切り刻め

 

 

「それで――先生にお願いしたいのは、倉にいる化け物のことなのです」

その初老の男は、雨が上がるのを待ったようなタイミングでやってきてそう言った。

 

夜半ごろから降り始めた雨は昼になってもやまず、つい先ほど小ぶりになったかと思うと、小休止のようにピタリとやんだのだ。

男は肌寒いにも拘らず、しきりと汗を手ぬぐいで拭きながら、せっかちな口調でことの次第を話し始めた。

男は大通りにある、名のある古道具屋の主人だった。

最近は鎧兜を求める武士が急増したため、店頭に合ったものはあらかた売りつくしてしまい。

番頭が在庫を取り出そうと倉に入ったところ、何の化け物が乗り移ったのか、いきなり鎧兜が暴れ始め襲い掛かってきた、と言うのだ。

「こんなご時世でありますから……これが新撰組の耳にでも入ったらどうなることやら……」

まさか化け物がやったなどと、彼らは思いもしないだろう。過激な攘夷浪士といざこざを起こした、と疑われるのが落ちだ。

主人はゾッとしたように身体を震わせると、懇願するように安部の手を握り締めた。

 

 

 

「こちらがその倉でございます」

男の話から、庭で大立ち回りが行なわれているかと思えばそうではなく、庭はひっそりとしており件の化け物は倉の中に戻っているようだった。

ただ庭にばらばらと落ちる踏み破られた障子や、割れた皿のかけらや撒き散らかされた塩が、騒ぎの混乱振りを物語っていたけれど。

安部は楠と目を合わせると

「では」

長い袖を後ろに勢いよく振り払って印を結んだ!

「下がってた方がいいっスよ!」

明るい調子で楠が主人に言う。

「で、ででは、終りましたらお声をかけてくださいまし」

男は慌ててへっぴり腰で店の中に逃げ帰っていく。

 

楠はいつでも刀を抜けるよう手をかけと、赤い舌を覗かせ、チロリと唇を舐めた。

安部の唱える言魂の波動が、見えない線を描くように屋敷の周りを一周し、結界を張っていく。

その気を感じたのか、妖怪たちが倉の中でガチャガチャと耳障りな音を立てて騒ぎ始める!

ぶわり!

倉を突き抜け、噴出すのは妖気!

「九十九神、か」

安部が呟くのと同時に!

内側から爆発が起こったように、倉の扉が吹き飛ぶ――!

「チッ!」

「ご主人! 下がって!」

濃い紫の煙にも似た妖気と共に、化け物たちが一斉に飛び出してくる!

「ははッ!」

楠の口は心底楽しげに、ニィと弧を描いて。

化け物を睨みすえる!

「商品は壊さないでね! 弁償とかイヤだからね!」

「じゃあ、どうやって戦うんスか!?」

「霊だけ上に上げるから! そこを斬って!」

「了解!」

楠はすり足で詰め寄ると、化け物は高いとも低いともわからない、奇妙な声を発した。

安部が五芒星を切り呪を唱える!

化け物は揺ら揺らと、操り人形のようにおぼつかない足取りでこちらに向かって――来る!

「ゾンビか、っての!」

おどろおどろしい動きに小さくもらすと、一斉に鎧兜を包んでいた紫の煙が宙に吹き上がり!

上空に巨大なもやもやとした人の顔のようなものを形作った。

「何だ……? アレ!」

「思念だ! アレを斬れ!」

安部が鋭く言い放つ。

楠はその言葉に、弾かれたように身を低くして――大地を蹴る!

いつ刀を抜いたのか、などという悠長な速さではない!

それは一瞬の閃光のようなものでしかなかった。

ギラリ。

分厚い灰色の雲を斬り裂くように、いく筋もの閃光が走る!

速い!

太刀筋を目で追うことなど不可能だ。

「……何や……? アレ……?」

垣根の陰に隠れていた、薬売りらしい男はそれを見て呆然と呟いた。

まだ年端も行かない少年が宙に浮かんだまま、化け物と戦っている。

まるで見えない大地がそこにあるように。飛び上がり、剣を閃かせる。

斬っても斬っても煙を斬るようで手ごたえがない!

本当にダメージを与えているのだろうか?

楠は舌打ちをして、安部を呼んだ。

「ご主人ー!」

「はい、はーい。ちょっと待っててね。今パワーアップしてあげるから」

安部は掌をひらひらと振って見せると、懐から懐紙のような物を出して放り投げた。

風に攫われ、紙が宙に舞い上がる!

紙は、白く光る鳥へと変じ、楠目掛けて一直線に飛んでいく!

「何だぁ?」

突然自分の元へ飛んで来た鳥に、楠が目を見開く。

鳥は楠の肩に止まると、雪が解けるように見る見るうちに体の中に染み込んでいった。

ドクン!

心臓が高鳴る。

力が――流れ込んで来る!

「斬れ! みちる。斬りまくれー!」

下のほうで安部が殴るような仕草をして叫んでいる。

「……なんかよくわかんねぇけど」

楠は刀を握る指に力を入れると――跳躍した!

光が閃くたびに、糸が切れたように鎧兜が音を立てて地に伏せていく。

一体、また一体――。

すべての兜が地に伏せた時。

「よし!」

安部は気合を入れるように口に出して、呪を唱え始めた。

空中に漂っていた紫の煙は散り散りになり。透明な光になって――スゥと空に溶け込むように消えていった。

 

「結局、アレなんだったんスか?」

トン、軽やかな音を立てて楠が降りてくる。

「んー? アレはねぇ。九十九神と言って、年を経た道具が魂を宿した物だよ」

「……へぇ? 斬っちゃっても良かったんスか?」

「大丈夫、大丈夫。後でちゃんと天に送ったから」

安部がにこりと笑って言うと、楠は腕を頭の後ろに回して散らばっている鎧兜を見た。

「さぁて。それじゃあ、店のご主人に知らせに行こうか! 商品も無事なようだし。良かった、良かった」

「……あんな兜、付ける気にはなりませんけどね」

「もうちゃんとお払いしたから大丈夫だよ」

「いや、なんか気分的に……」

呪われそうだ。

 

談笑しながら、安部達が去った後。

垣根の影から注意深く男は姿を現して、眉をひそめた。

今、自分が見たものは、一体何だったのだろう?

夢、やあらへんし……。

庭には、確かに鎧兜が転がっている。

「……何やったんや? 今の……」

あんな戦い、見たことがない。

最近の京は物騒だったが。

「こんな物までおるやなんて……」

男は呆然と呟くと、ハッと辺りを見回して急いで姿を隠した。

 

背中の薬箱を背負いなおして、足早に男が消えた後――。

 

雨はまた、音を立てて降り始めた。

 

 

2006.12.17