はじまり
私の幸せな生活は、突然終わりを告げた。
父が死んだ。
まだ、若かったのに……。
死ぬような年齢じゃなかったのに。
もしかしたら、現代で言う過労死に近かったのかもしれない。
私たちを養うために一生懸命、働いて、働いて――眠るように息を引き取ったんだ。
それからが大変だった。
私はまだ2歳だし……いくら精神が大人だって言っても、みんなはそれを知らない。
(言っても絶対信じてもらえないし)
この時代は個人主義じゃなくて、家単位で全てが運ぶから、沖田家を継ぐものがいなければ、お家断絶も免れなくなる。
母さんも姉さんも泣く暇もないくらいに忙しく走り回って、そして見つけた。
沖田家を継いでくれる人を。
それが、例え沖田家の武家の株を売るということになっても――。
沖田家をなくすわけには行かない。
それは母さんにとって、武士の妻としてのプライドと義務だったに違いない。
名目上の武士の身分を売って、養子という形で相続してもらう。
それが、武家の株を売るということだ。
そうすれば、沖田家はなくならない。
私にはまだわからなかったけど、この時代江戸の物価は物凄く高かったみたいだ。
でも、そうまでして守らなくちゃいけない感覚が、私にはわからなかった。
武士の身分は……そこまでして守らなくちゃいけないものなのかな?
土方さんがあれほどまでに欲した武士の身分は、この時代の人たちにとってそれ程尊いものだったのかな。
私にはわからない。
だって……。
母さんは、父さんと同じように――
まるで後を追うように、儚く死んでしまったのだから。
私にはわからない。
どうしてそこまで、みんな武士に固執するのか。
私が……
平成時代の記憶を持っているからなのかな。
だから……!
この時代に、馴染めないの、かな……。
沖田家の武家の身分は、日野の豪農、井上林太郎という人によって買われ相続された。
姉たちは肩を寄せ合い、いつもの布団の中、安らかに眠る母の死に顔をじっと見つめていた。
父さんが死んで、母さんが死んでも。
私には、実感がわかなかった。
この世に生を受けて、二年。
両親と過ごしたのは、たったの二年だったから。
死んでも、私と同じようにどこかで生まれ変わって、幸せになっているかもしれない。
そんな風に逃げ道を作って、悲しみをやり過ごしていた。
まだ若い母さん。
かつて生きていた私と、あまり歳の違わない母さん。
どうして、死んでしまったんだろう?
(あなたは馬鹿だ)
こんなに小さな、姉たちを残して。
まだ家を継ぐことのできない、幼い長男を残して。
ねえ、いくら私の精神が大人だって言っても、身体はまだ2歳なんだよ?
どんなに望んでも、姉さんたちを守れやしないんだよ?
ねぇ、母さん。父さん。
どうして働きすぎて死ぬくらい、無理をしたの?
家族のことを思うなら、もっと体を休めて――ずっと長生きをしてほしかった。
ああ、
姉さんたちが泣いている。
こんなに小さな手じゃ、姉さんたちを助けることもできない。
悔しくて、哀しくて――
辛い。
無力な自分が。
母さんを父さんを助けることができなかった、幼い身体が。
あなた達は、馬鹿だ。
あなたたちが生きていなければ、他人が沖田家を継ぐしかなくなるじゃないか!
そんなことで、本当に家を守ることができた、って言えるのか?!
あなた達は、馬鹿だ。
……馬鹿だ。
どうしようもなくて、すすり泣く姉さんたちの傍に寄ったけど、彼女たちは私にかまう余裕もなく、ただただ途方にくれて泣き続けていた。
薄暗い部屋の中。
天井近く立ち上る、線香の煙だけがやたらと白くて、私はつんと目に染みるその煙を追い出すように、ぎゅっと目をつぶって――開けた。
瞬間目に入ったものに、ぎょっと肩を震わせる。
誰?
すっかりと血の気を失った白い頬。
何かに耐えるように、きつく結ばれた唇。
きっと常は活発そうな、やんちゃな子供なんだろう。だけど、大きな目を不安そうに見開き、こちらをじっと凝視している。
見知らぬ子供。
ぱちり、
目を瞬いて、私ははっとした。
あれは……鏡に映った、私?
目の前にある死に、怯えるように見張られた瞳。
それをまざまざと見せ付けられて、今まで自分を偽っていた逃げ道が飛散した。
ああ……!
大きな目から、ポロリと涙がこぼれる。
母さんは、父さんは、
いなくなってしまった。
ぽっかりと心が虚ろで、黒くて、寒い。
死んでも、転生するから平気?
そんなこと……
そんなこと、嘘だよ。
平気なわけないじゃない。
代わりなんていない、大切な家族だったのに!
もう、会えなくなるって言うのに!
もう、その愁いを帯びた瞳に、私たちが写ることは、ない。
あの優しい、穏やかな声で子守唄を歌ってくれることもない。
いなくなってしまった。
いなくなってしまった。
「とうさん、かあさん」
涙の滲む震える声は、二人には届かず、ぽつりと落ちた。
ただ、私の声を拾った姉さんたちは、鼻をすすって一層激しくすすり泣きはじめた。
「とうさん、かあさん」
あなた達は馬鹿だ。
もう少しだけ。
もう少しだけ、私が大きくなるのを待ってくれたら良かったのに。
この手が、姉さんたちを守れるだけ大きくなるのを待ってくれたら、良かったのに……。
2010.4.19