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白い雲第3部 小さな競翔家

第一部 早春

政春が、2丁目にある浦部の家を訪れたのは、ぽかぽかと暖かい春の日であった。
政春の家から自転車で、7分程度の距離に浦部の家はあった。新築の白い建物だった。勿論これまで浦部と面識があった訳では無い。
「いらっしゃい。」
事前に電話をしていた事もあり、玄関に出迎えたのは、40歳前の少し口髭を伸ばした小柄な人物だった。
「初めまして、お電話しました、俵と申します。お忙しい中、ご無理を申し上げ恐れ入ります」
「いえいえ。とんでもありません。丁度、今は500キロレースが終わって、次の700キロレースまでの間の週ですので、私も時間がありますので。どうぞ、中へお入り下さい」
感じの良い人だ・・政春は自分より一回り年下であると思われるが、浦部の応対を見てそう思った。
これまでの話を詳しく浦部に説明する政春であった。
「・・・成る程。確かに動物セラピーと申しますか、動物と心を触れ合うのは大事な事です。良かったですね。そのお子さんが、鳩と言う動物によって心が開かれて」
「いきなり、父親となって、どう接して良いか分からず途方に暮れておりました。でも、神社で拾った鳩の雛が、救ってくれました」
「私の家にも、2人の子供がおります。小学校の6年生と、4年生の、それぞれ、男の子、女の子ですが、校区も同じ。今度、お子さんを家に連れて来て下さい。私も実はこの地に引っ越して来て、まだ10年です。鳩もやっと5年程前から、ここに家を建ててから、本格的に飼えるようになりました」
「浦部さんは、引っ越して来られる前は?」
俵が聞いた。
「はい、東神原と言う所へ住んで居りました。そこで、中学1年生の時から競翔鳩を飼ってまして、10年程鳩レースを楽しんでいました」
「そうでしたか。それで再び?」
「はい。私にとって、競翔とは、自分の人生のようなものです。約4年間競翔を止めてましたが、夢にまで鳩が出て来る程でしたよ、ははは」
「はははは。」
俵は、浦部の飾らない人柄に親近感を持った。
「ところで、厚かましいお願いなのですが、私は鳩を飼った経験がありませんので、飼育についての詳しい事を教えて頂こうと今日は参りました」
「はい。ここに2冊の本があります。『競翔について』香月一男著、『鳩飼育について』香月一男著、そして、これは、以前私の目標としていた、倶楽部長であり、現在競翔鳩協会の理事でもあられますが、川上真二著『手記』この3冊をご覧下さい。詳しく鳩の飼育について書いてあります。又、鳩を飼育するとはどう言うものであるか、手記では書かれてあります。さあ、それでは私の鳩舎にご案内しましょう。どうぞ」
礼を言いながら、案内されるまま、俵は鳩舎の前に立った。無数の鳩が群れていた。
「ほう・・綺麗ですね。きらきら輝いている」
明らかに、神社仏閣に居る鳩とは違う鳩達に、俵はその第一印象をそう表現した。
「私の所は、在来系が主流です。以前は、南部×今西系を主に飼育しておりましたが、今は、尾内松風系を主流にドマレー系と言う血統を交配させて居ります」
「私には、血統と言う言葉は初めての事で、的外れな問いになったら申し訳ありませんが、この地で、血統を変えたと言う理由は・・?」
「あ・・はは。鋭いご質問だ。自分の所は、以前、日本の最北端である稚内から鳩を戻らせる事を目標に飼育して居りました。そして、在来系に固執して飼育していたのは自分の飼っている鳩の管理、血統の特徴等、競翔に参加させて、いかに鳩を失わず戻らせる事が出来るのかを第一に考えておりました。勿論今でも、その考えは変わらないのですが、私の友人であり、目標とする動物学者であり、先ほどの著者である香月博士の影響もあって、鳩を帰還させる事とは、愛情より一歩進めて、その鳩の資質を見抜く事、そして血統と言うものを向上させて行く交配だと言う事に気づいたのです。色々それからは、4年間の間鳩を飼えない時間に、自分なりに研究して出した答えが、この交配です。更に、日本のような複雑な地形の場合、その地、その地で、気候条件に合う血統もいかに大事かと言う事も分かりました。所詮は私は、井の中の蛙、大海を知らなかった訳です。又、この地から稚内は、直線距離で1300キロです。以前の1200キロからたった100キロですが、以前の血統では、帰還率も非常に落ちました。そして思考錯誤の5年間でしたよ。やっと今年、何とか結果がついてきそうな気がしている所です」
その浦部の熱い競翔に対する姿勢を感じ取り、鳩舎の構造は飼育についての細かいアドバイスを受けて、家を後にした政春だった。そして、家に戻って、さっそく小屋を改良。近々浦部が子鳩をくれると言う約束までして貰っていたのだ。清治と一緒に鳩を飼う。政春が親として子供と一緒の趣味を持つ。それが楽しく感じられた。浦部の人柄にも、政春は好印象を持ったのだ。