星一つない夜だった。
どこから漂ってくるのか。金木犀の香りがする。
どんよりと空には分厚い雲がかかり、月は見えない。
雨が降るのか。空気は湿気を含んでじっとりと重たく、生暖かかった。
土方は、濡れ縁に座って刀の手入れをしている斉藤一を見つけると、息を潜めてそろりと忍び足に近づいた。
「――何か用か?」
「チ」
今日こそは背中を取れると思っていたのに!
斉藤は後ろにもう一つ目があるらしい。
土方が舌打ちをしてドカリと斉藤の横に腰を下ろすと、
「……土方さん、か」
斉藤はそこで初めて彼だと気付いたように小さく呟いた。
「誰だと思ったんだよ?」
「いや……」
斉藤は鋭い目でチラリと土方を見ると、それきり無言になってまた刀の手入れを再開する。
開け放した障子の向こうには、行灯がひとつ燈っていたが。ここは暗い。
星の一つでも出ていたら、また違っただろうが――。
斉藤は背筋をまっすぐに伸ばして、真剣な目で刀身を眺めている。
筋張った手。分厚いタコのできた手には無数の刀傷がある。
斉藤は後ろから行灯の火を受けているため、体の半分は闇の中に沈み、もう半分はオレンジ色の光と濃い影を纏っている。
チキリ。
斉藤が手の中で、刀を確かめるように握り締める。
刀身に光が反射し――彼岸花が闇の中でどす黒く咲いているのが見えた。
月――?
刀に反射した光源を探して土方は顔を上げたが。空にはやはり星一つない。
斉藤は、隙のない流れるような動作で刀を鞘に収めると、土方に向きなおった。
鋭い眼差し。
きつく結ばれた口元。
そげた頬。
厳しそうな端正な顔立ちが――濃い陰影をまとって自分を見ている。
土方は、知らず口の中にたまったつばを飲み込んだ。
目の前に、自分の夢を具現化したような男がいる。
武士――。
自分が求めてやまない、夢。
惹かれる様に斉藤を見ていると、斉藤はわずかに口元を緩めて厳しい顔に小さな笑みを浮かべた。
「土方さんはよほど刀が好きと見える」
「へ? あ、ああ……」
憧れているのは刀じゃなくて武士であるアンタだ、なんて言える訳もなく。土方が曖昧に頷くと、斉藤は嬉しそうに土方に刀を差し出した。
「よければ」
「い、いいのか?」
差し出された刀に、恐る恐る指を伸ばして受け取る。
手にしたそれはズシリと重たく、冷たい剣気を纏っていた。
斉藤は鋭い抜き身の刀のようだ。
黒い漆塗りの趣味の良い太刀。
装飾性よりも実用性の勝ったそれを手にしながら、土方はそっと斉藤を盗み見た。
闇の中で腕を組んで満足そうに小さな笑みを浮かべる彼は。
この上もなく恐ろしく。ゾッとするほど美しい悪夢のように思えた。
2007.1.8
此れを書くまで、斉藤さんの事を忘れていました。アレ?
ゴメン!! 斉藤さん!!