決着
篝火の灯りを受け、刀身が上からギラリと鋭い光を走らせる! 手がビリビリと震える――耳を劈く硬質な音! 刀がぶつかる! 「まだまだぁ!」 楠 満(みちる)は心底楽しそうに声を上げると、宙で身体を捻って刀を振り下ろした! やられる!? とっさに後ろに跳び退って、顔を精一杯後ろに倒す。 睫を掠めるようにビカリ、と刀は閃き、逃げ遅れた髪の一房が宙に舞うのを見て、は舌打ちをした。 「どうしたぁ? ぁ、もう仕舞いかぁ?」 品の無い笑い声を上げて、満がを挑発する。
二人は今御所の庭に特別に設えられた、能舞台の上にいた。
御前試合をさせられているのだ。 四角く切り取られた中庭の墨には、二人の主人が控え、御簾をおろした奥の部屋で孝明天皇が二人の試合をご高覧になっている。 決して負けるわけにはいかない。 は事前に主人にそう言い含められていた。 そう、決して負けるわけにはいかないのだ! 芦屋道満の子孫であるの主人と、と安部晴明の血を受け継ぐ楠の主人の因縁は、平安時代にまでさかのぼる。 どちらがより優れた術者なのか。孝明天皇の命により、主人の代わりに戦わされているのだ。 「くそ……!」 は唇をかみ締めて、自分よりいくらか背の低い――しかし実力の違いすぎる楠をにらみつけた。 鋭い三日月の灯りだけでは鑑賞に足りず、舞台の下の白い玉石には無数の行灯が置かれ、御所の庭をオレンジ色に染め上げている。 木のはぜる音をバックに、は肩で息をしながら、刀をギリと握り締めた。 幕末の京都には、死体があふれていた。 黒船と共に、異国から異形の物も多く流れ込み、京の闇は見る者が見れば、恐るべき異形の闊歩する都となり果ててしまったのである。 そして孝明天皇は平安の世に習い、術者を抱えることとした。 その時候補に挙がったのが、安部晴明の子孫と芦屋道満の子孫である。 どちらがよりすぐれた術者なのか。 戦わせてみよ、との命によりは限りなく不本意ながら、戦いの場に引きずり出されたのだ。
楠も、も新米の鬼で。 体は鬼と変化したとはいえ、まだ何の術も使うことはできない。 ならば実力は互角か、といえば。 長く剣を学んでいた楠と、遊女であるでは戦いにならない。 冗談じゃないっての! はぜぇぜぇと荒い呼吸を整えながら、余裕たっぷりに刀を振り回している楠を見た。 猫のような大きくつりあがった目。 口から覗く牙。 楠は、この時代には珍しく、髪を短く切ってツンツンと立てている。 まるで小悪魔のように。目を爛々と光らせて、の息が整うのを待っている。 勘弁してよ。 は内心愚痴った。 自分はついこの間まで刀なんて握ったことのない、遊女だったのだから! いきなりこんな戦いの場に引きずり出されても、戦えるわけがない! 泣きたくなって主人である牡丹を振り返ると、彼は渋面を作って自分を見ていた。 ……帰りたい……。 もうイヤだ! どうして、こんなことをしなければならないの?! 人間に戻りたい……。 哀しくて。 理不尽な事に対する怒りがふつふつとわいて来て――は唇をかみ締めてこぼれそうになる涙を必死に堪えた。 ここに孝明天皇さえいなければ、捨て台詞をはいて帰ることもできるのに! ここにご主人さえいなければ、刀を捨てて帰ることができるのに! 主人の命令は絶対だ。 戦うしか、ない! 「ッくそォッツ!!」 ぐるぐると頭に渦を巻く、ネガティブな思考を振り払うように、渾身の力をこめて刀をなぎ払う! 「よっと」 楠は難なく刀を避けると、勢い余っては豪快に顔から滑って転んでしまった。
ああ……ご主人様が頭を抱えているのが見えるよ……。 「もう仕舞いか?」 「う」 首筋に刃が当てられる。 ざわりと剣で首を撫でられて、一気に鳥肌が立つ。 不自由な体制のまま視線だけを後ろに向けると、ツンツン髪の楠がにやりと笑っているのが見えた。 「なぁんだ。大したことねぇのな!」 「生意気。チビ助」 「……テメェ!」 悔し紛れに呟いた声を耳ざとく拾って、楠は額に青筋を浮かび上がらせる。 斬られる! は目をぎゅっと瞑った。 刀が音を立てて風を切る! ブワリ、と剣圧が首筋に吹き付ける! 「そこまで!」 鋭い声が飛んで、は身体を震わせて片目をあけた。 見れば首元ギリギリで楠の刀が止まっている。 「ヒッ!」 は身体を凍りつかせた。 孝明天皇の声がなければ死んでいただろう。 孝明天皇は立ち上がると、 「お前たちの力は見せてもらった。芦屋、安部」 「は」 二人の主人は頭を垂れて跪いた。 「これからの報告を楽しみにしているぞ」 「は」 これから? 「そこな鬼どもは、まだ器でしかない。術を覚えてから後、今一度戦ってもらおう」 ……どういうこと? 「それまでは、二人力を合わせて京の治安を守ってもらいたい」 は呆然として孝明天皇の言葉を聞いていた。 「お前たちがどのような鬼になるやら。楽しみにしている」 「は」 ふいに声をかけられすかさず跪いた楠を見て、慌てても身体を起こすと頭を垂れた。 え? 戦いは? もう終ったの? 何がなにやら分からなかったが。 孝明天皇の声によって、命が助かったということはわかって、一気に体の力が抜けるのを感じた。 孝明天皇は言いたい事だけを言って、鷹揚に頷くと近習を引き連れて去っていく。 彼が完全に姿を消したのを見ると、 「さて――」 二人の主人は同時に声をかけ、互いに気に入らないというように互いに睨みつけると、先を争うようにして能舞台にいる鬼の前に歩いて来た。 怒られる! びくりと身体を震わせて、が目をぎゅっと閉じる。 の主人、牡丹は物言いたげに口元を引きつらせながらを睨んでいたが。深く息を吐くと 「帰るぞ」 短く吐き捨てる様に言って、踵を返した。 「あ! ま、待ってください!」 絶対勝てって言われてたのに! ズタボロに負けてしまった、は青くなって主人を追いかけようと腰を上げた。 「おい!」 「何!?」 こいつのせいで、こいつのせいで! 後でどれだけ攻められなければならないのだろう! 声をかけてきた楠をキッと睨みつけると、彼は無造作に刀を蹴飛ばしての足元にぶつけた。 「忘れもんだ」 「あ、刀!」 慌てて刀を拾って、顔を上げれば遠くの方で牡丹がにらんでいる。 「ヒッ!」 帰ったらどんな罰を受けるのか、恐ろしくて身体が震えた。 「まぁせいぜい死なねぇように頑張んな」 人事だと思って! 楠は頭の後ろで手を組んで、歯を見せて笑うと、は涙のにじむ目で楠をにらんで、慌てて牡丹を追いかけて行った。
「……今はまだ戦う術を知らないが……あの娘、恐ろしい器を持っている」 「ご主人」 「うかうかしてるとお前も追い抜かれるぞ」 安部大将はガシリと楠の頭を掴んで言うと、 「負けないっすよ!」 楠は口元から牙を覗かせて、獰猛に笑って見せた。
後ろで彼らがそんな会話をしているなど思いもしないは。 ずんずんと先を歩く牡丹を追いかけて、 「待ってくださいー! ご主人!」 情けない声を上げて、何もないところで見事に転んだ。
2006.12.14
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