幼い頃、土方歳三には友達があまりいなかった。
親の影響だろう。近所の子供達は、 『お大尽の家の子』 と歳三を特別扱いし、腫れ物にさわるように遠慮がちに接したからだ。
そんな子供たちの中にいても、面白くはない。
どんなに大勢の中にいても、孤独を拭い去る事はできず。歳三は段々と子供たちとは遊ばず、家にこもる様になった。
年の離れた兄、為次郎は歳三の恰好の遊び相手だった。
「あんちゃん。あそぼ」
舌足らずな子供特有の高い声でそう言っては、背中に覆いかぶさってくる歳三を、為次郎もことのほか可愛がっていた。
小さな歳三の肉厚の手は、まだぽつぽつと笑窪が残っている。
歳三は兄の背中にぶら下がっては、彼の話す難しい漢文や歴史物語を聞いたり ( 何しろ兄は、子供の扱いに慣れてはおらず、どのようなものを好むのか分からなかったから
) 、為次郎のガッシリとした肩に顎を乗せて、浄瑠璃を聞いたりしていた。
太棹を滑る兄の指先を目で追いながら、首筋に顔を埋めて小さな手で兄の髪を指に巻きつけて遊ぶ。
すっかりと夏座敷に変わった部屋を、風が通り抜けていく。
畳の上にひかれたあじろが、足の裏にぺたりと冷たくて心地良い。
襖は簾戸に。
障子は御簾に。
畳の上にはあじろをひいて。
柔らかな太陽の光が、立て簾越しに入って部屋をオレンジ色に染め上げる。
軒先に揺れるのは釣りしのぶ。
襷をかけた女中が、籠に一杯の洗いたての野菜を持って、裏口に向かって歩いていくのが見える。
2番目の兄、喜六が何かを言っているのが聞こえる。
内容は――もうわからない。
うとうとと、歳三は兄の太い首に腕を回して目を閉じた。
「……歳三?」
兄が自分の名を呼ぶのが聞こえる。
外と家を隔てるのは、立て簾だけ。
子供たちがはしゃいで笑いながら、家の前を走っていくのが聞こえた。
為次郎は自分の肩にすっかりと体重を預けて、腕をだらりとたらした歳三に、三味線を置いてもう一度小さく名を呼んだ。
ガクリ。
身体を揺らして歳三が目を覚ます。
「……うー……」
ごしごしと小さな手で目をこすりながら、歳三は不機嫌そうに唸ると、為次郎は苦笑して、歳三の小さな身体を胡坐の上に抱き上げた。
腕に抱え込むと、直ぐに歳三が身を摺り寄せてくる。
(まるで犬猫のようだな)
弟のあどけない仕草に小さく笑って、肩を23度軽く叩いてやると、すぐに小さな寝息が聞こえてきた。
絽の着物は、柔らかな幼子の頬にはちくちくと痛いらしい。
顔をしかめて小さく唸ると、歳三はごそごそと居心地のいい場所を探すように身じろぎして、為次郎の曲げた肘に頭を預けて落ち着いた。
小さな手にしっかりと袖を握り締められて、為次郎は身動き一つ出来ない。
「やれやれ……」
為次郎は苦笑すると、しっとりと柔らかな弟の頬を愛おしそうに撫でて
(句でも捻るか……)
外の音に耳を済ませた。
喜六の妻が、忙しそうに廊下をパタパタと走る音が聞こえる。
(おや)
まだ小さな稲が音を立ててそよぎ。
風に乗って、今年初めての蝉の鳴き声が聞こえてきた。
「雨上がり蝉の鳴き初む朝(あした)哉」
窓のところで風鈴が涼しげな音を立てた。
歳三の穏やかな寝息を聞きながら、為次郎は口元に小さく笑みを浮かべた。
2006.8.22
【語句説明】
(お大尽)
大金持ち。土方家は、大百姓だった。
(太棹)
三味線の種類。
胴も弦も太い物。
(夏座敷)
襖や障子を風通しの良いものに換えた、夏仕様の座敷。
(あじろ)
畳の上にひく、夏用の敷物。植物を編んで作られる。ひんやりと冷たくて気持ちいい。
(簾戸)
夏障子とも言われる。紙ではなく、すだれをはめ込んだ障子。
(釣りしのぶ)
苔玉の元祖。
木炭などの芯を水苔を丸く包み、しだとかをはやしたもの。
江戸時代駒込付近には、植木職人さんがたくさん住んでいて、彼らがお屋敷にお中元としてもっていっていたものが広まった。
(絽の着物)
夏の着物の一種。
シースルーみたいな感じ。見た目は涼しそうだけど、実は結構暑い……。