終活を考える                 2018年1月

終活という言葉を初めて聞いたのは、草刈り業務に行っていた時である。
畑の一角に先祖のお墓があり、終活で、そのお墓を移転するとの事であった。

将来管理が出来なくなるので、管理がいらない場所に持って行くそうである。
終活という言葉の意味がそう聞いて、やっと分かった。

終活という言葉を調べて抜き出してみた。
@自分の人生の終末のためにする活動のこと
A残りの人生をよりよく生きるため、葬儀や墓、遺言などを元気なうちに考えて準備する
B残された家族の負担を軽減する活動、自分の残された人生のための活動
どれも似たようなものであるが、Bが一番合っているように思った。

十数年前に昔の写真を整理していて、悩んだ。
アルバムやネガが膨大にある。
エイやーと処分してしまえればいいのであるが、捨てると記録が消滅する。
でも、その記録にどれだけの価値があるかである。
子孫がすごい著名人になれば、古い記録も生きてくるかもしれないが、そんなことはまず無い。
これが処分するポイントかもしれない。
自分のアルバムだけでも10冊と言わないぐらいある。
これは、1冊ぐらいにまとめておかないと、子供たちが、処理に困ると思った。
手を付けないといけないと思っているが、時間がかかるので、今は無理である。
また、先祖の写真は、誰が写っているのか分からない場合がある。
母に聞き、書き留めているが、母がいなくなると、全く分からなくなる。
今、母に、昔のことを書き留めておくよう頼んでいる。
昔の人は、近所や親戚の事など、本当によく知り、覚えていると思う。
どこそこのだれそれは、どうだったとか、あそこの家は、こうだったとか、生き字引のようなところがある。
昔のことをまとめてもらうのが、母の終活となっている。

終活と整理とのすみわけがよく分からないところがある。
何回か、家具や着物などを処分したが、どちらなのだろうか。
これも調べてみると、整理や処分をする時期に関係がある。
終活をする時期は、70歳が一番多いとの事である。
60歳ぐらいでは、まだ早いし、80歳になると、体の老化が進みすぎて、難しいのだろう。
私も、もうすぐ古希になる。
そろそろ、終活にかからなければならない年になってきたということである。
と言っても、何から始めるのか、それが難しい。
出来るだけ、引き継ぐ物を最小限に、コンパクトにまとめたいと思っているが、性格上なかなか難しい。
*古いものは、価値がある。
*使えそうなものは、置いておくといつか使える。
*すぐに対応できるよう、予備を持っておく。
こんな性格であることから、一向に物が減らない。

庭の木もお荷物となる。
昔は、家に木を植えるのがあたりまえで、古い家では、歴史を経た木が、その家の格式を表していた。
また、風よけや日差しを遮るなど、生活環境面からの必要性もあった。
しかし、空調などが普及し、今は、特に若い人は、庭木に愛着が無い。
葉が落ちる、毛虫などが着く、剪定しないと大きくなりすぎてうっとうしい、きちんと管理するにはお金がかかる。
これが、お荷物ということだろうと思う。
剪定に行くと、木を根元から切ってという仕事が増えている。
我が家でも、お荷物にならないようにと思い、剪定時に大事でない木を伐採している。
このように、徐々に終活に取り組んでいる部分もあるが、ほんの一部である。

まだまだ体の方は大丈夫と思っているが、いつ大病を患ってもおかしくない年になった。
病気になってからでは遅い。
真剣に考えなければならないと思っているが、今は、もう一方の終活である自分の残された人生のための活動に重きが行っている。
両方するのは時間的に厳しい。

終活に悩んでいる。