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2004/11/24

「俵さん、お久しぶりです。清治君、大きくなったねえ」
「香月博士!こんばんわ・・お久しぶりです」
「済みません、夜分に。夕食の時間でしたか、事前にご連絡も差し上げず」
2年半前とは香月も随分違って、以前のような日焼けした顔色では無かった。
「いえいえ・・丁度食事が終わった所です。それより、どうぞ。何でしたら、簡単なものでもお作りしますが」
「あ・・いえ。今日はこれからY大学の教授連と食事会がありまして、その前にこれをお渡ししようと思って来ました」
香月が政春に手渡したのは、微量な電磁気をキャッチする装置だった。
「これは・・?」
簡単に香月が使用法について説明をしたが、どうして託されるのかは分からなかった。
「浦部さんから伺っています。私も山川鳩舎訪問については偶然でしたが、風神系を導入されたと聞き、敦盛付近の地形を探るには、こう言うものが必要かと、Y大学の工学部の教授にお願いして作って貰いました。必要でしょう?俵さん達」
「それで!有難う御座います。是非使わせて頂きます」
「T大学院の志村君に言えば、きっと何かのヒントを与えてくれると思いますが、浦部さんは、自分達で研究したいと言う事でした。」
「浦部さんに、ではこの事は?」
「内緒です。彼の性格は知ってますから。思いこんだら一途な人ですから、この装置も使ってくれないかも知れません、ですから、俵さんに」
「やはり香月博士は良く・・ご存知だ、浦部さんの性格を。はい、それではお預かりします。先生・・良い機会なのでお伺いしますが、香月暁号系の今後の使翔について・・」
先生と言葉を変えて政春が聞こうとしたのを制して、香月はこう言った。
「香月暁号系は、殆ど未知数の系統です。私が主流として作り上げたい系統はやはりスプリント号系を中心とした、中距離から長距離をコンスタントに戻る競翔鳩です。一方では、確かに暁号と言う立ち姿の美しいこの一群を評価して下さる声は聞きますが、私の目指す理想では無く、むしろ出生は偶然性の高い系統ですので、これから日本各地での改良をして頂けると私も嬉しい限りです。とても私個人及び周囲だけでは、もはやこれ程広がりを見せた、香月4種の系統を研究するのは無理です。そう言った意味で尤も香月暁号系を託して見守って頂けるのは、浦部さんや、俵さん達だと思っています。事実・・偶然とは言え、佐久間さんにご案内されてお邪魔した風神系を浦部さん達が目をつけているとは驚きでした。故に私に協力出来る事があれば全面にご協力させて頂きます。」
「先生にそこまで言って頂くと感激です」
政春の目が潤んだ。そして、側に居る清治がこの時こう言った。
「おじさん・・僕ね、知ってるんだ。」
「何をかな?清治君」
香月が微笑みながら聞いた。
「あのね、僕の鳩が一番遠い所から一等賞で戻って来るんだ」
「おう!そうなんだ。清治君はもう確信してるのか」
香月が言うと、
「又・・例の夢かな・・この所あんまり聞かなかったんだが」
少し困惑したように、政春が言うと、
「違うよ、父さん。ちょっとおじさん、待ってて」
清治が鳩小屋に向かったのを香月に苦笑しながら、政春が、
「済みません、お忙しい所を」
「いえいえ・・でも、随分快活になられたですね、清治君」
「はい。」
政春も嬉しそうに答えた。シロが清治にじゃれつきながら付いて来る。
「ほら!おじさん。この鳩なんだ!」
香月に見せたのは、栗の今春2次鳩として初レースに参加させる一羽の鳩だった。
「ほう・・」
香月は触診する前にその鳩の資質を既に見切っていたと見え、
「清治君・・確かに・・この鳩は傑物だ」
「あの・・先生の慧眼は良く存じ上げて居りますが、鳩に触れない段階で、その・・」
政春が言うと、香月は声を上げて笑った。
「ははは・・確かにそうですね。まあ・・1つの目安にしている事が私にはあります」
「それは・・?」
「動物は眼です。嘗て私は白川博士にそう言われました。この鳩の眼は深い柿色をして透き通るような・・こう言う鳩にはなかなか目に掛かりません」
「それは・・先生の香月暁号系の特徴でしょうか?」
「はい。それもありますが、それよりも清治君が抱きかかえて来た時の広くて肩幅のある姿勢と、手に収まった鳩の感じで判断しました。清治君、おじさんにその鳩を見せてくれる?」
「うん!」
清治が差し出すと、
「思った以上に良いねえ。眼は申し分無いし、大きさ、羽毛、鼻腔、筋肉、副翼・・・ほう・・風神系の特徴の13枚。そして・・主翼4枚が長いね。典型的なスピードバードですよ。これは間違い無く、傑物。清治君、どうしてこの鳩が一番だと思ったの?」
香月が清治に尋ねると、
「うん。この鳩の眼が一番気に入ったんだよ」
余りに偶然の一致の評価と言うか、鳩の見方に対して、眼を一番とする・・天才学者の洞察力と、清治が同じと言うのか・・政春は少し驚いていた。
「俵さん・・今日お邪魔して本当に良かったです。この鳩なら山地越えの訓練にきっと答えてくれるでしょう」
「えっ!」
政春がその言葉に驚いた。
確かに香月暁号系を使翔して、異血導入として風神系を交配しているが、敦盛の山地越え等は誰にも話していない浦部と政春の来春以降の試み。今春からは、敢えて山地を避ける独自の河原連合会のコースを計画している。何故に香月が知り得るのか・・そう言う驚きであった。香月が意外そうな顔をした。
「驚かれてます・・?あれ・・計画してたんでしょう?浦部さんと。違います?」
「この事は浦部さんと私だけの秘密になっていたのです。先生はどうして・・?」
「あれ・・私の早合点でしたか、暁号系は、超長距離を飛翔するのに適した副翼や体型を持っていますが、高度に舞い上がる事や、風に向かう力強い筋肉には恵まれません。それを異血として導入したのは、そう言う改良を目指されたからでしょう?そして、恐らくこの地区を制するのは敦盛を制する事だと思う訳です。それは近距離レースでは無く、地区Nを見据えての事です」
政春は、今更ながらと頭を下げた。
「・・先生の洞察力には一分の隙もありません。しかし・・我々が目指している事は可能でしょうか・・」
「それは、即答出来ません。しかし、磁気測定機がなんらかの役に立てるでしょうし、この鳩の出現によって今後は大きく競翔が変わるかも知れません。まさに、敦盛を制する為に生まれた鳩のような気がします」
そう言って、香月は俵家を後にした。