引き金

 

「亜麻色の髪の祈祷師を探せ」

土方にそう言われてから五日。

ついに見つけた!

 

山崎は素早く灯篭の後ろに身を潜めると、件の男を観察した。

(まさか花街なんかで見つけるやなんて……)

思いもしなかった。

 

男は、自分の後を追っている者がいるなど想像もしていないのだろう。悠々と歩いている。

(気楽なもんやな)

こちらは見つけるまでに五日も要したというのに!

山崎は内心舌打ちをした。

亜麻色の髪の男。

確かにあのときの男に間違いない。

歩くたびにフワリと風に遊ぶ長い髪を、下のほうでゆるく結び、肩に長く垂らしている。

祈祷師にあるまじき派手な装いは、しかしここ花街ではうまく溶け込んでいる。

「何者や一体……」

今日はあの少年は一緒ではないらしい。

こんな所にいるのを見ると、今日は息抜きにでも来たのだろうか?

(ほんまいいご身分やな)

山崎は憎々しげに後姿を睨んだ。

 

男――安部大将は後ろを振り向きもせず、ゆったりと歩いていく。

店のそこここから聞こえてくるのは三味線。

艶やかな女の笑い声に、客引きの声。

日はすっかりと落ちていたが、いたるところに置かれた灯篭が、店先のぼんぼりが煌々と闇を照らし出して、遊郭の赤い世界を幻のように浮かび上がらせている。

男との距離、おおよそ100m。

そろそろこちらも歩き出さなければ、見失ってしまう。

 

山崎が歩き出そうとした瞬間――!

ガシリ!

唐突に肩をつかまれ、ぎょっとしたように後ろを振り返った。

「な、何だィ? 驚くじゃねぇか!」

見ればいつのまに後ろに忍んだのだろう、伊庭八郎が驚いたように目を白黒とさせている。

「――伊庭、八郎……!」

(何で今コイツがここにおる!?)

しかも後ろを取られるまで気づかなかったなんて!

山崎は頭痛をこらえるように額に手を当て、じとりと伊庭を睨み付けた。

「なぁ! こんな所で何してるんさね? 土方さんは?」

伊庭はそんな山崎にかまうことなく、明るい口調でそう言って土方の姿を探している。

「今は仕事中だ」

山崎がにべもなく言い捨てると、

「ふぅん」

伊庭はつまらなそうにそう言って、ひょいと山崎の肩越しに往来を眺めた。

「探ってンのは、さっきの優男かい?」

「何のことや?」

「まぁまぁ、とぼけなさんなって!」

安部大将を追ってんだろ?

安部大将――!

その名に思わず肩を揺らした山崎に、伊庭は楽しそうに笑った。

「やっぱり!」

「……何を知っとるんや?」

「んー、知ってるって程は知っちゃァいないけどさ」

「言え」

「有名な退魔士らしいよ。京の、サ」

退魔士……

山崎が眉をひそめた。

「何でも安部晴明の子孫って話さね」

安部晴明、その名は知っている。

しかし陰陽師が栄えたのは、平安時代ではなかったか。

それがどうして今――

ますます渋面を作る山崎に、伊庭は困ったように首筋をかいた。

この様子だと伊庭は自分よりも情報を持っているだろう。

花街のことなら伊庭に聞いたほうが早い。

正直山崎は伊庭が苦手だったが、そうも言っていられない。

 

安部は、と見るともうどこかの店に入ってしまったらしい。

(仕方あらへん。こいつと一緒に潜入操作もできひんしな)

それよりは知ってる情報を洗いざらい引き出そう。

山崎はため息をついた。

「何で陰陽師がこないな所におるんや?」

「そりゃあ、遊びに……って言いたいとこだけどね」

「何や?」

「んんー……ここ数日、変な噂がたっててサ……」

伊庭は声を潜めると、ガシリと山崎の肩に腕を回した。

「何すんのや!」

たくましい男の腕が首に回され、鳥肌が立つ。

払いのけようとした山崎に、伊庭はそりゃないよ、と眉尻を下げながら笑うと、内緒話をするように耳元に口を寄せた。

町人の若旦那の格好をしている山崎と、いかにも遊び人らしい女物の着物を肩に引っ掛けた伊庭は、そうでなくても悪目立ちする。

山崎が目で抗議すると、伊庭は肩をすくめてニヤリと笑って山崎に体重をかけて寄りかかった。

「オイ!」

「こうしてりゃあ、オイラが酔っ払ってるって皆思うって!」

本当か!?

(単に人で遊んどるだけやろが! この性悪が!)

口元が引きつったが、伊庭は飄々と笑うだけで手を離そうとはしない。

終いには鼻歌まで歌い始めた伊庭に、山崎は米神に青筋を浮かび上がらせ足を踏みつけようとした、その時――!

どこからか女の鋭い悲鳴が聞こえてきた!

「な、何や……!?」

弾かれたように走り出そうとした山崎を、伊庭が素早く制する。

「まぁ、待ちなって」

「伊庭!」

「……もう今更駆けつけたところで、間に合いはしないよ」

その言葉に、山崎がハッと伊庭を見た。

「それよりも……こういう暗い路地にいたほうがいい」

この男は、一体何をどこまで知っているのだろうか?

人々が悲鳴を聞きつけ、口々に騒ぎながら駆けていく中。伊庭と山崎はにらみ合ったまま立ち尽くしていた。

「何を……!」

「シッ!」

しゃべろうとした山崎を、伊庭が遮る。

 

(何や一体……!?)

疑問に思った瞬間、それは氷解した。

ヒュ、うまく息が吸えず、喉が引きつった音を立てる。

この空気は何だろう?

淀んだ古い風が――後ろから流れてくる。

振り返ろうとした山崎の腕をきつくつかんで、伊庭が止めた。

見るな、伊庭の目はそう言っている。

この背の向こうに、何かいるのか?

音が、喧騒がやたら遠くに感じる。

辺りは、灯篭に照らされ依然として明るいはずなのに――急に明かりが落とされたように暗く感じる。

 

全ての物がひどくゆっくりと感じられた。

 

耳だけが。

やたらと鋭敏になっている。

 

コツリ

足音が聞こえた。

殺意は、ない。

コツリ

下駄の音ではない。これは――西洋の靴の音だ。

振り返らなければ。何があるのか確かめなければ。

恐れを消すようにそう言い聞かせるのに。

体が震え、硬直を解くことができない。

 

何かが、後ろから

来る!

 

ふわり

鼻腔を香水の香りが掠めた。

 

何かが、横をすれ違う。

目の端に写ったのは、黒いマント。白い手袋。

(異国の、男か……!)

男がすれ違った瞬間、濃い血の匂いがした。

(な……!)

かちり。

何か小さな音がする。

かちり。

規則正しくなる、これは――時計の音?

息が、つまる!

 

山崎の腕を握る伊庭の手にも、力がこめられるのがわかった。

 

すれ違ったのは一瞬。

ザワリ、言いようのない威圧感が、闇が! 襲い掛かるような気がして、殺気を抑えることができなかった。

きっとあの男は、自分の殺気に気づいている。

ドッと背中に冷たい汗が流れた。

頭の芯が冷たくなって――やがて体温が正常に戻っていく。

鼓動は依然として早い。

男が去ってすぐ、音は戻り灯の明るさが戻った。

 

山崎はひっそりと深呼吸すると、伊庭をにらんだ。

伊庭は彼にしては珍しくまじめな表情を浮かべていたが、山崎に気づくとすぐにヘラリと笑って見せた。

「――話せ」

「……本当に仕事熱心な人だねぇ」

「煩い」

「オイラとしちゃぁ、あんまり関わって欲しくないんだけどねぇ」

そう言いながらも諦めているのだろう。伊庭は僅かに同情を目に宿すと深く息を吐いた。

「オイラが聞いたのは、妖が出るって噂さね」

「妖、やと?」

「うん。五日くらい前からね、突然妓達が原因不明の病で倒れ始めて、ね」

流行り病か、そう戦慄が走ったが医者の見立てでは、ただの貧血だった。

「かといって、月の物かってぇとそうじゃない」

今まで被害にあったのは10人。

その10人が10人とも起き上がることができないほど、一晩で血を失った、というのだ。

「倒れた妓たちはみんな、首筋に二つの小さな傷跡があった」

まるで何かに噛まれたような――

 

あまりといえばあまりな話に、山崎は黙りこくった。

「みんなまだ布団から上がれないけどサ、幸か不幸か殺された妓は一人もいない」

ただ――

「みんな一様に倒れた晩の記憶は失ってるけどね」

伊庭はあっけらかんと言い放った。

「ただ覚えてるのは、時計の音がやけに聞こえたっ――てことだけらしい」

妓達はそれ以外何も覚えてはいなかったが、店の他の者は覚えていた。

気前よく金を弾む、若い異国の男がいたことを。

 

「異国の男、やと……?」

ゾっと背に冷たいものが走る。

異国のものとてそう珍しいものではない。

普段目にする機会はそうそうなくとも、花街に行けば何人もの男とすれ違う。

山崎が伊庭に目を向けると、伊庭は小さく苦笑した。

「そんなに期待しないでおくれよ。オイラだって何でも知ってる訳じゃない」

店の者も男の顔や名前を思い出すことができなかったのだから。

伊庭はそう言ったが、

「オイラは偶々妓が襲われたのとは違う店にいたからね。犯人がどんな男だったのかは、見ちゃあいない。だけど……」

窓から何気なく路地を見下ろしたとき――異国の男と目が合った、という。

あの時に走った戦慄に、ああ犯人はこの男だ。直感的にそう思ったのだという。

そのことを思い出したのだろう。気丈な伊庭にしては珍しくブルリと体を震わせると、

「情けないねぇ」

恥じたように、苦笑した。

 

「――さっきの男が……」

「証拠はないけどね」

 

金の波打つ髪。緑の瞳――

年の頃は20代半ばだろうか、身なりのよい美しい男だった。

(やけど……)

男が無事だったということは、安部はどうしたのだろう?

その問いに伊庭は首を振って見せると、やっと山崎の腕を開放した。

 

「あんまり関わりにならねぇ方がいいって、土方さんにも伝えてくれるかい?」

「――伝えるだけやったらな」

「……まったく難儀な仕事だねぇ」

伊庭は力なく笑うと、話はこれだけだとばかりにひらりと手を振った。

「じゃあ、オイラはもう行くよ。土方さんによろしく」

「ああ」

喧騒はもう元に戻っている。

にぎやかな太鼓に笛の音。

禿の客をいざなう必死の声。酒に酔った男の上げる品のない笑い声。

 

山崎はしかし、いつまでたってもそこから動くことはできなかった。

 

 

  

2009.8.3