ひととせ

葉月



煩い程に蝉が鳴いていた。

木一本辺り、最低10匹はいるのではないだろうか?

土方はそんなコトを考えながら、土手を歩いていた。

「ったく、ちったぁ静かにできねぇのかよ……」

単調なリズムが、ワンワンと頭が割れそうなほどの大音量で渦を巻いている。

土方は流れる汗を拭って、ぐったりと太陽を見上げた。

「暑ぃ……」

背中にぴったりと密着する行李に、汗がそこだけ集中して浮んでいる。

このままだと湯気で大切な石田散薬がふやけてしまわないだろうか。

「チッ……面倒くせぇ……」

歳三は行李を背中から下ろすと、片方の肩に担いで、着物の胸元を寛げて乱暴に仰いだ。

じりじりと容赦なく太陽は照りつけ、地面からも湯気が上っているように見える。

遠くの方に見える水溜り。あれは恐らく逃げ水だろう。

 

折りしも今は真昼だ。

一日のうちで最も暑い時だ。

(少し位休んだところで、バチは当たるめぇ)

ひっきりなく流れ落ちる汗を拭って、ちょうどよい木陰を探して頭を巡らせる。

 

パシャリ。

 

小さな水音が響いた。

(何だ?)

魚が跳ねたのだろうか?

その音に、ピタリと蝉は鳴きやみ、当たりは奇妙な静寂に包まれる。

ピンと張り詰めた緊張感。

土方も流されるままに気配を消し、誘われるように涼しげな音を探す。

 

様子を伺っていたカワセミが、遠慮がちに囀り始めた。

土方は注意深く浅川に沿って歩いた。

 

パシャリ!

 

まただ!

「――あ」

土方は川の中ほどにいる人物に気付いて、目を丸めた。

見ればそこに、同門の中島登がいるではないか!

中島と土方は同門だったが、師は違う。

しかし事あるごとに試合や合同稽古をしていたので、お互いに顔は知っていた。

中島のイナセな苦みばしった顔。

彼の反骨精神を物語るように、方眉を跳ね上げ頬を歪めて笑う癖。

決して仲がよいというほどの間柄ではなかったが、土方はこの男が嫌いではなかった。

(何してるんだ?)

中島の真面目そうに引き結ばれた唇を見ると、むくむくと悪戯心がわいてくる。

彼は真剣な目をして水面を睨みつけている。

腰に下げているのは魚篭。

ははぁ。

土方は合点した。

どうやら中島は、鮎を釣っているらしい。

浅川の鮎は、美味いことで有名だ。

 

サラサラと音を立てて流れる水面――水から突き出る岩の上でさえずるカワセミ。

煩い蝉のざわめきの中にあってもなお、中島は涼しげに顔色一つ変えずに佇んでいる。

尻端折り露になった脚を水に浸して――

 

熱をふくんだ風が音を立てて通り過ぎ、木の葉を揺らした。

「おーい! 中島ぁ!」

土方はわざと大声を上げて、その切り取られたような緊張感をぶち壊すと、足音高く土手に下りていく。

中島は魚を逃したのだろう。渋面を作って振り返った。

(俺がこんなに暑い思いをしてるってぇのに、テメェだけ涼んでいたバツだ!)

そんな理不尽な事を思いながら、土方は行李を川原において着物を投げ捨てると、歓声を上げて川に飛び込んだ。

 

「土方さん……」

呆れたような中島の声もどこ吹く風。

ばしゃばしゃと水しぶきを上げて子供の様に泳ぐ土方を見て、中島も破顔すると脱いだ着物を丸めて川原に投げた――!

 

ザンッ――!

 

高く上がった水しぶきに驚き、カワセミが逃げていく。

熱を吸収した身体が、急速に冷やされていく。

二人はゆったりと泳ぐと、示し合わせたように潜り、にやりと笑った。

どちらともなく、どちらがより長く潜っていられるか、意地の張り合いが始まる。

 

青く碧く透き通る水底に、太陽の光がゆらゆらと帯の様に揺らいでいた。

 



2007.2.28