ひととせ

如月



試衛館の井戸の裏には、小ぶりの梅があった。  

雪帽子を被る千両の横で。小さいながらも横に一杯に枝を伸ばす梅が、ことさら土方歳三のお気に入りだった。

 

2月に入り、日を追うごとに蕾が赤くなっていく。

黄緑色の若い枝をス、と上に伸ばして。

ささくれだったつるべの縄を引き上げながら、毎日まだかまだかと咲くのを待っていたものである。

 

井上源三郎の家に行く途中の道には、見事な梅林があった。

ちょうどよい目線の高さにそろえられた梅の木は、数も多いことから、まだ蕾なのに近づくと良い香りが漂ってきた。  

剣術道具をくくりつけた葛篭を背負って、行商(兼剣術修行)に行った帰りは、遠回りであるにもかかわらず必ずこの道をとって帰った。

 

霜柱を踏んで。

白い息をあかぎれの手に吹きかけて。

蕾の固さを確かめて帰る。

それが歳三の2月の日課だった。

 

「歳三さん」

「……源三郎さん!」

後ろからニコニコとしたしゃやがれた声が聞こえてきて、歳三は梅から声の主へと視線を移した。  

見れば6歳年上の井上源三郎が、日に焼けた顔に素朴な人柄を表すような笑みを浮かべて立っている。  

「歳三さんは、梅が好きだねぇ」

飽きることなく梅を眺める姿を、試衛館中の人が知っていて。

改めて言われて、照れた様に歳三は笑った。  

「梅ってのぁ、武士の花だからな」

「武士の花、か」

のんびりとした声にうなるような響きを含ませて、井上源三郎も歳三に習って梅を見つめる。

遠くの方でいかるがが囀るのが聞こえてきた。

根元に雪を積もらせた梅の木は、こんなにも冷たい朝なのに花を咲かせる準備をしている。

数日前は固い赤い蕾だったのが、今朝になって白くふんわりとしたものに変わっていた。

明日か明後日には咲くのだろう。

歳三は嬉しそうに口元をほころばせると、井上源三郎に別れを告げて行商に出かけた。

 

厳しい寒さを耐え咲く、梅の花が何よりも好きだった。

その控えめな上品な香りもいい。

桜の様に派手ではなく、凛と気高い雰囲気を纏っているのが、何より気に入っていた。  

 

部屋に帰った歳三は。  

机の上に梅の花が飾ってあるのに気づいた。

驚いて兄に聞けば、井上源三郎がもってきたものだという。

梅が好きだというコトは兄には言っていなかったが、もちろん兄はそれを知っていて、にこにこと笑いながら教えてくれた。  

枝に咲いているのは、一輪の梅。

他のものよりも早く咲いたのだろう。まだ固いつぼみがいくつか下についている。  

「……へぇ」

机の前に胡坐をかいて、じと見つめていると、一輪しか咲いていない梅が、それでもちゃんと梅の形をしていることに気づいた。

今まで木全体を眺めて、その中の一輪だけの花をめでるような事はしなかったから、気づかなかったけれど。

集団の中にいる者の個性を発見したように。

当たり前のことが、新鮮に思えて歳三は目を細めて小さく笑うと、飽きることなくいつまでも梅を眺めていた。  

 

もうすぐ試衛館の梅は咲くだろう。

梅林のうめは見事に目を楽しませてくれることだろう。

それよりも何よりも。

机の上の自分だけの梅が。それもどこよりも早く咲いた梅があることに、小さな優越感を覚えて歳三は得意げに目を細めた。

 

庭の木に積もった雪が、太陽に解けて音を立てて落ちるのが聞こえた。

 



2006.7.23