ひととせ

長月



雨戸が吹き飛ばされるか、というほどの大風が吹いていた。

耳を劈く雷鳴。

風はゴウゴウと恐ろしい唸り声を上げて家を揺らす。

土方歳三は、姉らんの腕の中で息を潜めて身を縮こまらせていた。

きっちりと雨戸を閉めているせいで、部屋の中は暗い。

隙間風に倒されないよう――もちろん部屋の中に、そんな強い風は吹き込んできてはいなかったが――行灯は部屋の中央でぼんやりとオレンジ色の光を放っている。

今が昼なのか、夕方なのか。それとももう夜になったのかはわからなかった。

「らんねぇちゃん」

大きな声を上げると雷様に家を吹き飛ばされてしまいそうな気がして、歳三は囁くような声で姉を呼ぶと、まだ幼いらんは

「大丈夫よ」

と言って小さな歳三の身体をぎゅと抱きしめた。

歳三とらんは、従兄弟の佐藤彦五郎の家にいた。

一昨日までは長兄為次郎も一緒だったが。昨日になって為次郎は突然

「嵐が来る前に帰る」

と言って帰ってしまったのだ。

為次郎は当然まだ小さな妹弟も連れて帰ろうとしたが、二人は嵐が来ると聞いて、必死に被りを振って

「ここにいる!」

と言って聞かなかったのだ。

頑として動こうとしないらんと歳三に、為次郎は困ったように彦五郎の方に顔を向けると、彼は白い歯を見せて、三人の不安を吹き飛ばすような明るい笑い声を立てた。

「なぁに! 心配は要らないさ、為次郎さん。二人はオレがしっかりと見ててやるから!」

彦五郎の声に背を押されるようにして為次郎は帰り。

そうして二人は佐藤家に残ったのである。

 

長兄為次郎は雷がてんで駄目だった。

もう一人の兄喜六はしっかりものだったが厳しく、嵐が恐いから一緒にいてくれなんて頼むことはできない。

その点従兄弟の彦五郎は優しいし頼りになる。

頼めば一晩中だって一緒にいてくれるだろう。

彦五郎は11歳で日野本郷名主、宿問屋役、組合村寄場名主を継いだというしっかり者だ。

さっぱりとした明るい性格の彼が、二人は大好きだった。

 

「らんねぇちゃん」

「大丈夫よ」

家が音を立てて揺れる。

瓦が飛んでいったのだろう。何かがぶつかって壊れる音がする。

雷はバリバリと鳴り響き、何か得体の知れない怪物が外で暴れているような心地がして恐ろしかった。

歳三は目を恐怖に一杯に見開いて、姉の着物をしっかりと握っていた。

彦五郎は村の中を見回ってくる、と出て行ったきり帰ってこない。

二人の心に不安が広がる。

姉弟が暗闇の中、震えながら抱き合っていると。突然大きな物音がして戸が開いた!

何か大きな物が、水を滴らせながら転がり込んでくる!

「ヒ!」

「きゃ!」

らんが引きつったような声をあげ、歳三は悲鳴を上げてひしとらんにしがみ付いた。

「あー! まいった、まいった! 下帯の中までびしょぬれだ!」

「え?」

「ひこ、ごろう、さん?」

聞こえてきた声に恐る恐る歳三が声をかけると、

「ん?」

彦五郎は振り返って二人を見つけると、眉尻を下げて苦笑した。

「歳三に、らんちゃんかぁ。こんな所でどうした?」

「彦五郎さんを待ってたの」

「いたの」

「オレを?」

「うん」

姉弟揃って仲良く頷いて、二人はジッと彦五郎を見つめる。

彦五郎はよく似た可愛い二人の姉弟に見つめられて、照れたように

「ハハ」

頬をかきながら小さく笑うと、らんはハッと気付いたように手ぬぐいを持って彦五郎の下に駆け寄った。

「おー! スマンスマン」

「心配したんですよ!」

「かみなりさまに、たべられちゃったかと おもった」

「ん? 雷様にか」

彦五郎はガシガシと頭を拭きながらきょとんと二人を見ると、次いで大きな声で笑い始めた。

「大丈夫だって! 雷様だってオレの足には追いつけないよ」

「ひこごろうさん、はしるの、はやいもんね!」

「おお! わかってんじゃねぇか!」

「でも……川に落ちたりしてやしないかって……ずっと、心配で……」

安心したのか、とたんに声を詰まらせるらんに彦五郎は慌てると、彼女の目線に合わせるように膝を付いてらんの頭を撫でた。

「大丈夫だよ、らんちゃん。もうどこにも行かないから」

「本当?」

「ああ、ずっとここにいるよ」

彦五郎の言葉を聞いて、らんが彦五郎に抱きつく。

震える小さな身体を抱きしめて、ポンポンと宥めるように背中を叩くと、

「歳三!」

彦五郎は、指をくわえてもじもじと彦五郎を見ている歳三に気付いて、片腕を広げて名前を呼んだ。

歳三はパッと顔を輝かせて、歓声を上げて腕の中に飛び込んでくる。

彦五郎は二人をしっかりと抱きしめると、どっかと座って色々な面白い話を身振り手振りを交えておもしろおかしく話してくれた。

 

薄暗い部屋の真ん中には、行灯が煌々と燈り。三人の笑い声は、いつまでも絶えることはなかった。

 

嵐の音は、もう気にならなかった。

 

 

2007.1.9