京の都から外れた小さな村に、その芝居小屋はあった。

京の芝居のように華々しいものではなかったが。実際の事件をすぐに芝居として仕立てて見せるのが売りだった。

 

南で心中事件があれば、3日後には涙を誘う悲恋に仕立て上げ。

北に猟奇的な事件があれば、愛憎の渦巻く話に変える。

 

台本を書く男は弥三郎という30代の男盛りの男で、この芝居一座の座長兼役者だった。

美しく色気のある2枚目ではなかったが、垂れた目元が愛嬌のあるひょうきんな男だ。

それが、ある日を境にめっきりと笑わなくなり、頬はこけ目はうつろになり誰彼かまわず怒鳴り散らすようになった。

彼はどこか悪いのではないのか。

仲間は心配し声をかけたが、弥三郎は芝居小屋にこもりきりになり、もう一週間出てきていないという。

 

それだけならば、まだ良かった。

 

弥三郎が芝居小屋にこもり、三日がすむ頃異変が起こった。

簡素な芝居小屋は、朝になると目も覚めるような異国の建物になり、中からにぎやかな楽しそうな音楽が聞こえてくるようになったのだ!

 

一座は皆外にいる。

中にいるのは弥三郎だけのはずなのに――

一人では決して演奏することはできないだろう、様々な楽器の音色が聞こえる。

 

弥三郎は狐狸妖怪に喰われたか。

一座のものは恐れおののき、牡丹に依頼をしたのだ。

 

 

終劇

 

 

「ついたぞ」

牡丹は足を止めると、振り向きもせず言い放ち、自分は近くの岩に腰を下ろした。

「え、え? ご、ご主人?」

「行け」

「ええっ!?」

懐から煙管を出しのんびりと腰を落ち着ける牡丹に、があせった声を出す。

まさか自分ひとりに行かせる気だろうか!?

「あんなあからさまに怪しい所! 行きたくない!」

ふるふると震える指で芝居小屋を指し声を荒げたが、牡丹はじろりと冷たい目でを見据えるだけだ。

「ご主人!」

何があっても一緒に来てはくれないらしい牡丹に、が声を荒げる。

芝居小屋は怪しい。

見たこともないくらいに怪しい!

 

まるで寺院の六角堂のような建物は、赤い柱に支えられ違和感たっぷりに存在している。

反り返った屋根は毒々しい赤に染められ、しゃちほこの様に二対の竜が屋根を飾っている。

明らかに日本風ではない建物に、ごくりとがつばを飲み込む。

怪しい。

うっそうと茂る蔦は建物を飲み込むように多い尽くし、本来は白であろう壁は緑に隠れほんのわずかしか覗いていない。

「のんびりとしていていいのか?」

「え?」

「来るぞ」

 

鋭い牡丹の声に、はハッと体をこわばらせた。

 

「な、に……?」

額に黄色い符をつけた人形が、カラカラと音を立てて歩いてくる。

ぜんまい仕掛けで動いているのだろうか?

両手を袖に隠し一礼すると、またカラカラと音を立てて扉の中に戻っていく。

 

と同時に、中から銅鑼が鳴り響き、聞きなれぬ異国の派手な音楽が響き始める!

「どうやら開演らしいな」

「え?」

「さっさと行け」

「ええ!?」

非情に言い放つ牡丹に、は何事か言いたげな視線を向けたが、鋭い一瞥を受け肩を落として渋々と小屋に足を向けた。

 

ジャーン

ジャーン

 

大きく響き渡る銅鑼にあわせ、天井から後から後から花びらが降ってくる!

 

「うわぁ!」

思い描いていたのとは違う、えもいわれぬ光景に目を奪われ、は歓声を上げた。

壁は一面黄金に輝き、無数の赤い柱が連なっている。

二階建ての建物は吹き抜けになっており、手すりを越えて空中ブランコのように色とりどりの美しい衣装を着た男女が空を行きかう。

そこは桃源郷か天界か。

鱗に見立てたような鎧をまとった男に、ぬけるように白い肌を惜しげもなく見せる女。

 

「え――」

否。

あれは人間ではない。

「……人形……?」

 

人と同じ大きさのそれは!

しかし人ではない!

まるで絡みつく蛇のように作り物めいた白い陶器の肌。

うつろに光るガラスの瞳。

「何で人形なのに、動いてるの?」

呆然と言い放ったの声に反応するように、人形はぴたりと動くのをやめた。

――途端。

今まで燦然と輝いていた明かりが消え、部屋が闇に閉ざされる。

 

音がやんだ。

 

「何!? 何なの!?」

ねっとりと絡みつくような闇に、が声を上げる。

言いようのない恐怖に、心がざわめく!

「ご、主人……」

くじけそうになる心に牡丹を呼ぼうにも、彼は外にいる。助けてはくれない!

 

ギィ――

音がした。

 

    ギイ――

まるで誰かが歩いてくるような……

床のきしむ音!

 

は息を呑んで後ずさった。

思い出せ。思い出せ!

ご主人は何て言っていた?

 

「私たちが向かったのは……京から離れた芝居小屋で」

            ギィー

「小さいけど、人気があって繁盛してたって……」

                 ギィ――

何かが近づいてくる。

これは……?

 

「座長の名前は弥三郎。彼の書く台本はすごく人気で……初めは実際にあった事件を元に芝居を書いていたけど」

生臭い息使いが聞こえる。

「その内めぼしい事件はなくなり、自分で話を考えるようになった……」

その話に触発され、心中や事件を起こす者が現れ――弥三郎はまるで自分が予言の目でも授かったかのように喜び、精力的に話を作り続けた。

 

そして――

 

彼は書いてしまったのだ。

自分が死ぬ話を。

 

 

それは恐ろしい大蛇に殺される話だった。

弥三郎はある日小さな蛇を助けた。

蛇は恩返しにと美しい女に化け、弥三郎の元を訪れたが、彼は妻子もちであることを理由に取り合うことはなかった。

袖にされた女は、それでは自分の気持ちが治まらないとばかりに、今度は美少年に化けて弥三郎の元を訪ねた。

 

そして弥三郎は、その美少年におぼれた。

弥三郎の妻は嫉妬に狂い、やがて怨念は凝り固まり大蛇へと姿を変え弥三郎を取り殺す。

 

「って、どんな話よ!」

単に自分の性癖を暴露した話じゃない!

馬鹿馬鹿しい!

こんな時じゃなかったら、そう即座に言い放ってやるところだが、今はそれどころではない。

 

はごくりとつばを飲み込んで、前を見据えたままゆっくりと後ずさった。

目が!

林檎ほどもある金の大きな目が、自分を見据えている!

呼吸するたびに細長い瞳孔は大きさを変え、隙をうかがうように睨み付けている。

自分が調伏するのは大蛇か、弥三郎の妻か――

 

「否!」

は鋭く言い放つと同時に後ろに飛び退ると、懐に入れた符を取り出した!

暗くてしかとは見えないが、目の前にいるのは大蛇だろう!

が動いたと同時に大蛇が飛び掛ってくる!

 

牡丹は何て言った……?

は目を閉じると、符を額に構えた。

 

「目で見るな」

牡丹の低い声が脳裏によみがえる。

「目で見る物に捕らわれるな」

符を握る手に汗がにじむ!

怖い!

風が!

大蛇が動くたびに揺れる空気が! 体を震わせる。

 

蛇特有の息遣いが、首筋に当たる。

チロチロと触れるのは赤い舌か!

 

小さい声で呪を詠唱しながら、はひたすら耐えた。

 

ぬらり。

大蛇が体に巻きついてくる。

触れる鱗。濡れた生暖かい蛇の肌――

嫌悪感に、鳥肌が立つ!

 

「違う!」

これは真実ではない!

「違う!」

大蛇なんて本当はいない!

「これは、全部! 作り、物!」

 

本物は――

カッ!

勢いよく目を見開き、は符を放った!

 

符は白い蝶へと姿を変え。部屋の隅めがけて飛んでいく。

 

光がはじけた――

 

「これは偽物。お芝居は終わったよ」

 

蝶が何かに触れたとたん、ねっとりとした闇は消え、は男――弥三郎に声をかけた。

窓をおろされた芝居小屋は依然として暗かったが、朽ち果てた屋根から所々光の筋が下り、部屋を照らし出している。

荒れ果てた芝居小屋は繁盛していた頃の面影はなく――は自分の体に巻きつく布でできた大蛇を引き剥がすと、足元に気をつけながら部屋の隅にうずくまる弥三郎に近づいていった。

 

ぼんやりと宙を見据える弥三郎は生きているのだろうか?

一週間という短期間にもかかわらず、服は破れぼろきれと化し、髪やひげは伸び放題になっている。

頬は落ち込み、目の下には黒い隈が縁取っている。

は膝を付き男の肩に手を乗せると、声をかけた。

「お芝居は終わったよ。弥三郎さん。大蛇はもう退治してしまいました。あなたは無事です」

生きていますよ。

その声に、ゆくりと弥三郎の目に光が戻る。

「生きて――いる?」

「ええ。生きています」

弥三郎はのろのろと顔を上げ。芝居小屋を見回し

「そんなはずは、そんなはずは」

ぶつぶつとそればかりを口の中で繰り返した。

自分が生きているなどありえない。

自分は確かに大蛇に殺されるはずだったのだから!

 

「それはお芝居です」

男が目を見開いた。

「あなたの死への恐怖が魔を呼び寄せ、あたかも大蛇が本物であるかのように見せていただけです」

本当は初めから大蛇などいなかった。

彼はただ、自分の芝居が予言であると信じ込み、自分が大蛇に殺されるのだと思い込んだだけだったのだ。

そして彼の死の恐怖に魔が取り付き、幻の世界を作り上げた。

 

芝居に出てくる異国じみた建物を。

そして小道具に取り付き、布の大蛇をあたかも本物の大蛇のように仕立て上げた。

全ては彼の心が呼んだもの。

予言は彼の矜持にかけても成就されなくてはならない。

妄信めいた狂信が作り上げた、幻だ。

 

「幕は下りました。さぁ帰りましょう」

弥三郎さん。

優しく語り掛けるの手に、弥三郎がのろのろと舞台を見る。

すでに緞帳は降り――観客は一人としていない。

はいつまでたっても手をとってくれない弥三郎に焦れて、強引に彼の手をとると、力をこめて立ち上がらせた。

 

 

 

そうして弥三郎は芝居小屋を後にし、心配して駆けつけた仲間に医者へと担ぎこまれ――

 

「今はまた座長として復帰したみたいやで!」

ぱたぱたと羽を動かしながら、雪丸は陽気に言った。

「ふーん」

「あれ? 気にならへんの? 初めて一人で解決した仕事やのにー」

気にしてるんじゃないかと思って、調べてあげたのに。

するめの足を齧りながら、拗ねたように唇を突き出す雪丸を一瞥すると、は興味なさそうに往来を眺めた。

「別に。もう関係ないし」

依頼がすめばただの他人だ。

「相変わらず冷めちょるのう……」

しゅんと羽まで垂れ下げて雪丸は言うと、がっかりしたように芝居のチケットを見た。

「ちょ! 何それ!?」

目ざとく見つけてが雪丸からチケットを奪い取る。

「あ! やっぱり興味あるんやん! もー。冷たいこと言って! ちゃん意地悪なんだから」

「うっさい! 馬鹿天狗!」

はわなわなと肩を震わせ叫ぶと、チケットをクシャリと握り締めると忌々しそうに放り投げた。

「あー! 何すんの!?」

「な、ん、な、の、よっ! これは!!」

「何って……」

しわだらけになったチケットを悲しげに伸ばしながら、雪丸がを見る。

ちゃんをモデルにした芝居、やね!」

「だからそれが何かって言ってんのよ!」

「何って言われても……。何でも弥三郎って奴、天女に助けられたとか言って、嬉々として周りに話してたらしいよ」

復帰して早速書いたのが、天女と夢に食われた男だって。

ちゃん、天女だって。良かったね」

「良くないわよ! あの思い込みの激しい男! 何とかしてよ!」

にっこりと笑っていう雪丸に、は怒りを爆発させると、座布団を投げつけた。

 

この分だとまた、思い込みが元で何かしらの事件を引き起こすのではないだろうか……?

うんざりとした顔でチケットを踏みつけるを尻目に、牡丹は紫煙を吐き出した。

自分が関わらずに良かった、心底そう思いながら。

 

 

 

終劇

 

  

 

2009.8.2