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2004/11/26


思考錯誤の日々が始まった。浦部と
政春。この年の春、清治の清竜号は100キロから500キロレースの全てに優勝した。圧倒的な速さであった。まさに香月が指摘した通りのスピードバードの素質を遺憾なく見せた。
そんなある夜の事だった。
「なあ・・弓子・・清治も、もう4年生。そろそろ爺さんの事を・・」
弓子の顔が途端に曇った。
「駄目・・駄目よ貴方。清ちゃんはこんなに明るく元気になって、きっとお爺さんの事も聞きたいし、会いたいと思うんだけど、私達の前では一回も口にしていないわ。それはきっと遠慮していると思うの。おじいさんの事をあの子が私達に聞けば、困るからだろうと、気をつかっているのよ。そんな優しいあの子に今悲しい現実を告げたくない」
「弓子の言う通りだよ・・しかし・・私達が困るから口に出せないあの子を見るのは不憫じゃないか。それに、もう人の死は凡そ理解出来る年。それを先延ばしにしても、いずれは分かる事だ。その時まで隠し通して居る事もおかしいじゃないか」
「だって・・清ちゃんはまだ10歳よ。健気に生きて来た、まだ小学生よ。たった一人の身内の死別を告げるなんて残酷な事・・ねえ・・今言うべき事なの?ねえ・・」
「分からないんだ・・でも、私達が清治の良き父・母でこれから先も居ようと思うのなら、その苦しみや悲しみも一緒に背負ってやるべきじゃないか・・そんな事も考えて見た。それに、清治が何故私達に亀吉さんの事を聞かないのか・・その気持ちも分かってやりたい・・今、清治は私達にとってはかけがえの無い子供になった。そして清治も私達を本当の親のように接してくれている。それなら、亀吉さんを家族として私の家に位牌を置いて弔ってあげたい。私達は、お互い両親も亡くしている者同士。それなら亀吉さんも私達の親父だと思えば良い」
沈思黙考の末、弓子は条件つきでそれを承諾した。今度の休みに敦盛へ清治を連れて行くと言う事になった。その地へ行くと言う事を聞いて清治がどう言うのか反応を見てからだと・・弓子は言った。政春も頷いた。
次の日の夕刻。
「ねえ、清ちゃん、今度の日曜日、お父さんと、お母さんと一緒に敦盛へ行く?」
清治は弓子の顔をじっと見た。そして、政春の顔も・・・。
「うん・・行く」
清治は少し考えてから答えた。
「そか・・シロも連れて行くか」
「うん」
清治は短く答えて、テレビに見入った。
その夜・・
「ねえ、貴方・・清ちゃん・・余り表情変わらなかったわね」
「そうだな・・」
案外拍子抜けしたような2人に対して、清治はその夜なかなか寝付けなかった。亀吉のくしゃくしゃの笑顔を思い出して、布団の中で嗚咽していた・・それを政春達は全く知らなかった。
土曜日の夜になった。清治は支度に忙しい弓子のエプロンの袖を引っ張った。
「どうしたの?清ちゃん」
「お母ちゃん、後で、これ読んで」
清治はエプロンのポケットに手紙を入れて、鳩小屋の方へ走って行った。シロが清治に飛びついている。
丁度印刷の納品を終えて、政春が戻って来た所だった。家事の手を休めて、卓袱台の前で座って手紙を読む弓子。
「どうした・・何?それ」
手紙を読む弓子の手がわなわな震えた。その目から涙が零れた・・。
「どうした?弓子」
政春に弓子から手紙が手渡される・
「清治・・知って・・たのか・・」
政春も涙を零した。
「清治・・今どこだ?」
「鳩小屋の方・・」
弓子が立ち上がる。
「清治!清治!」
鳩小屋に立つ清治を政春は抱きしめた。政春は素足だった。
「痛い・・痛いよ、お父ちゃん・・」
「あ・すまん」
清治を抱きしめた手を緩めて、政春は清治の顔を見た。
「お前・・いつからだ・・亀吉じいさんが死んだ事を・・?」
清治を弓子が今度は抱いた。声を上げて泣いた。清治もつられて声を上げて泣いた。
「ぐす・・約束・・したんだ・・おじいと。おじいは、もうすぐ死ぬ。けど、男の子は泣いたらあかん、強うなれ・・そして新しい父さん、母さんに大事にして貰えって」
「だから・・だからなの?清ちゃん、一言もおじいさんの事聞かなかったの?」
「ぐす・・だって・・だって僕が泣いたら、父さん、母さんが困るから・・う・・うう・・」
「泣いて、泣いて良いんだ。清治。悪かった。お前の気持ちも分からず父さん、母さんごめんな、もっと早く言ってやれば良かった」
今、3人は真の家族となった。そして、祖父の余りにも悲壮な決意と心情を感じた。
次の日曜日、昨晩自分の辛さを全て出し切ったように、明るい表情で、清治と政春達は敦盛に来ていた。
清治が育った家はもう・・そこには無かった。野原がそこへ広がっているだけであった。
「ここだよ・・ここへ住んでいたんだ」
シロが楽しそうに走り回っている。弓子がその場所へ白い菊をそっと置いた。
「亀吉じいさんの墓に行こう・・」
政春と弓子は命日には必ず訪れていた墓であった。そこにも、花を添えると3人は深く手を合わせた。
「清治・・しばらく毎週この敦盛に来るつもりだが、父さんと一緒に来るか?」
政春が言うと、清治は頷く。
「父さんな、昔・・考古学をかじっていたんだが、民族資料の研究も自分で少し続けて来たんだ。前に、脇坂博士と会った時、ふと思ったんだ。この敦盛にはきっと何かが隠されているって。偶然にも、考古学者と、動物学者が同じ疑問に突き当たっている。そんな不思議な事がこの地にある。それに、浦部さんと言う人間的にも競翔家としても尊敬出来る人物と知り合った。競翔を清治と一緒にやるようになって、やはり突き当たったのは、この敦盛と言う場所なんだ。何故か、鳩はここを避けて通るんだ。電磁波とか磁場とかが影響していると言う話だが、父さんんは敢えてこの地について少し研究したい。その為に、清竜号を使いたい・・いいか?清治」
「うん。清竜号はきっと答えてくれるよ、父さん。」
「そうか」
弓子に少し不安の気持ちが起こっていたが、父子一緒の行動に口を挟むつもりは無かった。
そして・・実はこの頃競翔界とは全く別の世界で、大きな騒動が起こっていたのだった。岡山で日本最古の古城発掘と言うニュースが入っていた。この地にリゾートブームで商社が温泉地の地上げ買収に動いていたのを阻止して、丁度その件で、政春の前にも姿を見せた事のある、若き考古学の天才と言われるT大学院生の志村恭介が、古城発掘現場に於ける温泉発掘阻止に向けて全学連合を結成して反対運動を展開していた。同じく共闘して反対同盟を結成した旧旅館連合が勝ったと言う事であった。それには、脇坂博士が中心として活動していた。
後に、この敦盛の地形が重要な意味を持ち、清治少年にも少なからず影響がある事を勿論この時点では繋がりも無いし、知る由も無い。
清竜号・・・紫竜号亡き後、日本競翔界に多大な功績を残した鳩となる・・。