私たちは、いくつもの美しい国を遠目に見つつ、ひたすら波に揺られていた。
夜眠るときはハンモックで眠り、何日に一回は夜の見張りも回ってくる。
そういう時は大体ジャックと一緒で、海の経験がない私たちは、二人で一人扱いを受けているらしかった。
子供たちは小柄な身体でスルスルとマストに登って、ハッカの命令に従ってマストをたたんだり。
10歳くらいのちょっと生意気な航海士の女の子、プリムの言葉に従って舵を取ったりしていた。
何日も何日も波に揺られ、
何度も何度も、朝日と夕日を見送った。
波に船が傾いて転覆しそうなときは、皆で上に持ち上がっている方の縁に並んで座ってバランスを取り。大きな波が来ると、頭のてっぺんからつま先まで海水を被ってびしょぬれになった。
初めは慣れずにまっすぐに歩けなかった私も、しばらくいるうちに大分コツを覚えて少しずつ海上生活にも慣れ、子供たちとも仲良くなることができた。
「もう! 本当にあなたったら、何にも知らないのね!」
子供特有の甲高い声が聞こえてきて、私はモップに寄りかかりながら手を休めて上を見上げた。
逆光に二人の表情は黒くてわからなかったけど、顔の前に手のひらをかざして目を細めると、マストの所にジャックとプリムがいるのがわかった。
どうやらジャックがまたプリムからお叱りを受けているらしい。
彼のどこが気に入ったのか、プリムは始終ジャックにまとわり付いて、あれやこれやと指示をしている。
そして今日は。
ジャックは、 可愛いストラップの沢山付いた短剣で下から脅されながら――といっても、ジャックは全然気にした風ではなかったが――マストに登って、ロープの結び方について指導を受けているらしい。
プリムは長いピンク色の髪を結びもせずに、風に遊ばせている。
まだ10歳くらいの年齢なのに、仕草や表情は私よりも大人っぽくてしっかりしていた。
私はふぅとため息をついて、彼らのやり取りをBGMにまた掃除を再開した。
この船には本当に子供たちしか乗っていなくて、船長のハッカやトーリ。そしてプリムとその彼氏(彼氏!)のフォリーオ以外は、皆年齢が10歳にも満たない。
その中でも特にプリムが小さい子供たちの世話をしながら、毎日リアルなおままごとのような生活をしている。
だけど、私たちが来てからは、プリムはジャックにかかりきりになり、フォリーオは毎日拗ねて泣くから仕事にならず、私はフォリーオのフォローに追われていた。
(まぁ、可愛いからいいんだけど……)
そう。この日まではそう思っていたんだけど……。
今も泣きそうに目を潤ませながらモップをかけているフォリーオを横目で見て、ため息をついた。
フォリーオはジャックにプリムを取られるとでも思っているのか、毎日しょげ返って小さな身体をさらに小さくして落ち込んでいるが、私から見ればどうしてジャックとプリムが? という感じだ。
どう贔屓目に見ても親子にしか見えないし、ジャックがプリムを恋人にしようものなら私が止める。
(だって、それって犯罪……)
いや、まぁジャックは罪人だけれども……。
プリムは短いスカートからすらりとした小麦色の足を惜しげもなく出し、くりくりとした垂れ気味の茶色の目をじっとジャックの手元に注いで、彼が何かをするたびに一々ダメ出しをしている。
まるで小さな子供が怪我をしないか、はらはらと見守っていて、つい口に出さずにはいられない、という感じだ。
(まぁ……そりゃあ、ね……)
ジャックって指も太いし、子供に比べて身長も高いから――
彼らにしてみたら、随分とジャックが仕事をしづらそうに見えるんだろう。
私はもう一度フォリーオを見下ろして、ため息をついた。
あの二人は確かにいつも一緒にいる。
私だってジャックをずっと取られっぱなしで、面白くないけど。
(だ、だって私が対等に話せるのって、ジャックだけだし……!)
って、何言ってるんだろう!?
私は赤い顔でぶんぶんと顔を振ると、それと一緒にモップからびちゃびちゃと水が飛び跳ねて、フォリーオが鼻をすすってこちらを見た。
「……」
「な、なぁに?」
あ、泣きそう!
フォリーオはそばかすが浮かぶ真っ白な顔を真っ赤にして、目に涙を浮かべている。
ぎくりとして、思わず笑顔が引きつった。
フォリーオは人の感情に敏感なんだろう。
それを見て、ますます不安そうな緑の目に涙が盛り上がる。
あ、あ、あ!
私は慌てて、膝を付いてフォリーオに目線を合わせた。
今は私のことをおいといて! こっちを何とかしなくちゃ!
小柄なフォリーオは、私が膝を付いても尚小さくて、くるくると巻いた愛らしい巻き毛がぷるぷると震えているのが見える。
フォリーオはプリムと同じ10歳だったが、この年頃の女の子は男の子よりもずっとしっかりしてて、大人になろうと背伸びをし始める頃だ。
どうがんばっても、フォリーオがプリムよりも大人になれる訳がない。
いつも彼はプリムの尻にしかれていて、彼女の後ろに従えられて、どこに行くにも何をするにも一緒だったが、ジャックが来てその生活が180度変わってしまったと言う。
不安になるのは無理はないと思うよ。
でもね、必死で慰めているこっちの気も知らないで
「ジャックは! ジャックはのなんでしょ!?」
そんなことを大声で叫ぶのは、本当に勘弁して欲しかった……。
私はがくりとうな垂れて、水滴がきらりと光る板の目をぼんやりと見た。
どうしてこうなちゃったのかな。
フォリーオは涙声で興奮したように大声でまくし立てる。
「ぼ、ぼくは、ずっとプリムと一緒にいたいのに!」
「うん……」
「もそうでしょ? ジャックとずっと一緒にいたいんでしょ!」
「え、えと……」
「プリムはぼくんだよ!」
「え、ええ! そう、もちろん! みんな、し、知ってるよ!」
「ジ、ジャックは……」
やばい! とうとうしゃくりあげ始めた!
「ジャックはのなんでしょ!」
ああ、また――。
頭が凍りついた。
いきなり、この子は何を言い出すのよ!?
私は反応できず、ぽかんと口を開いてフォリーオのつむじを凝視した。
ジャックが私のかって?
「違う」
私たちはそんな関係じゃない。
そう言おうとしたのに、なぜか息を飲み込んだだけで言葉が出てこない。
私の無言をどう受け取ったのか、とうとうフォリーオが泣き始めた!
「あ、あ、あ!」
ぎゃー! 待って! 泣かないでぇ!
やばい! やばい!
マストの上にいるプリムの視線が突き刺さる。
彼が心配なんかする必要もなく、プリムはフォリーオに甘い。
私が彼を泣かせたとなれば、絶対にプリムから面倒くさい仕事を山ほど押し付けられる!
私は焦ってフォリーオを抱き寄せたり、頭を撫でたりしていたが、彼は一向に泣き止もうとはしない。
しくしくと泣いている彼に困り果てて、私は覚悟を決めた。
だ、大丈夫! フォリーオを泣き止ませるだけだから!
ちょ、ちょっと位嘘を言ったって、へ、平気よね?
嘘も方便って言うし!
子供を宥めるためなんだから!
でも、ジャックには聞かれたくなかったから……
私はフォリーオの小さな頭を抱き寄せると、彼の耳元に口を寄せてできるだけ小さな声で囁いた。
「そ、そそそそ、そうよ! ジャックは、私のだよ。だから、ね? ほら、何の心配もないから! プリムはフォリーオのだよ」
「……ほんとう?」
「ほ、本当! 本当!」
「良かった! ジャックはの恋人なんだね!」
声がでかいわ!
私はがくりと甲板に両手を付いてうな垂れた。
もう、なんだか私の方が泣きたい。
「もっと小さな声で言って欲しかった……」
いや、できたらこのことはあなたの胸だけにそっと秘めて、口には出して欲しくなかった!
ただでさえ、海を住まいとする子供たちの声はでかいんだ!
――ジャックに聞かれたかも……。
どうしよう!
どうやってごまかそう!
私は真っ赤な顔で爪を噛みながら、一変して上機嫌になったフォリーオを恨めしい目で見て、重たいため息をついた。
2005.8.7
2010.8.18