検査で生まれて初めて病院の手術室に入った。
TV番組や映画で、手術室の場面はよく見たことがあるが、まさか自分が体験するとは思っても見なかった。
実際に手術された人はたくさんいると思うが、ほとんどの人が全身麻酔でその時の記憶が無いと思う。
しかし、私の場合は下半身だけの部分麻酔だったので、じっくりと手術室が観察できた。
と言ってしまうと、何の検査か想像できると思う。
とにかく、貴重な体験をしたので、その時の状況をつぶさに書いてみたい。
人間ドックを除くと病院で泊まった事は一度も無い。
点滴もこれまでにしたことが無い。
ということで、ほとんどの事が初体験となった。
担当の先生からは検査ですよと言われていたのだが、病棟の看護師さんらはそう受け取ってなく、手術をすると思っていたらしい。
入院ということだったので、そう受け取っていたのかもしれない。
まあ、そんな事はどうでもよく、手術(?)の前段の点滴から始まった。
点滴でちょっとしたトラブルが発生。
血管があまり出てなく、左右の手を見ていたが針を刺すのが難しいようだ。
これまで、ドックや献血などで採血は問題なかったので、ちょっと意外という思いがした。
ベテランの看護師さんがとりあえずやって見ようということで、針を刺した。
点滴液を流しだすと痛みが出て失敗だった。
このままでは難しいのでお湯で手を温めてと指示があり、そうした。
暖めると血管が浮き出て無事針が刺せ、人生初めての点滴が始まった。
予定時間の1時間前に手術室へとお呼びがかかった。
手術で無いので「まだ、心の準備が出来てない」というようなことは全く無かった。
手術室へは、何故か車椅子に乗って出発した。
車椅子も初体験であったが、初めて乗って実に快適だと思った。
押してもらっていたから楽ちんだった。
病棟から、開いていくドアを3つほど通過した奥が手術室であった。
TVドラマなどでストレッチャーを押して手術室に入るシーンがあるが、全く同じ情景である。
次々と開いていくドア通過し、自分もドラマのヒロインになったような気がした。
生死が関係なかった分、冷静に状況把握が出来たが、少し緊張した。
手術室の状況であるが、まず思ったより広かった。
濃いブルーの手術台が部屋の真ん中にある。
手と足を乗せる部分は可動式になっている。
手術台の頭の方向に血圧や心電図などのデータが表示されるモニターが見える。
周囲にもいろいろな機器があるが何かよく分からない。
天井には球がたくさんついた直径80cmぐらいのライトが3つあった。
この病院は、最近全面改築したのでほとんど新品で、すこぶるきれいである。
ここまでは、見たような光景である。
ところが全く知らなかったことが分かった。
手術室に何ともさわやかな音楽が流れていたのである。
もっとも、意識がある患者の場合にのみ、気を和ますためこのような音楽を流しているのかも知れない。
聞いてみる余裕は無かったが、意識があったから、このような事が分かったのである。
主治医の先生は、水色を濃くしたような手術服で、他のスタッフは、紺色の手術用作業服?であった。
退院した後で女房に主治医の服の色が違っていた話をした。
私は、主従の識別をするため、色が違っているのかと思った。
多分そうだと思う。
しかし、一緒に手術室の家族待合室まで行った女房の話では、主治医の先生の服はだいぶん洗いざらしたものだったらしい。
色がはげて、このような色になっていたのでは、とのことであった。
色がはげるぐらい使っているということは、すごいベテランである証拠である。
後から聞いてそのように確信した。
先生、経験を少し疑ってすんません。m(−−)m
胸に心電図の電極、右腕に血圧計、左手の人差し指に血中酸素濃度測定器を装着された。
酸素マスクがついてないだけで、まるで、こ、これは手術と同じでないか。
準備が出来ると麻酔を腰椎にした。
足の指先まで麻酔が効いてから、検査は始まった。
検査結果は、デジカメで写した画像をその場で見せて説明してくれたが、カメラのモニター表示を拡大する操作に手間取っていた。
私がやってみようかと言いたかったが、やめた。
意識があったのと結果がよかったから、そのような説明方法になったのだと思う。
ところで、自分の「何を」見るのはあまりいいものではない。
しかし、貴重な体験だったのでじっくりと見たかったのだが、残念ながら、眼鏡が無かったので、はっきりは分からなかった。
が、分かりやすく、実に納得がいく説明で、ホット胸をなでおろしたのであった。
下半身がしびれているので、おしっこを出すための管を入れたのが、この最後の初体験であった。
初めての手術的な検査であったが、インフォームド・コンセントに対して手厚く対応している事に感心した。
また、看護師やお世話をする人たちが患者さんの立場に立って対応されている。
病院も競争の時代であるとは言え、とてもいいことである。
なにはともあれ、今後訪れるかもしれない病気に対し、貴重な体験となった。