「……じゃあー、まぁとりあえずご飯食べてくるよ」
一秒でも早く、彼から離れたかった。
一緒にいると、何を口走ってしまうかわからなかったから。
壮絶な苦悩と、その悩ましさゆえに手をさし伸ばしたくなるような色気のある眼差しに、慰めてあげたくてたまらなくなった。
だから。
私は自分のその気持ちを気づかないようにふたをして、慌てて早口で言ったんだ。
お客さんを放っといて食事、なんて我ながら何てヤツだろうって思うけど。
ジャックさんは、あっさりと頷いた。
私はそのことにほっとしながら、そそくさと部屋を後にした。
少しジャックさんから離れて、彼の話を整理してみなくちゃ。
ありえないことが立て続けに起こって、私の頭はパニック寸前だった。
こんなんじゃ、冷静になんて考えられない。
考えすぎで火照った頭を抑えながら一階に降りていくと、父さんはやっぱり帰っていて日本酒を手酌で飲みながら、上機嫌でご飯を食べていた。
私も椅子に座ると、ぼんやりと食事をしながらジャックさんのことを考えた。
私の知っていることは、まだあまりに少ない。
彼の名前は 『ジャック』。
そして私のことをずっと見ていた 『悪霊』。
悪霊ってところが少し気になるけど……。悪い人には見えない。
だけど、何かを背負っていて、囚われているのは確かだ。
私は冷たい光を放つ重たい鎖を思い出して、身震いをした。
『罪人の証』 ジャックさんがそう呼ぶそれは、禍々しい存在感で彼を縛り付けている。
あれがある限り、ジャックさんは何をしても幸せになることはできないだろう。
あれこそが、彼にかけられた呪いの様に見えてしかたがなかった。
私はブルリと頭を振った。
『悪霊』 彼は自分のことを、そうはっきりと言った。
今まで私が散々な目にあったのも、彼のせい、というのも否定はしなかった。
だけど。
もし本当にそうなら、あまりにも間接的過ぎるような気がする。
本当に彼が私を害したいのなら、直接私が被害を受けるのではないだろうか?
だけど……。
私はいつもぎりぎりのところで切り抜けてこれた。
今回の交通事故も……。
私はひかれた、と思ったのに。実際にはひかれていなくて、気が付いたらあの白い空間にジャックさんと一緒にいた。
迫りくる車のスピードも、アスファルトに焦げ付くタイヤの匂いも。
恐怖に縮こまる心臓の鼓動も!
何もかもがあんなにもリアルだったのに……。
ひかれていなかったなんて……。
私は、彼に助けられた――?
だとしたら。
ジャックさんは自分のことを 『悪霊』 なんて言ってるけど、そんなに悪い人じゃあないのかもしれない。
それに。
私は、ジャックさんとどこかで会ったことがあるような気がして仕方がなかった。
でもどこで会ったのかは思い出せない。
思い出せないほど、遠い昔――。
「ごちそうさま」
私はろくに味もわからない夕食をさっさと終えると、急いで二階に戻った。
さぁ、このもやもやした気持ちに区切りをつけよう!
彼とちゃんと話をしなくちゃ!
ドアを開ける前に、一度深呼吸をする。
「大丈夫。私は落ち着いてる」
呪文のようにつぶやく。
聞かなきゃ彼に。
色々と知りたいことがある。
思い切って私がドアを開けると、ジャックさんは私が部屋を出る前と同じ場所にいて、ぼんやりと外を見ていた。
そして――
「タバコ!? 何で悪霊がタバコなんて吸ってるのよ!?」
驚いてそう叫ぶと、私は急いで窓に飛びついて勢いよく開けた。
部屋がタバコくさくなる!
「私の部屋は禁煙なの! タバコくさくなるでしょ!」
ジャックさんは心なしか眉間に皺を寄せると、火を消した。
「どうして、タバコなんて吸えるのよ……」
変な幽霊だ。
「お前は吸えないのか? まだまだガキだな」
答えになってないし!
それにムカツク。
私は心の中でジャックさんにつっこむと、ムッとして彼の向かいに腰を下ろした。
「ジャックさん?」
「――何だ?」
「ちょっとここに正座しなさい!」
私が床をたたくと、彼は今度こそはっきりと顔をしかめながらも、渋々とそれに従った。
「よろしい」
足を窮屈そうに折り曲げるジャックさんに、ザマァミロ内心私は舌を出すと、ピンと背筋を伸ばした。
「さて! じゃあ、聞かせてもらうわよ!」
「何をだ?」
「何って! まずはあなたのことに決まってるでしょ!? 悪霊って何? 罪人って何? 私に何の用なの?」
「――悪霊というのは、つまり強い心残りを残していて、浮かばれなかったり、突然の死を受け入れることができず、運命を呪いながら自分の死んだ場所に固執したりする亡者のことだ。」
「……で? あなたはその中のどれ? それとも全部?」
「さぁな」
「答えたくないのね。いいわ、じゃあ次! 罪人って何?」
「――巻き込まれたくなければ、知らぬほうがいい」
何よその言い方!
「もう巻き込まれてるじゃない!」
私は大声で言った。
今更その言い方ってない!
こんな中途半端に関わっておいて、そんなこと言われても納得なんてできない。
ジャックさんは私の目をじっと見た。
底の見えない暗い瞳に――吸い込まれそう……。
ぐっと怯んだ私を見て、ジャックさんは目を反らすと
「――やはり……会わぬ方が良かったな……」
ややあって寂しそうにぽつりとそうもらした。
「何で? 何でそんなこと言うの!?」
私は弾かれたように叫んで、ハッと自分の口を押さえた。
何?
私、今何て言ったの?
何でそんなことを言ったのか、自分でもわからない。
この人とは初対面の筈なのに。まるで古くから知っている大切な友人にそう言われたようにショックで、心が痛んだ。
彼にそう言われたのが、ひどく悲しかった。
「私は――後悔はしていないわ」
一緒に来るか、って言ったのはあなたじゃない!
「――そうか」
ぽつりと言った彼の表情はわからなかった。
「そうか」
震えるような吐息を吐いて、彼はもう一度そう呟いた。
「私――」
今度こそ目を反らさずに、凛とジャックさんの目を見つめる。
「一緒に行くわ。あなたと」
だって、あなたは案内人なんでしょ?
なのにそのあなたが戸惑ってどうするのよ。
会わない方が良かった、なんて言わないでよ。
きっと、私たちの出会いは必然で、一緒に行くことしか選択肢は無かったんでしょ?
ジャックさんの意志の強い目が揺らぐ。
まるで何か耐え難いものに耐えるように、拳を握り締める。
彼の心の中を渦巻いているのは何だろう?
私たちの前には、そんなに過酷な運命が待っているの?
それでも。
私は後悔なんかしていない。
2005.4.20
2008.3.9
2009.11.29