頬に傷のある男
「こんな所にいやがったのか! おう、坊主。何してる? お前一人なのか? 父ちゃんはどうした?」
男は矢継ぎ早に言って、私の返事を待つようにじろりと鋭い目を細めた。
良く通る大きな声に、巻き舌気味の早口。
それだけでも迫力があるのに、中肉中背のその人は、初老にしてはがっちりと筋肉まで付いている。
ど、どうしよう?
サァっと血の気が引くのがわかった。
もしかしたら、本当に林太郎さんが捕まえた人の仲間が、お礼参りにきたのかもしれない。
全身の毛穴と言う毛穴から、ぶわっと汗が噴出した。
鼓動が早くなり、緊張に喉がカラカラになる。
一人かって聞かれて、はいそうですなんて言えない!
言ったらどうなるのかわからない!
後ずさろうとして地面を引っかいたが、腰が抜けているのか悪戯に地面に爪の跡を引くだけで、私の体はちっとも動いてくれなかった。
ううん違う。
腰が抜けてるんじゃない!
足が動かないんだ!
私はぎょっとしてジンジンと痛む足を見た。
何だか熱を持ってきたような気がすると思っていたら、あ、足が紫色になってきている……!
な、何これ!?
何これ!?
何で!? あ、足、お、折れちゃったのかな!?
私はパニックになって、男の存在も忘れて震える指で足を触った。
私の足はこの短時間で見たこともないくらいに腫れている。
そこだけぼっかりと膨れて、自分の足じゃないみたいだ!
どうしよう! 怖いよ!
「……ふぇ……」
目から涙がこぼれた。
こんな時に誰もいないなんて!
どうしよう!
こんな時代じゃ整形外科だってない。
うちはお金もないから、お医者に掛かることもできない!
「おい!」
突然泣き出した私を見て、さっきより幾分か大人しい声が聞こえた。
そうだ。
今はこの人がいるんだった!
は、早く追い返さなくちゃ!
もし姉さんたちが鉢合わせたらまずい。
泣いてる場合じゃない!
私は慌てて腕で目をこすると、キッと男を睨みつけた。
男はさっきよりは威勢をなくした様子で、どことなく……私の気のせいじゃなかったら、どことなく心配そうな顔をしている。
あれ……?
私はもう一度目をこすると、男の顔色を伺った。
やっぱりそうだ。
さっきとちょっと雰囲気が違う。
も、もしかしたら……そんなに怖い人じゃない、のかな?
い、家に誰もいないって言ってみようかな。
そうしたら帰ってくれるかな?
男の顔には、額から頬にかけてざっくりと傷跡がある。
私はゴクリとつばを飲み込んだ。
だ、ダメだ。
やっぱり怖い!
一人だって知られたら、何をされるかわからない!
体の震えが止まらない。
どどど、どうしよう!
どうしよう!!!
こんなときに限って、源さんもいない。
ダラダラと汗をかきながら考えていると、その人が目の前でしゃがむのが見えた。
ビクリと肩を跳ね上がった。
わ、私が何も言わなかったから?!
もしかして怒った!?
男はヤンキー座りをして私を見下ろしている。
怖くて怖くて、半ばパニックになりながら、お尻をつけたまま後ずさろうとしたが、足に痛みが走り私はヒュっと息を飲み込んだ。
どうしよう! 立ち上がれない!
怖くて助けを求めるように顔を上げた私の視界に、男の腕が飛び込んできた。
「ヒッ!」
何をされるのかわからず、体が硬直する。
成すすべもなく、私はギュッと目を閉じた。
瞬間襲ったのは激痛!
男が力の加減もせずに、私の足を掴んでいる!
掠れた悲鳴を上げた、と思ったがあまりの痛みに声にならず、私は鋭く息を吐いた。
「……骨は折れちゃいねぇようだな」
「…え?」
「……一人で畑に水をやってたのか?」
「う、うん……」
男が手を離す。
私は、びくびくしながら頷いた。
な、なんなの?
い、痛いことをされたけど……言ってることは、あまりに普通で。
ちょっと拍子抜けする。
だけど。油断なんかするもんか!
私はじりじりと男から距離を取ると、震えながらそっと男を伺った。
この人……一体何?
顔は怖いけど、言ってることは怖いことじゃなくて……。
だからこそ、男の意図がつかめなくて気持ち悪い。
私が戸惑っているのがわかったのか、男は唐突に私の頭をガシリと掴んで揺するように撫でた。
私は今度こそ口をぽかんと開けて、男の顔を凝視した。
男っぽい太い髷にねじり鉢巻。
時代劇によく出てくる、め組みたいな法被を着て、その上から帯をギュッと締めている。
年齢は……50後半からいっていたとしても60半くらいだろうか。
眉間に深く刻まれた皺に私はビクリとしたが、男は自分の顔が怖いと自覚しているのだろう。
苦笑いして誤魔化すように私を腕に抱き上げた。
「う、わ!」
ひょいとあまりに軽々しく持ち上げられ、慌てて男にしがみつく。
男はそのまま何の躊躇いもなく玄関をあけると、土間にそっと私を降ろして辺りを見回した。
「おい! 厨はどこでぇ?」
「く、厨?」
って台所?
そんなところに初対面の人が、一体何の用事があるの!?
困惑してオドオドと男を見上げると、
「焼酎はあるのか?」
凄みのある声が振ってきた。
しょ、焼酎!?
私は慌てて頭を振った。
うちにそんなぜいたく品、あるわけない!
そもそも、何で人の家に来て、酒を飲もうとするのよ!
やっぱり怖い人なのかもしれない……。
大人が帰ってくるまで、飲んで待ってようってこと!?
私は着物をギュッと握って、今度こそ後ずさった。
「おい!」
男は気が短そうに返事を急かしたが、私は涙目になって必死で頭を振った。
男が苛立たしそうに舌打ちをする。
どうしよう!
どうしよう!
こんな時どうしたらいいのかわからず、私はただただ目を見開いて男の動向をうかがっていた。
どうしよう! 家に入られちゃったよ!
2010.6.30