幕末 沖田総司 成り代わり

あの石段を飛び越えて

 

「よろしくな! 宗次郎!」

その人はそう言って、朗らかに笑ったけど。

私は、その人の名前が気になって仕方がなかった。

だって、ねぇ!

井上源三郎って言ったら、あの人しか思い浮かばないでしょ?

新撰組 副長助勤の井上源三郎さんしか!

そりゃあ、林太郎さんの元の苗字は井上だし、親戚だから苗字が井上でもわかるけど。

源三郎って名前も、この時代珍しいものじゃないかもしれないけど……。

もしかしたら、もしかするかもしれない。

私を抱っこしてくれている源さんは、17歳くらい。

私が今3歳でしょ?

ということは、14歳差か……。

うーん。微妙。

総ちゃんと源さんって、それくらいの歳の差のような気もするし、もっと離れていたような気もする。

正直……源さんって、何だかおじさんのイメージが大きかったからさ。この人と、あの新撰組の源さんが結びつかない。

確認しようにもこの時代新撰組はまだないし……。これだけ若かったら、試衛館に入門しているかどうかも微妙だ。

(っていうことは! はっきりするまで、これから数年間、蛇の生殺しってわけ!?)

彼が、『あの』源さんかどうか、わからないまま過ごさなくちゃいけないなんて。

す、すごく気になるのに……!

私は源さんの膝の上、悶々と考え込んでいた。

もし私がもっと歴史に詳しかったら、源さんの両親兄弟の名前を聞いて、本人かどうか確認することができたかもしれないけど。

生憎、生前もそこまではチェックをしていなかった。

源さんは私の悩みなんか知りもせず、胡坐をかいて後ろに手をついてのんびりとくつろいでいる。

麗らかな春の昼下がり、庭の隅では背の低い紫陽花が、青々と大きな葉をつけていて、空はぼんやりと薄い雲に霞んで見える。

私は諦めて、ため息を付いた。

ま、今考えても仕方ないよね……。気持ちを切り替えなきゃ。

あーあ。

内心がっかりと息をついて、ぽすりと源さんにもたれる。

のんびりとした雰囲気を纏った源さん。

何だか癒し系な男の子。

だからかな。

背中に伝わる穏やかな心音を聞いていると、なんだか眠くなってくる。

午後の風は眠りを誘うように柔らかく、遠くの林から鶯の鳴き声を運んでくる。

眠い……。

ううん、でも眠っちゃダメ……。

もっと、源さんと一緒にいたいから。

話していたいから。

小さな手で目をこすって、うんと伸びをする。

うーん……

ちょっとだけ目が覚めてきたかな?

眠気を追い出すように、大きな口をあけて欠伸をすると、後ろの源さんもつられたのか、大きな口で欠伸をしていた。

平和だなぁ〜。

鶯の声が気持ちいい。

仄々と聞くとはなしにそれを聞いていると、鶯の囀りに混じって、聞いたこともない綺麗な鳥の声が聞こえてきた。

ヒヨヒヨヒヨ トゥルルル

高く澄んだ、よく通る声。

鳶でも、鶯でもない。大きな声。

何の鳥?

「ヒヨヒヨヒヨ トゥルルル」

暇つぶしに口に出すと、後ろで源さんが噴出した。

「あれはクロツグミだよ」

「クロツグミ?」

「そう。夏を告げる鳥だ」

もうすぐ暑くなるなぁ……。

独り言みたいに、間延びした声で源さんが言う。

首を後ろに回して源さんを見ると、彼は悪戯っぽく笑って、

よ! 

と身体を起こして、猫背になって私を抱えた。

そして、クロツグミの囀りを口笛で真似してみせる。

「ヒョヒョヒョ ピピピピ」

でも……何だかちょっと違うよ?

今度は私が笑って、源さんの真似をして下手な口笛を吹いてみた。

だめだ!

私の場合は口笛を吹く以前の問題。

かすれた息が勢い良くすぼめた唇から出るだけだ。

源さんは笑って、私も可笑しくなって声を上げて笑った。

 

そんな私たちの笑い声を聞いて、林太郎さんも嬉しそうにニコニコしながらお茶を持って縁側にやってきた。

ああ、でも、でも!

林太郎さん、もっとゆっくり歩かないと、きっと茶托にお茶がこぼれてるよ!

気が付かない林太郎さんに、はらはらする。

林太郎さんはそれすらも気づかず、ずかずか大またで歩いてきて縁側にお盆を置いた。

そこでやっと、あれ?って林太郎さんが首をかしげている。

あーあ。

言わんこっちゃない。あんなにいっぱいいっぱいお茶を入れるから。

茶托はお茶で水浸しになっていて。

それでも、

「まぁ、茶の味は変わらないから……」

源さんは慰めるように苦笑して。林太郎さんは、またやっちゃったって顔をして片目を歪めて苦笑した。

その微妙な顔が、本当に林太郎さんらしくて!

思わず声を上げて私が笑うと、林太郎さんも頭をかいて笑って、私用に少しぬるめに入れてくれたお茶を渡してくれた。

 

 

2010.4.27