白い雲3トップへ 次へ

 

春・息吹・四季の日本の中で、一番生命を感じる季節である。
若葉がすくすくと育つように、人も躍動の季節を迎える。花咲き、心も踊る。南方よりツバメが戻って来た。淡いピンク色の桜が咲き、俵家には、大きな転機が訪れようとしていた。
俵家に、約束通りの時間に浦部が訪れたのは、そんな春の日の午後だった。清治が、浦部の子供達と近くの公園に出かけて行った。既に顔なじみ、温厚で誠実な浦部に、俵夫妻も家族付き合いとして親近感を持って、談笑している所であった。
「ほう・・香月博士が近々日本へ?」
「ええ、今東神原連合会の会長をしてるんですが、自分の友人である、佐野さんから一昨日電話を貰いました」
「お出かけになるんでしたら、私も一緒に。お邪魔じゃ無かったら」
政春が言った。浦部から貰った書物に、深く感動し競翔に興味を増していたからだった。
「あ、良いですよ。実は、来月東京の方で講演があるんです。その講演を聞いて、都内のホテルで、会食の予定があります。立食のパーティーですので、都合がつくのでしたら、是非ご一緒に」
「行きたいなあ、是非!弓子良いだろう?」
「ええ、良いわよ。でもね、浦部さん、もう主人ったら、この頃鳩の話ばっかり。まるで、子供に戻ったようで」
弓子が笑いながら言った。
浦部とは一回りも年上の政春だが、こんなに童心に戻っているような自分に少し頭を掻いた。
「ははは。でも、嬉しいなあ。俵さんが、そんなに熱心になってくれるなら、楽しみですよ、これから」
「でね・・浦部さん。その時にでも、ご相談したいと思ってたんですが、私も種鳩を導入しようかと思ってるんです」
「あ・・それなら私の所で」
浦部がそう言うと。
「いえ。浦部さんから頂いた鳩は、勿論競翔に参加させたいと思いますが、私も競翔鳩を飼うからには、自分なりにやって見たいと思うんです。全く素人の私ですが、無謀な事を言ってるでしょうか?」
「無謀じゃありませんと言えば良いのかな?ははは」
浦部は笑った。しかし、熱心にこれから競翔鳩の世界に入ろうとする政春に、否定するような言葉を発する浦部では無かった。アドバイス出来る立場に居る彼だから。
「この前頂いた鳩は、もう鳩舎に慣れたようで、少し入舎訓練をしています。」
「少し、見せて頂けますか?鳩舎の方を」
「ええ、勿論ですよ」
印刷業を営んでいる政春だから、鳩舎はあれから大工に手を入れて貰って立派な創りになっていた。3坪もある素晴らしいものだった。
「ほう・・これは素晴らしい。成るほど・・南側に面していて、採光も通風も鳩が飛び立つ際の障害物も前方には全く無い。それに・・手を入れましたねえ、俵さん。こんな立派な止まり台まで」
「どこか、気になる所はありますか?」
「いえ・・全くありませんよ。選手鳩鳩舎が広すぎて鳩が・・・あははは」
「はは。今から入れたいと思ってますが、どんな鳩でも良いと言う訳じゃないでしょうし」
「そうです。選手鳩については、大事ですから。それに、その種鳩となると、これは、先程言葉を飲み込みましたが、大変ですよ?俵さん」
「あはは・・やっぱり、無謀だったんだ。でも、しかし入れたいですねえ」
「アドバイスとしてですが、この地は、海が近いですから風が良く吹きます。それなりに種鳩は吟味しないと、競翔は難しいですよ」
「どう言う血統が良いのでしょうか?」
「私も5年間掛けてようやく血統を見つけて来ました。尤も、私の場合は超銘鳩
ミィニュエ号」の血統を保存したいと目標を置いて来ましたので、在来系+輸入系と言う構図でしょうか」
「鳩の本を見ましたら、超銘鳩ですね、
ミィニュエ号は。でも、香月博士が「紫竜」を作使翔させたんですよね」
「あの・・違っていましたら済みませんが」
浦部が、政春の顔を覗き込むように尋ねた。
「はい?」
「もしか・・・して、俵さん、貴方は香月系或いは、
紫竜号の系統を入れたいと思っていませんか?」
「あ・・いや・・でも」
政春が口ごもった。どうやら、彼の脳裏にはそう言う選択肢があったようだ。浦部は言葉を続けた。
「残念ながら・・日本鳩界が生み出した超銘鳩
紫竜は、GNレース2日目帰り入賞の後、1年後に孤高のまま滅しました。その血統は居ません。又、香月系は、芳川さんが使翔されてますが、門外不出です。いえ、望めば、入手は可能かも知れませんが、香月博士は香月系が自分の代では完成されないだろうと言われています。今導入したとして、それは、その香月系固定途上の、飛び筋の一群でしかあり得ないと」
「やはり・・無謀でした。申し訳ありません」
政春が謝った。
「ふふ・・俵さん、貴方。のめり込みようは大変なもののようですね」
「お恥ずかしい、ははは。もう少し研究します。」
浦部は苦笑した。しかし、俵氏の姿勢は、素晴らしいと心の中では思った。
「あ・・もう一羽居ますね。それが、神社で拾った子鳩ですか?」
もう既に、大空を飛び回っている神社で拾って来た子鳩がその時タラップをくぐった。
「ええ。どうしましょう?同じくこの鳩舎で飼ってても、支障ありませんか?」
「それは、問題無いでしょう。清治君がそれこそ、離さないでしょう。少し触っても良いですか?」
こんな土鳩に興味も無いだろうに・・俵はそう思いながら、子鳩を捉まえて、浦部に見せた。真剣な表情で、浦部が鳩を触診する。
「へえ・・・意外だなあ」
浦部が声を発した。
「何か?」
「土鳩にしては、骨格が割りとしっかりしていて、竜骨が長く、主羽が伸びて、姿勢も凄く良いです。この鳩は競翔鳩の血を引いているのかも知れないなあ」
「そうなんですか、へえ・・」
「良くあるんですよ、神社の中に競翔鳩が住み着いているって事も。飼い主は、きちんと迷い込み鳩の対策をしないと、競翔は淘汰の為のものだと、又言われてしまいますから」
「肝に銘じておきます。それに、先程の無謀で赤面するような私の目標は忘れて下さい」
政春が言うと、
「あはは。忘れました。でも、俵さん、貴方はきっと河原連合会でトップ競翔家になるでしょう、近い将来」
「いやあ・・恥ずかしいです。浦部さん」
子供達が、公園から戻ったようで、子供達と一緒に浦部が帰って行った。浦部さんにとんでも無い計画をしてたんだよと、笑いあう俵夫婦だった。家に明るい日差し共に、清治にも笑顔が戻った。この幸せを大事にして行こうと政春は思った。