために高くなる。血管拡張剤1日4錠飲んでますが、そのお陰で今のところ大きな発作無し。折角かわいい弟(うちの親いわく、息子の間違いじゃないかって)が出来たので、元気で長生きしなくては。ちなみに彼のお父さんは山本より2歳若い(-.-;)。15歳の子供がいても不思議じゃないんだよな〜。送迎してた子にもお父さんと呼ばれていたし、子供が2人に増えたみたいな感じ。(-.-;)でも、他人の子供でもなついてくれるとやはりかわいい。彼らが元気でいて欲しいと心から願ってしまう。健康こそ宝物だということを今更長等に感じているYブラザース兄でした。

2002/8/24 パソコンボランティア養成講習も2回目が終了し、夜10時に家に帰り着くという日々が2日置きに続いてます。少々ストレスたまり始めた感じ。指導する相手が晴眼者ということで、視覚障害当事者以上に気を使う。唯一の気休めになるのは入院中に仲よくなった年下メル友が出来たことか。
お互い自分の現実を書いているけど、それぞれ立場が違うから違う現実を見ている感じで新鮮。(笑) 気持ちが安らぐとはこういうことでしょうか。彼も学校生活が忙しくなりかなりストレスがたまり始めている感じ。今日も朝4時から起きて掃除したり勉強したりしているらしい。入院中もそうだったが、彼のストレス度合が見えるようで少々心配。潰瘍性大腸炎は原因不明と言われているけれど、ストレスも大きな要因だし、その要因を又増やしていくことは再発の危険因子。でもストレスのない社会は皆無だし、どうやってストレスに対する抵抗力をつけるかが彼も自分も課題かも。胆石もあっても発作起こさない人もいるというし、現実に今まで痛みも起きなかったということは、やはり過労とストレスが引き金になったとしか思えない。

 胆石は皆それなりに痛いという程度は知っているけど、潰瘍性大腸炎は余り知られていないけれど最近増え続けている大腸の病気。つい先日の新聞ネタにもなったけれど、重度なら手術して人工肛門を付ける必要も出てくる。最初は下痢が続き、徐々に出血も伴う。ほとんどの人が単なる下痢と痔のせいだと思うらしい。それが悪化させてしまう結果になる。メル友少年の場合は、1ヶ月くらい下痢が止まらず、出血もあったが痔のせいかなと思っていたとか。でもその出血のせいで、輸血まで受ける羽目に。しかも体重は10キロ以上激減。本来3日以上下痢が続けばおかしいと思って通院したほうが良いのだけれど、皆軽視してしまいそれが悪化させてしまう。その結果彼は一時39キロまで体重が激減。(検査のために下剤飲まされたせいもあるけれど)下痢が原因で痩せているのに又検査のために下剤飲ませるというのも矛盾しているが、大腸の中を内視鏡で見るためには仕方がないのだが、2リットルの下剤を2時間程度で飲まなくてはならないという苦痛が。あれは見ているほうも気持ちが悪くなる。2リットルも飲まずとも他に方法あるだろうと思うんだけど。現代科学が進歩しても未だそんな方法しかないのかと現代医学に疑問。疑問といえば痛み止めも効かないのも疑問。胆石の痛みを抑えるのにこれでもかと注射や座薬をしてもらったが、最終的に効いたのは3日目。脂汗がだらだらの苦痛の日々だった。あれを思えば手術受けたほうが良いなともうけど、3割自己負担のお陰で、3週間の入院費用は約20万。安心して入院も出来ない。病気になっても病院に行きにくい環境を国が作ってしまった。改悪の代表例だろう。自分たちが選んだ議員のために苦しむのはおかしい。あいつら全員胆石になって入院してみろってんだ。(おっと下劣な発言)我が身に降りかからなければ人の痛みや苦労はわからない。先生と呼ばれている議員達には金にまみれる生活よりも痛みにまみれる生活で庶民の苦しさを味わって欲しいもんだ。小泉さんも入院生活して3割支払ってみろ。でも国保じゃないから気にもしないだろうし、総理職の給与では痛みも感じないか。国民の痛み感じなくして改革無しと言ってやりたい!もう聞き飽きたよ、あの口調は。

 入院中、点滴台がどこに行くにも付いてくる。トイレの中まで。(笑)そこでポチと命名。1度目の時のはポチ1号。2度目の入院の時のはポチ2号。退院前には放し飼いになったけど、又手術する鍍金は今度はポチ3号のお世話になるのか。今度退院するときにはピカピカに磨いてやろう。

2002/8/22 退院5日目。今のところ時々胆石が動き痛む程度で、特に大きな痛みはない。県の視覚障害者向けパソコンボランティア養成派遣講習も始まり、若干忙しいかなという感じ。
退院してから、先日、病院で仲良くなった少年が作業所に遊びに来た。病院という特殊な環境下にいたら、不思議と年齢など関係ない友達ができるものだ。互いに脂肪を制限されているので、如何に脂肪を摂取しない食事療法を行うか、メールでも意見交換している。元調理師としては経験を生かした指導をしたりしているが、しばし調理と離れていたら腕も鈍ってしまった。
昨日は昨年まで送迎した少年宅に様子を見に行ってきた。元気そうだったのでひとまず安心。彼もまもなく手足の手術を行う。麻痺が改善されることを願いたい。 自分の1センチもある胆石も早く取り除いてもらわなくては。

2002/8/13 7月末から急性胆嚢炎になり、約3週間の入院となった。最初の1週間で、ほぼ完治したと思い、一時退院したのはよかったが、8時間後に再発。再度救急車で近くの国立病院に再入院。胆石の移動による激痛で、3日間痛み止めの注射と、座薬のお世話になった。
退屈なだけの入院生活かと思っていたが、同じ病室に15歳の少年がいて、退屈を和らげてくれた。彼は入院生活2ヶ月の大先輩。なんと病院内でコンパスを持って歩いている珍しい少年(笑)。国立高知病院が新しく改築されてから、とにかく広い病院となったため、対称形の病棟は階を間違えるとそれだけで迷子になってしまうくらい広い。彼はだからコンパスを持っているんだという。つい最近から流動食からおかゆになったというのに、こまめによく動いている少年だ。クローン病に間違われる潰瘍性大腸炎になったそうで、手足は痛々しいほどやせて体重も10キロ以上やせたそうだ。市内でも屈指の名門高校の1年生で、朝起きたら3時間くらい勉強している。自分が起きたときにはすでに彼は勉強の真っ最中。当初は夜も食堂で勉強していたようだが、誰かさんがじゃまをし始め、いつの間にか一緒に話す時間が増えて、自然と勉強する時間をじゃましてしまう結果になった。まあ、おかげで退屈な入院生活は楽しいものになった。看護士たちに山本ブラザーズと呼ばれるまでになったのには苦笑してしまった。

 胆石の痛みを皆さんは経験したことがあるでしょうか?七転八倒の痛さとしかたとえようがないのですが、まさかこのくそ暑い中で2度も救急車を呼ぶ羽目になるとは考えもしていなかった。痛み止めもあらゆるものを使ってもらったがどれも効かないほどの苦痛。3日目でやっと痛みが治まり、1週間目で炎症がやっと治まった。これを書いているのもまだ病院内。隣のベットでは偶然同じ名字のコンパス少年が勉強している。(笑)

2002/5/13 久々の戯言書き込み更新です。(笑)
この間に色んなことが有りました。まず新年度より作業所から脱皮して事業所、NPO法人自立サポ−トセンターあきらめないで福祉事業部の活動、高知県視覚障害者パソコンボランティア養成講師、高知県障害者自主商品開発機構事務局、よさこいピックボランティア広報委員など、またしても雑用に近いものが増えてしまいまして益々自分のHPが更新できませんでした。

 4月末には大阪の日本ライトハウスに高知女子大の吉野先生のお計らいでメンバーの中平と見学に行かせていただき、視覚障害者へのパソコン指導に関して、大変参考になる勉強をさせていただきました。感謝。
また昨年末から今年にかけて、四国銀行基金様より視覚障害者用パソコン&ソフト一式を寄贈いただいたり、三一会様よりノートパソコンの寄贈をいただいたり、赤い羽根基金様よりバリアフリー化工事の助成をしていただき、事務所の改装を進めています。手すりが付いたりスロープがついたり、トイレも立ち上がりがしやすいように手すりも付けてもらいました。本当は作業所時代からすべきことでしたが、やっと今になって出来ました。こうしたご支援に背かぬよう、今後も励んで参ります。今後ともご支援宜しくお願いいたします。今年は障害者の自立就労支援の正念場です。ある意味でまたボランティアに戻った形になりましたが、縦割り行政の制約が無くなった分、他市町村や県レベルとの協力で、能ある障害者が就労チャンスに巡り合える場所作りにしたいと思います。そのためにも企業やNPOセンターなど、様々な方々と互いに協力しながら頑張って参りますのでよろしくお願いします。

 2年間送迎をしてきました子供も無事卒業式を迎え、二学期、三学期と皆勤賞でした。現在は近くの療育センターと、市立養護学校高等科に元気に通っています。取り敢えずは山本も肩の荷が一つ降りた思いです。
現在は高知県障害者自主商品開発機構の事務局として、また、障害者のはたらくITワークセンターとして、そして今年11月に行なわれます、よさこいピックのボランティアの1人として あちらこちらに飛び回っています。8月からは視覚障害者に指導を行うパソコンボランティアの養成講習も始まります。いつが自分の時間なのか、さっぱり分からない毎日ですが、何とか生きています。一時、過労のため自律神経失調症に悩まされ、たちの悪い目まいに翻弄され苦労したときもありましたが、少しずつ回復してきております。でも、6月のイベントやよさこいピックのリハーサル大会など結構ハードスケジュールの日々が6月中ごろまで続きますので、心臓が止まらないように労りつつも頑張ります。最近は狭心症の大きな発作もなく、心臓の方は落ちついていますが、さすがに年齢には逆らえず、体力低下は目に見えて出てきました。相も変わらぬ夜行性の仕事の仕方がまずいのは承知しているのですが。ぼちぼち眠剤のお世話からも離れなくてはなりませんが、平均睡眠時間が3月までは4時間程度だったのが、7時間程度まで戻ってきたので、何とか薬の力を借りずに眠れるように気合い入れて寝なくては(笑)と思う日々です。

 県外の障害者の方とも仕事を共同で行うことが出来るようになり、少しずつ国内進出を実現しております。(笑) 1昨年、お目にかかった竹中ナミ様には以来、様々なご協力をいただき、また昨年カウンセリングをしていただいた樋口恵子様からもリンクをしていただくなど、諸先輩方からのご支援ご協力を得られ、山本は本当に心から感謝の日々です。同時に人の輪の大切さを更に強く痛感しております。1人では出来ないことも大勢でなら何とかなる。でも、一人ひとりの力も磨いていかねばと強く思う日々です。一期一会。この言葉の意味を最近本当に感じるようになりました。感謝。


2002/1/13 新年明けましておめでとうございます。年末に大幅更新する予定でしたが、又しても業務優先で、出来ませんでした。更新記録とここのみ書き換えます。新年度には新しいびーねっとHPに更新いたしますので、今しばしお待ち下さいね。(-.-;)
今年はびーねっとにとっては大きな飛躍の年になります。高知県の委託事業を受け活動も始まりますし、今までの通常業務もそのまま引き継がれます。作業所からの脱皮は実現いたします。年末にはNPO法人あきらめないでが認可され、副理事長に就任いたしました。これからはNPO法人と同調しつつ、障害者事業所として、当事者の立場に立ったサポートを進めて参ります。特に視覚障害者向けパソコン指導においては県下で初めての当事者主体事業所として生まれました。宿毛市の山戸さんを始め、夜須町の林さんなど、著名な当事者のご協力も得られ、高知女子大の吉野先生のアドバイスも受けることが出来、何とか形が見えて参りました。4月には先駆者である大阪のライトハウスと懇意にして下さっているプロップステーションへ見学に行ってきます。午年にあやかりペガサスのように飛び回り活躍できることを願いつつ頑張りますので、今後とも宜しくお願い申し上げます。


2001/12/4 ついに過労と風邪でダウン。年末以降2002/3月末までにこのHP改造を致します。尚、びーねっとサーバが立ち上がりました。be-net21.org が、メインアドレスです。当分は現在のHPをびーねっとのHPとして使用し、orgドメインの方は、業務関連の処理専用HPとして使用いたします。
鬼の霍乱と申しましょうか、パソコンウイルスには負けませんが、人間のウイルスには負けてしまいました。弱気になっては自分自身に負けてしまうと言い聞かせながら風邪薬と血管拡張剤を飲みつつ寝込んでいます。(-.-;)小泉内閣の構造改革が顕になるに従い、障害者の雇用や、様々な分野で、不況の波が更に大きくなってきています。これからがボランティアとして立ち上げてきたびーねっとの本領発揮の時。NPOと共に頑張ります。

2001/11/11 平成14年度からびーねっとは予定通りNPO傘下の元、障害者フリースペース・びーねっととして活動いたします。
県レベルでのサポートを開始いたします。県の視覚障害者パソコンボランティア養成・派遣事業も決定いたしました。市町村レベルでは対応しきれなくなってきたニーズに併せて、県レベルで活動することに踏み切りました。国レベルと言い換えても良いかもしれません。
作業所から事業所への脱皮を果たします。今後とも皆さまのご支援ご協力を宜しくお願い申し上げます。又、まもなく自社サーバを設置いたします。それに伴い、サーバ管理業者としても活動を開始いたします。各種サービスも開始いたしますので、是非ともご利用下さい。

2001/10/10 久しぶりに自分のHPにさわります。あまりにもほったらかしで、アクセス数も停滞気味。(-.-;)
9月27日付けで、きょうされん(全国共同作業所連絡会)に、加盟申請し、認証されました。これで少しは全国レベルでの情報も手に入りそうです。先月に引き続き、アスキー別冊、フリーフェア3000に「アルボ」が掲載されました。10月から、高知県リハビリテーション研究会HPの制作維持管理を委託されました。高知ベンチャークラブ二十周年記念誌製作も依頼されました。障害者ケアマネージャー研修会の申し込みも済ませました。というわけで、相も変わらずバタバタと動き回っています。須崎市でのパソコン指導も継続し、今回参加者がパソコン購入に至るまでになりました。それなりの成果が出たものと当事者共々喜んでいます。中々HPの更新が出来ませんが、見て下さっている方々に感謝。

2001/8/18 最近嫌なことがありました。匿名で市役所に嫌がらせの電話をされたり。ショックでしたが、何とか立ち直り、叉忙しい日々を過ごしています。障害者作業所の運営主体は作業所自体ですから、他人にどうこう言われる筋合いはないのですが、こういう仕事をしていると、様々な理由で嫌われることも有り、一期一会を再度念頭に置かねばと言い聞かせるようにしています。
幸い、回りのお引き立ても有り、今回、こころリソースブックに、ソフト開発部が開発したソフトが掲載されることになりました。と同時に、アスキー系列雑誌各誌にも散り上げていただけ、視覚障害者の間ではそれなりに知名度を上げることが出来ました。また、先日からは須崎市社協において音声パソコン指導者養成講習を開始いたしました。
さらには、プロップステーションの竹中ナミ理事長からも励ましメールを何度も頂戴できメル友の1人にしていただきました。感謝。橋本高知県知事からも、お優しいお返事メールを頂戴いたしました。感謝。

 人間生きていると嫌なことも辛いこともたくさん出会います。それに勝つか負けるかは最後は結局自分次第。負けてたまるかという決心を新たに頑張ります。ご支援宜しくお願いいたします。尚、設立当時の副代表でした木村は体調の都合で退所いたしました。この場を借りましてお知らせいたします。

 NPO法人設立準備会「あきらめないで」設立に参加いたしました。一応副理事長を初年度務めることになってしまいました。そちらの方も宜しくお願いいたします。尚、法人認可が下りました後は、びーねっとも順次、作業所から卒業して事業化に向けて活発に行動いたします。その折はどうか宜しくお願いいたします。移送ネットワーク(貨物サービス)との連携で、各種身障、高齢介護事業に参入いたします。

2001/8/4 ソフト開発部の開発したソフトが「こころリソースブック」に掲載されることになりました。大変名誉なことです。感謝!
CMもろくにしなかったソフトですが、各方面に注目していただき、本当に感謝。ぼちぼち初心にかえり、PRもこまめにしなくてはと実感しています。発行を休んでいた福祉新聞も発行する予定です。作業所として、業務と指導という板挟みにおかれていますが、何とか乗り越え、作業所という価値を変えたいと考えている「作業所」ですので、皆さまのご支援を宜しくおおねがい申し上げます。

2001/6/17 久々の更新。とは言っても外見変えただけ。(笑)相変わらずの忙しさに自分のところは後回し。現在ストリーミングビデオの調整中。DVDRの製作テストなど、日々何かに追われる毎日。先日はベンチャークラブ認証20周年のパーティに御呼ばれして市長と同席させていただきました。いただいた福祉車両も毎日稼動中。
今後の作業所業務に不安を感じる日々。パソコンオンリーからパソコンを使用した製造業に移行しようかと検討中。収入と雇用の安定を考えた運営を検討。IT化が進めば進むほど、パソコン指導とソフト開発だけでは食べてはいけないと切実に感じる日々。DTPも特殊業務ではなくなって、低賃金化してしまったし、このあたりで前向きな打開策を検討。それにはやはり製造業を取り入れるしかないと決意。では、何を作るか。それは今後のお楽しみ。バザーでも売れるもの、日ごろでもニーズのあるもの、食品ではなく、パソコンを使用したもの。価値観が変わらないもの。

2001/5/20 相変わらずの忙しさにかまけ、自分のところのHPはほったらかし。業務優先でがんばっています。(-_-;)
アルボも無事雑誌掲載されました。ぜひご利用してみて下さい。特に視覚障害の方にはオススメのソフトです。最近山本は睡眠薬の力を借りて眠る日が続いております。睡眠を確実に取るため。平均睡眠時間は3時間から4時間。寿命を地自滅つの業務となっています。(笑)

センターHPが落ち着きましたらこちらのページも更新するつもりで居りますので、気長に待ってやって下さい。特に変ったニュースといえば、高知ベンチャークラブから福祉車両のご寄付を戴けることとなりました。本格的な寄贈を受けるのは今回が始めてのことで、送迎に困っていた現状に、見るに見かねてご寄付いただけたことに感謝いたします。業務売上だけは他作業所よりも良いのですが、パソコン業務ということで、備品や消耗品の補充に経費がかかり、来年度までは昨年同様赤字決裁になりそうです。3年目からはまともに収益に計上できるよう頑張る所存です。

2001/4/9 数ヶ月ぶりに書き換えています。大幅に変更できるのはGW以降かな。今回は「アルボ」のPRのため、急遽トップページのみ書き換えました。まずはお仕事が優先ですから、委託先のHPやらDTPを優先させます。
作業所として大きく変ったことが1つあります。パート職員が来てくれるようになりました。いずれ正職員になってもらうべく、営業収益を上げるため頑張っています。職員給与までは助成金だけでは賄えませんからね。せっせと収益を上げなくては。A3パウチも導入し、屋外ポスター製作まで可能になりました。こうした機材が備品扱いで自腹を切るのはいささか厳しいのですが、少しでも営業収益を上げるため、DTPとWEB、特にDVD-ROM製作に関してはどこよりも先駆けて着手しています。ムービー編集はお手の物。プレミア6.0を始めアフターエフェクトなど、業務用ソフトはほとんど揃っています。学校等での障害者ふれあい教育や企業の新製品のでもムービー制作などの話もあるので、収益につながるように頑張ります。ソフト開発部の2名も頑張っており、今回アスキー系列の雑誌CDROMに掲載されることになりました。ベクターのダウンロード数も1週間足らずに100件を超えていました。腎障害と視覚障害当事者がペアを組んで制作したソフトですので、視覚障害者にとっては扱いやすく、高知システム開発のPCトーカーとの相性も抜群。今月発売された高知システム開発のマイメールとの親和性も抜群です。まるでプラグインのように連携して動作しますので、是非ともPCトーカーとともに御使用下さい。尚、びーねっとには高知システム開発のソフトが全て揃っておりますので、購入前の試用もできますので、お気軽にご利用下さい。(要事前s予約)

2001/1/14 今年初めての更新。とは言ってもここだけ。それと地図をマップファンに変更しただけ。(笑)
中々自分のHPまでは手が回りません。業務に追われる毎日。働けど働けど・・・じっと手を見る。そんな心境。

 ナミねぇから昨夜メールが来ていました。感謝。偉大な尊敬する先駆者だからね。高知も早く目覚めて欲しいよ。
昨日送迎中に利用者の少年が車の窓の外の月を見て「大きいねぇ」と言いました。その時は街灯の明かりを勘違いしているんだろうと思いましたが、少し車が移動すると空に大きな満月が。まさにお盆のような真ん丸の大きな月が出ていました。思わず一緒に「出た出た月が大きな大きなまんまるいお盆のような月が〜」と歌っていました。 「大きいねぇ」という、少年の声に、思わずうなずくばかりでした。人は幾つになったらあんな純真な感動する心を忘れてしまうのでしょうか。今にも落ちてきそうな位大きな月を眺めながら送迎しました。少年の母が亡くなってからもうすぐ2ヶ月が過ぎようとしています。 彼の家に帰ると真っ暗。一緒に家に上がって電気をつけ、彼が着替えてうがいをしおわるまで一緒にいてから作業所兼自宅に帰る毎日。家に帰れば口うるさい鬼婆が。(笑)その鬼婆でも、居てくれるからこそ明るい我が家。親のありがたさを感じる冬の夜です。

 

12/17 久々に自分のHPを更新。日常業務と作業に追われて思うように更新できない日々。
昨日先日行われた市民大会の際に、ゲストとしてこられたプロップステーション理事長の竹中ナミさんとお話できるチャンスが有り、その際に障害者センター職員が撮影してくれたものを頂戴してきました。 当日はこの日のために竹中さんの著書も持参し、サインもしていただきました。もちろんいきなりお願いするのは不躾なので、前もってメールでお願いもしておきました。来高されると聞いて、すぐにメール交換をお願いし、心良く受けて下さいました。叉相互リンクもご許可いただき、感謝感謝の思いでした。

 市民大会当日には、松尾高知市長もお出でになられ、ご寄付を頂いた際にもお目にかかりましたが2度目のご拝顔を賜りました。更には市長とナミねぇとの意見交換の中で、ナミねぇから「びーねっと」に話を振っていただき、これ叉感謝感激。大会終了後には担当課長と喜びを分かち合いました。(笑)

 今日は朝から天気が悪く、あいにくの雨。仕事は休んで1日のんびりと、・・・と思いつつも遅れている作業に着手。やっとセンター機関誌のPDF化が終了。ついでにHPの方も若干更新終了。まだ元気なので、ついでに自分のHPも・・・。

 早いもので作業所を開設してから10ヶ月が経とうとしています。利用登録者も14名近く。確実に技術を身に付けてきた人も増えました。特にプログラミングに関してはすぐに仕事が受けられる人材が揃いました。あいにくデザイン関係は悲しいかな今だものになると言い切れる人が出来ません。早くHPの更新業務を代わりにやれるようになって欲しいと願う日々。焦っても仕方がないけど、焦ります。

 来年度からチャレンジド(障害当事者)1名をパート職員として雇用することにしました。確実に成果は上げてきました。視覚障害者関連も着実に知名度を上げ、障害者の雇用就労の足がかりの場としての「びーねっと」は、確実に成果を上げています。今後は今一つ出遅れている精神障害者の就労問題を検討しなくては。「やる気」とか、「意志」とかを前提にしてしまうと彼らには仕事というものはただのストレスにしかなりません。責任を持たせればそれがストレスになり、納期も叉ストレスになる。最初は彼らが1番の稼ぎ頭になるだろうと考えていましたが、今はそうも言えなくなりました。就労というのは最後はやはり当人の意思次第。それがコントロールできなくては安定した就労はかなり厳しい。短期集中の仕事なら可能だが、長期戦だと続かない。あてにされることがストレスになる。なんとも難しい。

 現在やはり即就労できるのは内部疾患のメンバー。そして視覚障害、自閉症、脳性まひと続く。自閉症のメンバーには些か驚かされる面が有り、物覚えも早く指定した作業をどんどんこなしてしまう。これは予想外だった。但し、指定してやらないと自らは進んでこれをしようという気にならない部分はきつい。
脳性まひに関しては、タイピングが筋肉の緊張を誘発するので、長時間は厳しい。 但し、1番やる気のある人でもある。今回その1人を来年度からのパート職員として雇用することにした。電話の応対と、メンバーの相手をしてもらうことにしている。合間は自分の技術の向上も勤めてしてもらうことにしている。

 来年度の課題はやはり精神障害。如何に仕事としてこなせるようになるかは本人次第。作業所はその場を提供することしか出来ない。やるやらないは本人次第。病院ではないのだから治療はできない。それを求められてもこれ叉困ってしまう。出来ることは話を聞いてあげることだけ。やりたい事をやるように奨めてあげることだけ。やりたい事なら何時間でも出来る。それで食べていけるのならいいのにね。

2/25 久々に更新。まもなく24000件を突破しようとしています。ろくに更新もしていないのに、読んできてくださる方々に感謝。
今月2月は当作業所にとって、波乱の月でした。とにかく忙しい。所長が所長として作業所にいる時間よりも、送迎や出張指導などで外出が多く、利用者にも迷惑をかけた月でした。何とか須崎社協からの依頼の視覚障害者対象のパソコン教室も盛況に1回目を終わりました。須崎市まで行くのに片道1時間。講師役の当事者を迎えに行き、送迎して、2名の視覚障害者を対象に指導するというものでしたが、結局自らも指導にあたらなくてはならないくらい忙しく、やはり視覚障害の方の指導はマンツーマンでなくてはならないと実感。今回の報償費も予算の都合でかなり低かったのですが、山本個人はガソリン代で赤字になりました。高知市の元気生きがい課でその話をしたら「これからはボランティア精神よりも、経営者感覚を磨かないと」と指導をいただきました。ごもっとも。平成12年度は自腹を切った約200万円の赤字。これでは事業所など夢のまた夢。

 そんなわけで今月から少し経営再建に乗り出し、今まで無料で行っていた送迎を有料化し、ガソリン代程度の自己負担は個人にしてもらうことにしました。1回往復100円程度。距離別に遠いほど安くするように距離別計算を取り入れることにしました。
以前から送迎に関しては論議を重ねてきました。無償か、有償か。結局は自分の車やバイクで来る人との格差をなくすため、少しは取らなくてはいけないと考えてはいたのですが、作業所の交通経路が不便なため、送迎もやむなしと考えてきましたが、送迎を必要とする人が多くなり、送迎に時間をとられ、指導や作業が出来ないことが多くなり始めた為、職員人材の募集と、経費の削減を念頭に動くことにしました。「与えることはたやすい、自ら動くという経験が大切」今朝のテレビでやっていたドキュメントを見て考えの結論を出しました。

 と同時に、宮沢賢治の詩を思い返し、HPにも掲載をしました。「雨にも負けず」あの歌を詠むたびにボランティアの精神とはまさにここにあるといつも思わされ、自分もそういう人になりたいと強く思います。でも、福祉の飼い殺しはしたくない。障害当事者の自立自活、それを目指して立ち上げた作業所。当事者意識から変えなくては事業家は難しい。してもらうことを当たり前と考える当事者もいる。その間違った考えを改めさせるには相当の苦労が要る。「してもらうことを当たり前と考える当事者。することを当たり前と考える福祉関係者」それでは本当の自立など出来はしない。福祉はあくまでも手助けであり、必要なのは当事者の生き方考え方。どう生きるか、どう過ごすか。その手助けを福祉がする。あくまでも福祉は手助けであり、「すべてをしてあげる」ものではない。それを当事者に自覚してもらうには苦労する。なぜ自分が身銭を切って赤字でも作業所を運営するのか、この辺りで考え方を自分自身正さなくては。

 必要とする人が必要とする情報や、交通手段を利用できる環境整備、今の高知に足りない部分。それを少しでも早く改善してもらい、障害当事者が自らどこへでも自由に出かけられる社会になってほしい。道路整備ばかりしているにもかかわらず、一向に段差や急なスロープはなくならない。点字ブロックは捻じ曲がり、役に立つどころか逆に惑わす。それを口に出せば土木課からクレームがつく。クレームつける前に直す気はないのか。行政体質がこういうところに出ている。年度末、いたるところで道を掘り返し、迂回路ばかりの高知市内。そんなところで予算を使わず、福祉に回してくれ、市長。知事。

IT革命とやらで、今年度から特別予算がつき始めたらしい。しかしながら毎度の入れ物ばかり作る行政体質で、中身がない。パソコンは入れても使える人間がいない。視覚障害者に指導する講師もいない。行政の不足部分を当作業所が補っている現状をどう感じられるだろうか。次年度の予算申請の折の今年度の実績書を行政が見たらおそらく驚愕するだろう。誰かが泣かなくては運営できない作業所。うちの場合は母親か。「仕事にもならない(自分の給与も取れない)作業所などやめてしまえ」何度そう罵声を母から浴びせられたことか。営業成績は確実に上がっている。でも収益がいくらあっても設備投資で赤になる。なぜならパソコンが助成金では買えないから。収益と自分の給与で買うしかない。まさにボランティア作業所。それでも何とか初年度は越しました。

 現在びーねっとでは、ボランティア精神にあふれる職員を募集しております。パート職員で結構です。自給700円から800円で週4日間、午後1時から5時までの4時間勤務してくれる方がいましたらご応募ください。尚、高知市職業安定所にも募集を出しておりますので、ご希望の方がいらっしゃいましたら職安で紹介状をもらってきてください。即決します。詳しくはお問い合わせくださるか、職安で募集内容をご覧ください。

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