二人分

 

楠は浅黄色が嫌いだった。

浅黄と白のだんだら羽織を着て、町を我が物顔に闊歩する新撰組が大嫌いだった。

格子窓から大通りを行く新撰組の連中を見て、きつく震える拳を握り締める。

 

父はささいな事で新撰組局長、芹沢鴨に殺された。

母は自分を産むのを引き換えに、この世を去ってしまったから。父と二人、助け合いながら生きてきたのに。

なぜ何の罪もない父が殺されなければならない?

家に運び込まれた父の遺体にすがりつきながら、ただ一心に芹沢鴨を恨む。

涙は出なかった。

父の死を受け入れることができなかった。

 

どれ位そうしていたのだろう。

やがて意識が朦朧としたころ――。

肩に置かれた手に気付いてハッと顔を上げると、見たこともない不思議な男がそこにいた。

「誰だ? アンタ……」

しゃがれた声は、自分の物とは思えなくて。

他人事のようにぼんやりと楠は男を眺める。

異人を思わせるフワフワとした長い亜麻色の髪。

柴犬のような丸い黒目がちの瞳。

男は歌舞伎役者のような派手な着物を着て、髪を下のほうで緩く結んで肩にたらしている。

男が動くと落ち着いた香の匂いが、フワリと鼻をくすぐる。

誰だ……コイツ?

こんなヤツ見たことがない。

垂れ目がちの目を痛々しそうに細めて。

「落ち着きなさい」

男は静かな声でそう言うと、楠を腕の中に柔らかく包み込んだ。

「落ち着いて。闇に囚われてはいけない」

「な、に……」

を言っているんだ?

そう言いたかったのに。声になることはなかった。

体の力が抜け、急激ににどこか――魂の奥のほうから、力がわきあがるのを感じる。

頭の芯がジンジンと痺れて熱い。

呼吸が乱れ、激しくなる。

苦しい――!

「落ち着いて」

耳元で聞こえる男の静かな声がなければ。

「ゆっくり息を吐いて――そう」

柔らかな腕に抱きしめられていなければ。

自分はきっと闇に囚われ、異形の物と成り果てていただろう。

青と白のネガに染まった視界。色は――ただ一色。

男の髪を結う、浅黄色のリボンだけ!

 

心臓が飛び跳ねる!

「う、ぁぁああッツ!」

「いけない」

男の焦ったような声が耳元で聞こえ、四肢が痙攣し。

楠の視界は……。

闇に閉ざされた。

 

その間ずっと聞こえていたのは。男の呟く、歌うような呪文の声。

初めて聞くのに、どこか懐かしくて。ホッとして。

楠は無意識に涙をこぼした。

 

ゆらゆらと香るのは、香の匂い……。

 

気がつくと自分は男の家で寝ていて。

男は楠の頭に大きな手を置いて、哀しそうに微笑んで父を葬った事を告げた。

「勝手な事をして悪かったね」

自分は全然悪くないのに。

男は顔をクシャリと歪めて泣くと、慌てて袖で目をごしごしとこすった。

――変なヤツ。

どうして関係のないこの男が泣いてくれるのだろう?

男の透明な涙が落っこちた自分の頬を指で拭うと、楠は震える唇をかみ締めて男のそばかすの散った顔を見上げた。

自分は男だ。

だから人前で泣くことなどできない。

だけど目の前の男が、父のために。自分のために泣いてくれるのが嬉しくて。

ツンとする鼻を誤魔化すように拳でこすると。楠はまだ泣いている男を見て、困ったように――泣きたいのを誤魔化すように小さく笑った。

 

これから一人で生きていかなくてはならないと思っていたんだ。

 

そう、覚悟していたのに。

男は自分をこの家に住まわせてくれると言った。

 

鬼としてでも男が自分を必要としてくれるのが嬉しかった。

この男に仕えよう。

全身全霊をかけてこの男を護ろう。

 

その誓いは今も固く楠の心に根付いている。

楠は往来から目をそらすと、マグカップにジャスミン茶を入れて、大声で主人を呼ばわりながら座敷に上がった。

「ご主人ー、お茶入りましたよぉ!」

盆の上にはマグカップが二つ。

湯気を立てて乗っていた。

 

 

2006.12.15