100文字で書いた小説です。

世界で一番美しい本

【貴婦人】



貴族の青年は嬉しかった。

今日やっと、装丁を頼んでいた本が届いたからだ。


異国から来たあの方に差し上げよう。

美しいあの人も、この本を見たら憂いを忘れるに違いない。


彼女が笑顔になりますように。

祈りを込めて。





【娘】



ねぇ! 私に頂戴な!

貴婦人の娘は特にその本を気に入っていた。

手に馴染む革の表紙に、金箔の模様。

遥か異国を思わせるデザイン。

何と書いてあるのか、彼女は読めなかったけど。

母は微笑むだけで教えてくれなかった。





【弟】



まるでお守りの様な本だった。

母がいつも持っていたからかもしれない。

自分も勿論片時も放さなかった。


だけど…


娘は弟に本を手渡すと、彼はしっかり胸に抱いて家を出て行った。

どうか無事で…

軍服の背に祈りを捧げ。





【敵の将軍】



将軍は戦地で本を拾った。

端の方は焦げているが、今尚それは美しい。

彼は馬を降りページを捲った。

敵の国の言葉だ。

しばし考えた後、将軍は煤を払い本を懐に隠した。

雨に膨らんだ本は、彼の胸で軋んだ音を立てた。





【王様】



戦が終わり幾年が去った。

将軍は彼の王に一冊の本を献上した。

ふんだんに使った金箔の押し。

さる貴族の紋章の付いた。


王様は一目で気に入り、将軍を元帥に取り立てた。

王様は何度も模様を指で辿り、ため息をついた。





【王妃】



王妃には子供がいなかった。

王は子宝に恵まれなかった。

王妃は王にねだり、ついにその本を手に入れた。


きっとこれで御子を授かるわ!

昼は胸に押し頂き、夜は枕の下に。


白い顔に薔薇色の唇。

金の巻き毛の御子を賜れ!





【大臣】



贅沢の限りを尽くした王様は、処刑台の露と消えた。

革命を起こしたるは名も無き民衆。

雪崩の如く、王宮に押し寄せ、新たな礎を築かんと奮い立った。


一人の男が、隠されていた本を見つけた。

その男は後に大臣になる。





【スパイ】



竜王遊び 露と儚き 鬼見城や

素人ばかりの政権に他国のスパイが放たれた。

甘き言葉に惑わされ、大臣の言は右往左往。


私は正しい!

どうして愚衆はわからぬのだ!


本に話しかけ怒鳴る大臣を、スパイは静かに見つめていた。





【マフィア】



スパイは女を騙し暮らしていた。

身分も名前も偽って。


女は男が去って、全てを知った。

あの男を殺して頂戴!

愛も体裁も失って。


男はトカレフを手に男に近付いた。

至近距離から放たれる銃弾!


男は雪の小道に息絶えた。





【愛人】



コールガールには夢があった。

全ての男女を服従させる。


ある日呼ばれた寝室で古い本を見つけた。

血と火と涙に汚れた本を。

女は悟った。

この本が幸運を連れて来てくれるわ!


たくさんの人に大事にされてきたんだもの!





【古本屋】



通りから見える小さな窓に、レースのカーテンが架かっていた。

世界で一番美しい本は、装丁師の手によって輝きを取り戻した。

今は一番美しいページを開いて窓辺に飾られている。

色の褪せたインクは時を物語っていた。





【私】



どっしりと重たいのは歴史故か。

私はプカリと煙管を吸って、一行の文字を指でなぞった。

ここだけ色が薄くなっている。

誰かが何度も辿ったのだろう。

私は目を閉じ思いを馳せた。


本よ。

お前の記憶に私も加えておくれ。
 
 


2010.6.27