幕末 沖田総司 成り代わり

あの石段を飛び越えて

 

「いい薬がある」

そう言って差し出されたのは、なんと石田散薬だった!

えええっ!?

な、何で、大野さんがこの薬を持っているの!?

これって、土方さんが売ってた薬だよねぇ!

 
 

さよなら



 

 
あれから大野さんの家に連れてこられた私は、彼に手当てをしてもらって、部屋でくつろいでいた。

大野さんは大工の棟梁をしているらしい。

立派な一軒家に住んでいる。

 

奥さんは、今どこかに出かけていないらしい。

大野さんは奥さんがいないことにぶつぶつ文句を言うと、薬箱を手に自ら私の手当てをしてくれた。

それから、

「ちょっと、ここで待ってろぃ」

と言い残し、どこかに行ったかと思うと、湯のみと石田散薬を手に戻って来たんだ。

 

思わず驚いて、差し出された薬包紙を凝視する。

石田散薬の見た目は――何と言うか、黒い炭の粉?

 

こ、これ飲むのちょっと抵抗が……!

い、いや石田散薬は私の憧れの薬だけれどもっ!

土方家特製の薬だって思うと、炭も黄金に輝いて見えるけど!

いろんな意味で飲みたくない!

飲んでなくなっちゃのがもったいないっ!

ひ、土方さんに会えるまで、大事に持っておきたいって、ファンならそう思うでしょ!?

(決して、まずそうだなんて思ってないよ! 苦そうだとは思うけど……)

 

いろんな意味で、手が震える。

だけど大野さんには、私が薬を飲むのを嫌がっているように見えたらしい。

(いや、まぁ飲みたくないのは当たってるけど)

彼は

「貸してみろィ!」

私の手から素晴らしき薬、石田散薬を奪い取ると、ぐいと私のあごを掴んで、無理やり薬を口に流し込んだ!

「む、ぐぐ!」

こ、粉! 粉末が喉に張り付く!

むせそうになった時、勢いよく口に酒が流し込まれた。

何これ!? どんな拷問よ!?

吹き出したい。

だけど、大野さんの手で口を押さえられているせいで、吐き出すわけにもいかない。

は、鼻から酒が出そう!

器官に薬が入りかけたのが苦しくて、咳き込みたくてしかたがないけど、飲み込むまで大野さんは許してくれそうにない。

私は目に涙をためながら、こみ上げてくるせきを必死に抑えて、薬を飲み込んだ。

 

「くはっ!」

い、息できない!

激しく咳き込む私の背中を、大野さんはさすってくれるけど!

軽く、死にかけたよ! 今!

うう。

日本酒を一気飲みしたせいで、喉が焼け付くように熱い。

頭が、ぐらぐら揺れ始める!

よ、幼児に日本酒はきついからっ!

 

目の前が真っ暗になった。

私は意識を手放した。

 

 

×××

 

 

話し声が聞こえた。

あれは――みつ姉さんの声だ。

なんだろう。

何だか不穏な感じ……。

今まで、姉さんが声を荒げたところなんか見たことなかったのに、姉さんは切羽詰ったような声で何かを叫んでいる。

きん姉さんが泣いている……。

何があったの?

必死に姉さんを宥めているのは、林太郎さん。

ここはどこ?

どうして、私起きられないの?

頭の中がふわふわして、うまく聞き取ることができない。

だから、姉さんたちがなんで怒ってるのかわからない。

 

大野さんの声が聞こえる。

私と話していたときとは違う、落ち着いた言い聞かせるような声だ。

その声に、きん姉さんがいっそう激しく泣き出した。

だめだよ!

姉さんを苛めないでよ!

 

私は皆が何を話しているのか、必死に聞き取ろうとしたけれど、頭がぼんやりと霞んで、何を言っているのか聞き取ることができない。

 

ややあって、姉さんたちのすすり泣きしか聞こえなくなった。

私は、暗い部屋に一人寝かされていた。

きっとお酒のせいで倒れたんだろう。

まだ脳がはっきりと目覚めていないせいで、体を動かすことができない。

私は、夢と現の間をさまよっていた。

早く起きなくちゃ!

焦れば焦るほど、身体が布団に吸い付けられたように重たくなっていく。

もしかしたら、熱があるのかもしれない。

高熱に浮かされているから、頭の中が熱くてぼんやりしているのかもしれない。

 

ややあって、林太郎さんの落ち着いた声が聞こえてきた。

今まで聞いたことがないような、硬い決意のこもった声だ。

「宗次郎を、よろしくお願いします」

しっかりとした、威厳のある声に、姉さんたちの泣き声が大きくなる。

大野さんは何て言ったんだろう?

安心させるような、力強い声だった。

 

それから――

瞼の裏が、かすかに明るくなった。

襖が開いたんだろう。

誰かが部屋に入ってきた気配がする。

ふわり。

土の匂いと、きん姉さんの匂い袋の香りがした。

 

「宗次郎」

 

姉さんたちは、口々に私の名前を呼びながら、腕といわず頭といわず撫でてくれる。

どうして、そんなに哀しい声をしているの?

姉さんたちは感情を抑えきれず、声とともに涙を流している。

 

「宗次郎」

林太郎さんの声がした。

痛いくらいにぎゅっと手を握り緊められる。

林太郎さんの、固いゴツゴツした指。

荒れた手が――震えている。

骨が折れそうなほどの力で、林太郎さんは私の手を握り緊めると、自分の額に押し付けた。

 

ああ、そうか。

私は思い出した。

総ちゃんは、家族と離れて暮らしていたんだよね。

家計の苦しさから、口減らしに出された――って、昔本で読んだことがある。

そっか……。

私、もう家に帰れないんだね。

そか……。

 

私がいなかったら、もう少しおなかいっぱい姉さんたちも食べれるよね。

私のせいで……。

私に少しでもたくさん食べさせようとするせいで、姉さんたちはかわいそうな位に痩せている。

私がいなければ、きっと……もう少し、生活は楽になるよね。

 

泣かないでよ。

私は、それでいいから、さ。

私の手はまだ小さいから、姉さんたちを守ることができない。

だから、これが最善の方法なんだ。

林太郎さん、どうか自分を責めないで。

姉さん、どうか自分を責めないで。

 

声を出せないのが恨めしい。

 

ややあって、林太郎さんは私の手を離すと、姿勢を正したのだろう、衣擦れの音が聞こえ、畳にスと手を付く気配がした。

林太郎さんが、深々と大野さんに頭を下げる。

姉さんたちも、泣くのをこらえ、それにならう。

 

きっと、朝目が覚めたら、もうそこに姉さんたちの姿はない。

私は、沖田家に戻ることはないだろう。

 

家に来い。

大野さんがそう言ったのは、手当てをするためだけじゃなくて、家で預かってやるそういう意味だったんだ。

 

目が覚めたら、新しい生活が始まる。

だけど大丈夫。心配しないで。

私きっとうまくやるから。

こう見えても私、精神年齢は姉さんたちよりもずっと大人なんだから、さ……。

 

 

2010.10.31