柳生兵庫助の剣   伊藤一刀斎      塚原卜伝

合気道八幡浜一当流道場のメールマガジン第2部
タイトル ○Aikido-Yawatahama 「一当流」「ふだんの記」(マガジンID:0000179313)
2007/01/17    第4号  無刀流/山岡鉄舟---「一刀正伝無刀流」
2008/01/17    
第6号  無刀流/山岡鉄舟---「一刀正伝無刀流」その2


○山岡鉄舟先生と西山禾山老師

西山禾山老師の禅の達観を「慕われた禾山」に見るように思います。山岡鉄舟先生はまことに日本武道史の柱と思われる大人物です。西山禾山老師と山岡鉄舟先生は交流があり、温かい友情が有ったと推察します。大法寺再建にと沢山の書を送られています。二人の人物なりを知り、修業の糧とさせて頂きたいと思います。山岡鉄舟(1836〜1888)は剣、禅、書の三道を極めた。禅を武州芝村長徳寺願王和尚、伊豆澤地村龍澤寺星定和尚、京都相国寺獨園和尚、同嵯峨天龍寺滴水和尚、相州鎌倉円覚寺洪川和尚に参じる。滴水和尚から印可を得る。http://tesshu.kcnote.com/


○鉄舟の書---衆生済度の書道

◎入木道---蔡?・衛夫人・義之・智永・虞世南・張旭・---韓方明・弘法大師・嵯峨天皇・淳和天皇---岩佐一亭---山岡一楽斎(山岡鉄舟)---
・鉄舟の継承した入木道では、「心身ともに忘れ、おのずから天地万物、一筆に帰するの妙」
・鉄舟が書を揮毫するのは、実に衆生済度の方便であって、さればこそ一枚ごとに「衆生無辺誓願度」と唱えた。---衆生済度の書道
◆山岡鉄舟(大森曹玄著 春秋社刊)より
弘法大師の筆
字体は俗臭を脱し、筆勢に作為がない。まことに雲煙竜飛と形容したいようなもの、なんともいえない味があり、ただ敬服のほかはなかった。」近寄って拝見すると、それはまさしく弘法大師の筆であった。(山岡鉄舟語録)
どの道でも、師匠に選ぶには最善の人にするべきだ
「古今第一の書家、王義之を選ぶべきだ」「どの道でも、師匠に選ぶには最善の人にするべきだ。わしは多くの剣術修業者に接してみて、技の技巧は別として、いちど竹刀を交えてみると、その者の師匠のよしあしがすぐ分る。師を選ぶのはおそろしいものだ。」(山岡鉄舟語録)


○鉄舟の禅その1---「万機その揆一なり」

・「天地同根、万物一体」は禅の世界観
・「無我無心」は禅機の極意だ、天地の達道だ。
・剣も禅も書も、要するに「真実の自己を究明し、人間を形成するもの」
・「万機その揆一なり」



○鉄舟の禅その2---「唯だ道に従って自在あるのみ」

山岡鉄舟23歳に記す『修身要領』の中の「世事の顛倒、人事の順逆は恰も人生の陰陽あるが如し。人の生死は昼夜の道なりと心得る可し。然らば則ち何をか好悪し、何をか憂慮せんや。唯だ道に従って自在あるのみ。深く鑑みざる可からず。」について深く考えています。なかなか真似ができません。「唯だ道に従って自在あるのみ」の気持ちを持ちたいものと思います。
16歳で生母磯女病没、17歳で朝右衛門高福脳溢血にて没。弟五人を連れ飛騨を引上げ江戸に帰着。幼い乳呑児を連れて辛酸の生活を送っています。20歳静山の妹英子と結婚す。結婚後も第一子が餓死する貧乏生活も舐めています。
源頼朝しかり、徳川家康しかり、西郷隆盛しかり、「人は不遇にある時こそ大切な時間である様に思います。」合気道八幡浜一当流道場 Aikido-Yawatahama 小清水孝


○鉄舟の剣その1---山岡鉄舟の師「山岡静山先生伝

・中村敦宇の書いた「山岡静山先生伝」に、こういう言葉がある。「先生嘗て曰く、凡そ人に勝たんと欲せば、須らく徳を己に修べし。徳勝って而して敵自ら屈す、是を真勝となす。若し技芸撃刺に由って而して得べしと謂わば則ち大なる謬なり」
「人は道によっておこなうときは、勇気が出るが、わずかでも私心があり、術策をめぐらす気があらわれると、身に隙が生じるものである。」静山はつねに語っていた。
・春風館の誓願立切り---数稽古---無の心刀を磨くのが主眼---「心というのは元来無限絶対のものであるから、ここまでというような極限がない。したがって、その“心”でもって相手に対し、その“心”を働かして技を行なうときは、たとえ幾日試合をしても疲労したり衰弱したりする道理はないのである。修業者はこの辺の道理をよく工夫して、大いに頑張ってもらいたい」



○鉄舟の剣その2---学剣の目的

・15歳---
「修身二十則」
http://tesshu.kcnote.com/shusin20/
・23歳---『心胆錬磨之事』---
・23歳---
「修身要領」---「余の剣法を学ぶは、偏に心胆練磨の術をつみ、心を明らめ以って己れ亦天地と同根一体の理、果して釈然たる境に到達せんとするにあるのみ」---学剣の目的
・24歳---「生死イズレガ重キカ」---
・25歳---「武士道」---
・28歳---「中西派一刀流」浅利又七郎義明の門に入る。
・33歳---
「将軍慶喜の命を受けて、大総督府本営に向かう」---
山岡鉄舟は15歳の時に『修身二十則』を自ら作り実行しています。また、23歳の時『修身要領』で「学剣の目的を己れ亦天地同根一体の理を到達せん」と打ち出しています。「人の一生は修業である。」を実行されたと思います。西郷隆盛は山岡鉄舟を「命も名も金もいらぬ人は、始末に困る」と大人物なるを評しています。痛快な一生ですね。 合気道八幡浜一当流道場Aikido-Yawatahama 小清水孝


○鉄舟の剣その3『剣法正伝真の極意』---「敵の好む処に随ひて勝を得る」

・45歳---
「無刀流」の一派を開く (明治13年4月)「剣法と禅理」---「余の剣法や、只管其技を之重ずるにあらざるなり、其真理の極致に悟入せん事を欲するにあるのみ。換言すれば、天道の発源を極め、併せて其用法を弁ぜんことを願ふにあり。猶切言すれば、見性悟道なるのみ」
・47歳---(明治15年1月15日)
「剣法邪正弁」---「夫れ、剣法正伝真の極意者、別に法なし、敵の好む処に随ひて勝を得るにあり。」「是れ、余が所謂剣法の真理は万物大極の理を究むると云う所以なり。」
・無刀流の技法は、「我が体をすべて敵に任せ、敵の好むところに来るに随い勝つ」ところの「勝負を争わず」「自然の勝ちを得る」
「無刀流剣術大意」---「一、無刀流剣術大意は、勝負を争わず、心を澄し胆を錬り、自然の勝ちを得るを要す。一、事理の二つを修業するに在り。事は技なり、理は心なり。事理一致の場に至る、是を妙処となす。一、無刀とは何ぞや、心の外に刀なきなり。敵と相対する時、刀に依らずして心を以て心を打つ、是れを無刀と謂ふ。其の修業は、刻苦工夫すれば、譬えへば水を飲んで冷暖自知するが如く、他の手を借らず自ら発明すべし。」
・(明治15年4月8日)
「一刀流兵法箇条目録」---「万物太極の一より始まり、一刀より万化して、一刀に始まり、又一刀に起るの理」有りと伝えています。


○鉄舟の剣その4『無刀流と称する説』---「無敵に至りたるを以て至極とす」

・50歳---明治18年3月、一刀流九代小野次郎右衛門業雄忠政から一刀流十世を嫡伝する。一刀正伝の秘奥≠ニ、その証である瓶割の太刀≠ニを伝えられ、一刀斎の正伝を継承する。鉄舟はその後、「一刀流十世嫡伝無刀流開祖山岡鉄舟」と称し、やがて流儀の称号を「一刀正伝無刀流」としたのである。
・(明治18年4月10日)
「無刀流と称する説」---「剣法者、鍛錬刻苦して無敵に至りたるを以て至極とす。優劣ある時には無敵にあらず。---是れ心外に一切ものなき証拠なり。修業者数十年苦行をなし、唯身体の働きと太刀の運びばかりを見るは非なり。予が発明する所を無刀流と称するは、心外に刀なきを無刀といふ。無刀とは無心と言ふが如し、無心とは心をとどめずと言ふ事なり。心をとどむれば敵あり、心を止めざれば敵なし。所謂孟軻子の浩然の気天地に塞つといふは、即ち無敵の至極なり。」
・(明治18年5月18日)
「剣術の流名を無刀流と称する訳書」---「無刀とは心の外に刀なしと云う事にして、三界唯一心也。一心は内外本来無一物なるが故に、敵に対する時、前に敵なく、後に我なく、妙応無方、朕跡を留めず。是、余が無刀流と称する訳なり。」
・「活溌自在にして物に滞まらず、坐せんと要せば便ち坐し、行かんと要せば便ち行く、語黙動静一々真源ならざるはなし。心刀の利用(きれあじ)亦快ならずや」
「どんな人も評価し包み込む度量があるから、ますます人が募って行くのだ。この人は只者ではない。」山岡鉄舟の世評である。甚深般若を愛護する精神から 『真如愛護の実を上げる』生活からこの度量が生まれるんだろうと思います。山岡鉄舟先生は西山禾山老師より一つ年長です。二人はそれぞれ天に佛に導かれて激動の時代を生きられています。 合気道八幡浜一当流道場 Aikido-Yawatahama 小清水孝


○鉄舟の剣その5「良き師との出会い」

人はよき師に出会い、師を越えることによって、後世に名を残す傑物に生れ変わる。師はよき弟子を得る事によって、その道の奥義、極意を伝えることが可能となる。そして、そのことによって、師の評価もまた定まるのである。学問の道も、いかに生きるか、人の道も同じである。(佐々木克氏解説-春風無刀流-津本陽より)


○野に下った西郷隆盛を説得の為、鹿児島に訪ねる。

・西郷隆盛---「敬天愛人」(天を敬し、人を愛す) 
「一以貫之」(一以て之を貫く) 
・山岡鉄舟---「信為万事本」(信を万事の本と為す) 
「素志白雲同悠 高情青松共爽」(素志は白雲と同じく悠 高情は青松と共に爽)の書を互いに贈っています。
「信為万事本」
二人は江戸城無血開城の立役者です。二人に厚い友情があると想像します。禅味ある達胸を感じますね。二人は「甚深般若に全幅の信」を持っていると思います。「信為万事本」で人生を進みたいものです。「信があるから“和合の業”となり、楽土となる」と思います。心良い時間を一杯隣人と共有出来たら楽しいですね。“甚深般若の法の門”に立つ。
「万有愛護の精神一つを以って万に当たるの道」を見つけたり。我が流儀を『一当流』と称するを宣言す。合気道八幡浜一当流道場 ○Aikido-Yawatahama 小清水孝 2005/11/15
「敬天愛人」
「天を相手にして、人を咎めず、ただ己の誠の足らざるを尋ぬるべし」西郷隆盛がいつも自分に言い聞かせていたと聞く。二人は「大きな信と大きな愛」を持っていたと思います。「万有愛護の精神の鍛錬」「誠の修行」に励まれた手本と思います。 合気道八幡浜一当流道場
Aikido-Yawatahama 小清水孝


○「一刀正伝無刀流」の嫡伝

明治18年8月、一刀流九代小野次郎右衛門改め業雄忠政から一刀流十世を嫡伝する。鉄舟はその後、「一刀流十世嫡伝無刀流開祖山岡鉄舟」と称し、やがて流儀の称号を「一刀正伝無刀流」としたのである。
山岡鉄舟---香川善治郎---石川龍三---草鹿龍之介---石田和外---村上康正---井ア武廣へ嫡伝する

二代 香川善治郎---旧丸亀藩士 
三代 石川龍三---石川県士族---師伝の尊きを諭す
四代 草鹿龍之介---旧日本海軍中将、第五航空艦隊司令長官
五代 石田和外---第五代最高裁長官、全剣連会長を務める
六代 村上康正---金沢在住の医師---村上康正の手許には、「山岡鉄舟先生遺存剣法書」鉄舟佩刀の吉岡一文字「家吉」が保存されている。
七代  井ア武廣---福岡県久留米市出身

参考図書
山岡鉄舟 大森曹玄
剣禅話 高野澄
春風を斬る 神渡良平
春風無刀流 津本陽
俺の師匠 小倉鉄樹
山岡鉄舟の一生 牛山栄治