おにいちゃん と おとうと 2。

咆哮

風が竹の間を通り、高いところで葉が乾いた音を立てた。

土方為次郎は、きつく唇をかみ締めて竹に力一杯拳を打ちつけた!

わなわなと震える蒼白の唇の端は切れ、血が筋になって流れている。

まだ朝靄のうっすらと掛かる竹林は、深い竹の匂いが充満している。

誰もおらず静まり返ったそこに。

為次郎の打ちつけた拳の音は響き、竹の筒に共鳴してうつろな音を立てた。

鳥達は囀るのをやめ、一斉に音を立てて飛び立って行った。

竹の鮮やかな緑色の中。

黒い着物を着た長身の為次郎は、一人何かに耐えるように俯き加減に立っていた。

回りはどこを見ても、緑、緑、緑一色だ。

竹の隙間から覗く向こうも――どこまで行ってもすらりと伸びた緑しか見えない。

空は高い所に茂った葉に遮られ、僅かにしか覗いていない。

風に鋭く尖った葉が乾いた音を立ててこすれ、枯葉の敷き詰められた大地にゆらゆらと木漏れ日を揺らす。

しかしそれらの美しい景色も、為次郎の目には映らない。

彼は――盲目であった。

土方家には、父はもうすでにいない。

家督は弟喜六が継いだ。 この頃は。

家督を継ぐ男子以外の者は、いつまでも家にいることはできない。

奉公に出るか養子に行くか。

それの出来ないものは、一生厄介者として実家で下男のように扱われる時代である。

三男の良循は、糟屋家に養子に行った。

生まれたばかりの弟歳三も、やがてはどこかへ奉公に出るか養子に行くことになるだろう。

盲目の自分は、家督を継ぐこともできない……。

自分ひとりが取り残されたような気がした。

「この……目さえ! 見え、れば……っ!」

自分も剣を取り、男として――何か、小さなものでも良いから、何かをなすことができたかもしれないのに!

剣ダコのないすべらかな掌。

荒れたことのない手。

白い長い指をそっと手に這わせると。

わずかに撥の当たる小指に、タコが膨らんでいる。

震える両の掌を広げ、顔の前にかざしてみても。

何も見る事は出来ない。

何も――!

絶望したように掌で顔を覆って、奥歯をかみ締めた。

見開いた目を、うっすらと熱い膜が覆っていく。

鼻の奥が痺れたように痛い。

米神を。

自分の鼓動が、力強く打っているのが分かる。

震える喉を宥めようと、つばを飲もうとしたが。

口の中は渇いており、喉は引きつった音を立てた。

若い為次郎の体の中は、熱い血潮が猛り狂っているというのに!

それを開放する術はない。

剣を振るうことが出来れば、発散することも出来るだろうが。

「……くっ……!」

身体が疼く。

心が慟哭する。

為次郎は食いしばった歯の隙間から、唸るような声を出すと大地をギリと踏みしめた!

鳥が。

為次郎の様子を伺うように、小さく囀り始めた。

朝靄を乱すように。

静かに。寺の鐘の音が、村中に染み込んでいく。

為次郎は、熱い息を細く吐き出した。

行き場のない思いを、どこにぶつければいい?

普段は、三味線や俳句を捻り、哀しみを紛らわすことが出来たが。

 

一度心に嵐が渦巻けば。

眠っていた狂気にも似た渇望は、開放する出口を求めて身体の中を荒れ狂う。

為次郎は声の無い声で咆哮すると、膝をついてその場に崩れ落ちた。

林の奥には、何か動物がいるのだろう。

小さな気配が、落ち葉を踏みつけるのが聞こえる。

指に力を入れ、顔を掻き毟る。

 

どうして!?

どうして自分なのだ!?

 

生まれたばかりの弟が羨ましい……。

溢れるばかりの希望を身にまとって、幸せそうに母の胸に抱かれている弟が!
自分の目には、もう終わりが見えている。


このまま……何もなすことが出来ないまま。厄介者として一生を過ごすのだろう。

「……っは!」

笑いがこみ上げてくる。

「は、はは、は……ッツ!」

苦しい。

哀しい。

暗い。

暗い。

暗い。

……希望はどこにある?

私に一体何が出来る?

――何も見えない……。

口の中に、じわりと血の味が広がった。

 

2006.8.28