準備は万端にしなくちゃね!
「忘れ物は無いよね? 着替えも入れたし、お菓子も洗面用具も入れたし! トランプも花札も入れた! あとは、ええと……お土産リストと、携帯用の低反発枕!」
もう一度カバンから出して、一つ一つ指差しながら確認していく。
どこに行くのかはわからないけど、とりあえずこれだけあったら何とかなるだろう!
足りないものは、買えばいいんだし!
「コンビニとかある場所だったらいいんだけど……」
異世界だったら、そんなものないかもしれない。
「念のため……」
私は斜めがけに肩にかけたバッグに、小さな懐中電灯とナイフも入れた。(いろんな機能がいっぱい付いてるアレ!)
「よいしょっと! これで準備完了?」
着替えなんかの荷物は、海外旅行用の大きいスーツケースに入れた。
これ結構たくさん入るし、運ぶのも便利。何より疲れたとき椅子になるから便利なんだよね!
「よしっ!」
私は気合を入れるように一度頷くと、覚悟を決めて窓を開けた。
うん、大丈夫!
どこにでも行く覚悟はできた。
「ジャック!」
だから、連れて行って。私をどこかへ!
「ジャック!」
呼べと言われたけど、どこを向いて呼んだらいいのかわからない。とりあえず外に向かって呼びかけると、すぐにそれに答えるように空気が震えた。
スゥ――
消えたときと同様、静かに風をまとってジャックが現れる。
「って、こっちか!」
窓を開けて呼んだ意味がない!
ジャックは私の部屋の壁際に現れた。(何で部屋の端っこ? 真ん中に堂々と現れたらいいのに)
見当違いの方向を向いて呼んでいた自分が、少し恥ずかしくなる。
私は赤い頬をごまかすように咳払いすると、気を取り直してジャックに言った。
「用意できたよ!」
「――随分と待たされたが……」
「うん」
ごめん。
ジャックが出かけると言ったのが朝。今は夜の九時だ。
「だって荷物するの苦手なんだもん。どこに行くのかわからないから、用意だって大変だったんだから」
なんて、本当はうそ。
本当は友達全員に 「サヨナラ」 代わりに 「久しぶり」 メールを打って、家族でお茶を飲んでた。
両親に 「しばらく出かける」 なんて言えなかったけど。何もせずに突然家を飛び出すよりは、マシでしょう?
――もしかしたら、帰ってこれない旅かもしれないし?
サヨナラ、とか今までお世話になりました。ゴメンね、なんて言えないけど……。
心の中ではいっぱい伝えたよ。
ジャックが私を連れて行きたい場所が、まさか水族館や遊園地なんて思えない。
杞憂かもしれないけど……。
帰ってこれない覚悟は必要でしょ?
――不思議だよね。
あんなに嫌だと思っていた日常なのに。
もう戻れないかも、って思ったらやっぱり大切で――愛おしくて……。
こんなにも離れがたくて、気が付いたらこんな時間になっちゃったんだ。
でもね。
うん!
もう覚悟はできたよ!
全てを手放しても、あなたとならどこにでも行ける。
私がすがすがしい気持ちでャックに手を差し出すと、彼は私の覚悟を敏感に嗅ぎ取ったのだろう。複雑な顔でじっと私を見た。
(そんな目で見ないで)
折角の覚悟が折れてしまう。
だから、精一杯の明るい声で
「行こう!」
私が言うと、ジャックも心を決めるように大きな息を吐いて、凛とした目で私を見返した。
手が――ガシリ、とジャックの大きな手に包まれる!
だけど――
アレ?
「に、荷物ーッ!?」
折角用意した荷物を持つ前に、ひょいとジャックに抱え上げられる。
「待って! まだ私、荷物持ってないよ!」
「こんな大荷物必要ない!」
ジャックの顔は、明らかに「必要最低限の荷物だけを用意しておけと言っただろう」と言っている。
だって!
そんなこと言ったって! 備えあれば憂いなしって言うじゃない!
「折角苦労して詰めたのにぃいいーッツ!?」
ジャックは私をしっかりと抱きしめると、言葉半ばでいきなり二階から飛び降りた!
「――ッ!?」
思わずぎゅっと目を閉じ、ジャックの首筋に力いっぱいしがみ付く。
い、いきなり飛び降りるなんてヒドイよ!
しかしさした衝撃も無く (まるで、階段の一番下の階から飛び降りたみたいに) ジャックは地面に降り立つと、今度は私を降ろしてぶっきらぼうに言い放った。
「少し離れていろ」
こ、今度は一体何!?
私は不安にかられながら、ふらつく足でよろよろ離れる。
怖くないって言えば嘘になる。
だけど、それ以上に心がドキドキしている。
これから何が起こるんだろうって!
私はカバンをぎゅっと握り緊めると、ジャックを見守った。
癖のある長い黒髪、重たそうに光る鎖。
まるで夜をそのまま具現化したようなジャック。
ねぇ、あなたは私をどこに連れて行きたいの?
どうして私なの?
聞いても、きっとごまかして答えてくれないんだろう。
でも、今はそれでもいいよ。
言いたくないなら、今はだまされて上げる。
だから、連れて行って私を。
あなたと一緒にどこまでも行きたい。
ジャックはじっと見守る私を振り返りもせずにすたすたと歩くと、近くの水銀灯の下にたった。
夜ともなれば、私の家の前は車の通りも少なくて、水銀灯の頼りない光しか灯りはなくなる。
これから何をするつもりなんだろう?
緊張して、ごくりと喉が鳴った。
ジャックはあの低い心地の良い声で、何語ともわからない呪文を詠唱し始める。
歌うようにつむがれる、子守唄のような魔法――
水銀灯の灯りの下で、小さな羽虫がしきりと明かりに向かって羽根を動かしている。
静けさの中、彼の呪文だけが渦巻くように空気を震わせている。
刹那――!
ジャックのいる水銀灯だけを残して、全ての明かりがいっせいに消えた!
「停電?」
じゃない!
まるで他の電力を全て奪い尽くしたみたいに、ジャックのいる水銀灯の明るさが急激に増す!
「う、わっ!?」
暴力的なまでの眩しさに、目を開けることができない!
私は慌てて腕で視界をさえぎると、目をぎゅっと閉じて急いで顔をそらした。
「何? 何なの!?」
目を閉じても尚、青白い光が瞼を焼き尽くそうとしている。
「ヒポグリフ」
ジャックの呟きが聞こえた。
私は目を開け、驚いた。
光が!
私の家の前にある、事故で曲がったカーブミラーに当たって屈折する!
何かを形作っていく!
「馬――!?」
ううん、違う!
背中に羽が生えている!?
私は目を見開いた。
その身体は馬というよりは、肉食獣に似ている。
そして
「ああっ!」
その生き物が全貌を現したとき! 私は思わず感嘆の声を上げた!
まるで光そのものが具現化したような、輝く獣がそこにいた。
なんて眩い毛並み!
馬よりもふた周りは大きい体!
毛皮に覆われた、がっしりとした太い足!
目は赤く、鬣は青白い。
顔は獰猛なイヌ科の獣に似て、大きく裂けた口から鋭い牙が覗いている。
その獣は自ら光を発しているように白く、気高く輝いている。
「――行くぞ」
私は圧倒されて、すぐに返事ができなかった。
ま、まさかこれに乗っていくの!?
っていくか、これは乗るための生き物なの?
馬にも乗ったこと無いのに、いきなりこれは難易度高くない!?
「安心しろ。お前がコレを乗りこなせるとは、端から思っていない」
ジャックはこわばる私の体を軽々と抱え上げ、有無を言わさずその獣に乗せると、自分も後ろに飛び乗った。
「操るのは俺だ。振り落とされないよう、大人しくしていろ」
「……わかった!」
本当にわかったのか?
ジャックは疑わしそうな目を私に向けたけど、すぐに何かを諦めたように、やれやれと頭を振ると手綱を引いた。
「行くぞ!」
「うわ!?」
い、今更気づいたけど!
後ろから伸びるジャックの腕――!
手綱を掴むためってわかってるけど!
……腕の中に閉じ込められているみたいで、恥ずかしすぎる!
かぁと顔が一気に赤くなった。
意識すればするほど焦って、どこを掴んだらいいのかもわからず、おろおろとする私を見かねたのか、ジャックはため息をついて片腕を私の腰に回した。
思わずぎくりと体が強張る。
ジャックはそんな私を綺麗に無視すると、獣は一声高く吼えて力強く大地を蹴って――私はまたぎゅっとジャックの腕にしがみ付いた。
2005.6.9
2008.3.9
2009.11.30