最後の日
蝉の声が、ジリジリと陽の照りつける大地に容赦なく降り注いでいた。 数日続いた晴天に、道はからからに乾いて砂煙がたっている。 は鴨川の辺を歩きながら、反射する太陽の光に眩しそうに目を細めた。 「アラ、氷雨ちゃん? 氷雨ちゃんやないの?」 「え?」 遊女時代の名で呼ばれて、驚いて振り返る。 そこには鋭く垢抜けた女が一人立っていた。 「あ、お梅姉さん!」 「久しぶりやねぇ。氷雨ちゃん」 黒のめくら縞の着物に、粋に黒の帯を合わせて。頭に赤い漆塗りの櫛を挿したお梅は、嫣然と笑ってに並ぶと、赤いふっくらとした唇に指を当てて 「へぇ」 見定めるようにを上から下に眺めた。 「氷雨ちゃん。アンタも身請けされたんどすなぁ」 「あ、はい」 「氷雨ちゃんの旦那はんは、どないなお方?」 キラキラとした目で見つめられて、は苦笑してこぼれてきた髪を耳にかけた。 「厳しい人です。すぐに怒って、容赦なくて――恐い人」 「まァ」 「姉さんは……確か、呉服屋の旦那さんに身請けされたんでした、よね?」 「……あんな男!」 「嫌な、人、なんですか?」 「嫌や言うたら、オトコはんはみぃんな嫌な生き物どすけど」 「ふふ。そうですね」 「でも……あんヒトだけは、別」 「あの人?」 「うちを、今傍においとくれとるおヒト」 「好きな方がいるんですか?」 「好き……いうんとは、また違う気ぃもするけど……。うちをな、ぜぇんぶ包み込んでくらはるよぉな……そんなヒト」 「好き、じゃないんですか?」 「ふふ……、アンタはまだ、好き言う心持ってはるんやなぁ」 「……ええ」 「うちはね、もうそんな甘い感情なんて、忘れてしもぅたわ。ただ――うちを大事にしてくらはるか、それだけ」 「幸せ、じゃないんですか?」 「幸せ……そうね。あの頃に比べたら、幸せやとは思うけど。けどな、氷雨ちゃん。一度遊女に身を落とした妓は、一生、死ぬまで! 遊女やったいうことが付きまとうん よ。あの地獄から抜け出せても――結局、うちらは普通のおなごには、戻れへん」 「そんな!」 「うちらはあの地獄に住む、鬼。鬼はどこまで行っても、鬼でしかないんのよ。心をね、強ォ持って。鬼のように構えておらんと、どこへ行っても馬鹿にされて。相手にもされんと、惨めな思いをせなあかんようになるんよ」 「折角、抜け出せたと思ったのに……」 「やからな、うちらを守ってくらはるような、強ぉいおヒトを手に入れなあかん」 「……姉さんの今一緒にいる人は、そんな方なんですか?」 「そうや。誰よりも強いオトコ」 「姉さんは、幸せですね」 「……そうや、な。そんなおヒトに巡り合わせてもろうただけでも、うちは幸せなんかもしれん」 「いつか、その人を紹介して下さいね」 「ふふ。取ったりしたら堪えへんからね!」 「姉さんのオトコを取ったりなんか、できませんって!」 「ほんまに? ふふ。まぁええわ……。ほな――そろそろうちは行くわね」 「ええ。また、お話聞かせて下さいね」 「ええ。また」
お梅が嫣然と笑って、柔らかいゆっくりとした仕草で頭を下げると。 大きく抜いた襟元から、真っ白のほっそりとした首が覗いて。 の劣等感をちくりと刺激した。
川辺では、裸になった子ども達が歓声を上げてはしゃいでいる。 空にかかるのは、大きな入道雲。 夕立が降るかもしれない。 は眩しそうに手を目の前に翳すと、慌てて家路を急いだ。
それが―― がお梅を見た最後だった。 嫣然と笑って、自慢するように語った男――芹沢鴨と折り重なるようにして彼女が息絶えたのは、三日後のことだった。
誰よりも強い。 そう言って笑っていた芹沢を殺したのは、新撰組の鬼だったという。
2006.12.21
柑子京都に住んでいた事あるくせに、京都弁わかりません(滝汗) 大いに間違ってると思いますが、ごめんなさい…。京都の方、そっと教えてくれたら嬉しいです(汗)
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