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2004/11/14

1ヶ月程して、俵鳩舎には、5羽の子鳩が山川鳩舎から送られて来た。頑なに自分の信念を貫き、独自の血統を目指して来た浦部と言う競翔家だったが、この風神系と言う鳩群を同時に導入と言う決意をした事は、彼自身における大きな変革の年であった。幾分年下の浦部ではあるが、政春は、競翔家としての彼を深く信頼し、そして尊敬していた。かくまで競翔と言う底知れぬ奥行きの深い世界に、政春も既に足を踏み入れようとしていた。
その日から、浦部・俵鳩舎は共に大きな変革の道を歩む事になった。
清治・・この少年がやがて大きな、出来事の中心に巻き込まれて行くその数奇な運命の流れである事には、今は誰も気がついては居なかった。清治少年は確かにもう夢の話も少なくなり、人を驚かすような予言もめっきり少なくなっていた・・・・・。

それから2年後の事であった。思考錯誤を繰り返しながらも、香月暁号系を中心とするこの地区の成績は全国にも知られるようになって来つつあった。既に稚内からも地区優勝を飾る成績を収めるまでに成長を遂げていた。
「いやあ・・流石は浦部さんだ」
近隣の連合会の会長である、田名部和郎と言う少し頭の毛が薄くなった初老の競翔家が、地区表彰の席上で浦部の肩を叩いた。
「いやあ・・とんでも無いですよ」
浦部が答えた。そして続けて言った。
「地区優勝と言っても、分速856メートル幾らですからこの地区では優勝出来ても、同距離にあたるナショナルレースに於いては56位に過ぎません。」
「いやいや、謙遜だよ。浦部さんは研究熱心で、新血統の鳩群が僅か2年での稚内からの帰還。それも5羽参加させて4羽帰還と言う素晴らしい成績じゃないか。確かに全体での総合順位は56位だろうが、この地区での優勝は20年ぶりの事。それだけ素晴らしい事なんだ。素直に評価しとるつもりだよ」
「はは・・。確かに今春の成績には満足とまでは行きませんが、納得はしています。然しながら分速で落ちると言うのは、最後の100キロなんですよ。それの克服がまだまだだと言う事です」
周囲が浦部の側に集まって来た。この日の政春は、仕事の納期に詰まっていて同行して居なかったが、田名部氏は俵清治の成績の事もしきりに褒めていた。
「新血統を使翔させていると聞くが、俵清治君の成績もジュニアでは敵無し、勿論大人達に混ざっても強豪の成績。これも凄い事だよ。まだ小学校3年生だ。お父さんと一緒に飼っているとは言え、ここに居る花川君も天才競翔家だとしきりに誉めてる。確かに今春の稚内でも君に続く3羽を帰還させてるし、地区3位の成績だ。」
「そうだよ。清治君には、特別な才能がある。それは断言出来る」
花川氏も横からそう言った。
「ところで浦部君。君の鳩は最近がらっと変わったが、一体どう言う血統なのか?」
田名部が言うと、周囲も興味があるようで頷いた。
「困りましたね・・まだ発表段階じゃないんですが・・しかし、地区優勝となると、血統書を公開せねばなりませんし」
「無論だ。香月暁号系を清治君が使翔させてる事は誰もが知ってる。しかし、血統が良いから成績が残せるとは、誰もそうは思って居ない。競翔は勿論血統は大事だが、管理・手腕に拠る所が大じゃないか」
周囲は、大きく頷いた。
「勿論・・私もそう思いますよ。血統は大事ですが、その鳩を使翔させるには、その血統を知り、そして、管理を万全に行う事。いえ・・万全なんて言葉はこの競翔に於いては有り得ないかも知れませんが、自分の経験の全てを注ぎ込む事だと思いますし、情熱だと思っています」
「君の熱心さと情熱は誰もが知っている」
花川氏も頷いた。
「実は・・私も香月暁号系を使翔させているんですよ」
「ええっ!君もかい!」
周囲がざわざわとした。
「はい・・しかし、自分は香月暁号系をこの地で更に改良したいと思っています」
何と言う大胆な事を・・。この男が周囲も認める一流の競翔家であるのは承知はしているが、それにしても、大それた事を言うものだ・・と、そう言う驚きがこの場に満ちていた。
「香月暁号系は、4つの香月系群と言われる飛び筋の中でも、超長距離を飛翔する為に改良に改良を重ねた血統。それは、日本の大地ではむしろ狭いと思える程だ」
「はい・・しかし、果たしてそうでしょうか?」
浦部が田名部に切り返した。
「君と香月博士の付き合いは知っている。君が望めば、香月暁号系も使翔は可能だろう。しかしその実証済みの血統を守って行くならともかく、改良すると言うのは、余りにも大胆な事なのでは・・?」
「ふふ。確かにそう聞こえるでしょうし、私程度の凡庸な競翔家が改良なんて言葉を吐くのは余りにも大仰で、思い上がったように聞こえるでしょうね」
「いや・・そんな事は誰も思っては居ない・・ただ・・」
田名部氏、花川氏が言葉を少し失った。
「いえ、良いんです。しかし、皆さんが誉めて下されば、下さる程、私自身はこの今春の成績を満足とは思って居ないと言えば、それも思い上がりでしょうから」
「つまり・・総合上位にもっと食い込めるのだと・・?」
「はい・・皆さんもこの地区の400キロ以上の合同杯や、総合レースで苦渋を舐めさせられている現実を痛感してると思います。先程も申しましたが、最後100キロ・・つまり、その原因はこの地区の北に位置する山地の敦盛だと言う事です」
この地理的不利を敦盛と言う山地に見る者は花川以外は、皆無だった。何故なら、もっと平地で迂回するコースを鳩群が選んで戻って来る筈。多くの者はそう考えていた。どうして、わざわざ鳩にとっては危険で、苦しい筈の山地の敦盛を迂回せず、帰還コースと見るのか、それが分からなかった」
結局、この日は浦部が何のために風神系を使翔させているのか、導入しているのかを集まった人達に説明する時間も無く、例えそれを説明したとしても理解されそうな雰囲気は無かった。ただ・・一人、その中で、道明寺兼安と言う22歳の若手競翔家だけがその話に反応していた。