安倍大将は夢を見ていた。

遠い異国の夢――運命と狂気に翻弄される二人を……

 

 

一目見たときから気づいていた。

金の髪のあの男は、あの時花街ですれ違った鬼だろう。

先ほどの、無数の骨を収めた洞窟にいた黒衣の男は、自分と同じ生業のものか。

「確か……異国では、エクソシストといったか……」

鬼を払うものが、鬼に情けをかけるなど……。

安倍は苛々と親指の爪を噛んだ。

あの男は、あそこで鬼に止めを刺すべきだった。

人としての命を終えた鬼の末路は、皆同じだ。

人の心と、鬼の心との狭間で苦しみ――やがて狂気に飲み込まれ、人に手をかけるようになる。

そして、ふと平静に戻った時、自らの犯した罪に恐怖するのだ。

(それを、知らないわけでもないだろうに……)

見たところ、あのエクソシストもまた何かを抱えているようだった。

彼の手を止めたのは、その”何か”だろうか?

安倍は頭を振った。

あの金の髪の鬼は――術者に飼われた犬じゃない。

暴走をしても、ストッパー役になる術者を持たない。

ならば――行き着くところまで暴走するだろう。

 

もしあの男が、まだ人としての心臓を持っていたなら。未来は変わっただろうけれど……。

安倍はかいがいしく世話をする少女を見て、痛ましそうに目を伏せた。

今自分が見ているのは、夢の見せる記憶だ。

かつて起こったであろう、人の歴史だ。

すでに起こってしまったことは、もう介入できない。

この世界の人々は、自分に気づくことなく生活を送っている。

言葉はわからなかったが。

少女が、青年に好意を持っていることはわかった。

だから――

いずれ訪れるであろう、別れを見るのがしのびなかった。

「本当……どうして、こんな因果な商売始めちゃったのかなぁ……」

退魔の一族に生まれ、物心付いたときから不思議なモノを見ることができたが。こんな力、望んでいたわけではない。

自分が救えるのは、死んだ人間ばかり。

憎悪・怨念・物の怪――人間の負の感情ばかりだ。

 

安倍はくしゃりと髪をかきむしると、目の前の二人から目を反らすようにしゃがんで膝に視線を落とした。

鬼である男は、致命傷を負っても死ぬことはない。

彼を殺すには、きちんとした儀式を行わなければダメだ。

男はまだ人間としての心を色濃く持っているのだろう。

柔和な笑顔を浮かべ、憂いに満ちた眼差しで少女を見ている。

彼の心の中では、複雑に絡んだ心がせめぎあっているのだろう。

彼女の世話になることへの不安――鬼として目覚め始めた、渇きの戸惑い……

血への渇望

快楽の衝動

 

大切なものを傷つけるかもしれないという恐怖――

そして。

自分に腕を伸ばし、無償の愛を注いでくれる彼女に対する、僅かな淡い想い……。

だけど――。

安倍はそっと目をそらした。

鬼の血を浴び、以前とは比べ物にならないくらい健康になった少女は、まだ気づいていない。

自分が後ろを向いた時、フリードリヒがどんな顔をしているのかを。

大きく開いたドレスの首元から覗く、ほっそりとした首に、彼がどんな視線を向けているのかを。

 

見たくない。

安倍は奥歯をかみ締めると、膝に額を押しつけた。

やりきれない。

救いたいのに――

伸ばしたては、彼らには決して届かないのだから。

 

 

  

2009.10.25