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2003.12.4


ひょんな事で、偶然の事故になり、その美弥子が羽崎グループで働く事となった。何の奇遇か分からぬが、深い付き合いが始まるのであった。佐久間の胸中に確かに、大きな変化が現れていた。
佐久間は、羽崎グループの中では特異な存在だった。猛烈社員でもあり、私的な羽崎社長の秘書でもあり、血こそは繋がらないが、親子として社内では見られていた。佐久間は、小学3年生の時に、孤児院から、羽崎社長に引き取られ、親子同然に育てられた間柄と言う。美弥子は、勤めて初めてその素性を知った。空手の有段者であり、法学部も出ていると言う俊才で、そんな事をおくびにも出さない人柄と、羽崎社長を敬愛する佐久間の真っ直ぐな姿勢・・そんな美弥子の心にも少し変化があった。
ある晩、玄関には、薔薇の花を抱えた佐久間が居た。
「ぷ・・何の真似やねん、あんちゃん」
修治が笑った。
「美弥子さんが、花が好きだと聞いてな。薔薇の花を持って来た」
「あら、佐久間さん、いつもおおきに。嬉しいわ。薔薇の花」
嬉しそうに美弥子さんは、微笑んだ。心無しか、佐久間の顔が赤いような気がして、修治が覗き込んだ。
「似合わへん、似合わへんわ・・鬼瓦が薔薇やなんて、気色ぉーー」
修治がからかった。
食事を、もう何度か囲んでいる間柄だった。この夜は、こんな話を佐久間が持って来ていた。
「・・と言う訳でですね?実は、会社の社宅の開きがあるんですよ。それも東の角の一等地なんです。修治も、新川家具工場に自転車で10分で通える距離ですから」
「ほんまに・・そんな甘えさせて貰う訳にはいかしません。そやかて、私はつい最近入社させて貰うた、新入社員ですのに」
美弥子さんは、手を振りながら答えた。
「何でや?お母ん、ええ話やんか、これ。家賃も、社宅なら安いんやろ?あんちゃん」
「そうだ。羽崎社長の方針で会社が7割負担だから、今の家賃よりずっと安いと思いますよ、美弥子さん」
「有り難いお話ですけど、他の社員さんとの折り合いもあります。それは・・」
「実はですね・・もう、羽崎社長の許可貰ってるんですよ」
佐久間が言う言葉に、金村母子は驚いた。
「性急で済みません。確かに、この社宅の競争力は厳しいです。けど、これは、優先的に頑張っている社員に対する、社長の褒章でもあるんです。美弥子さんは確かに入社して日が浅いですが、流石に算盤10段の実力は大したものですよ。経理の連中、舌巻いてました。凄い戦力が入って来たって。俺も鼻が高いです。ですから、特に推挙させて貰いました」
「でも、そんな事したら、佐久間さんのお立場が」
美弥子さんは困惑した。佐久間は修治に向かって、
「修治!あのな、この社宅、2階建てで、一階が2間に台所、風呂。2階が2部屋もあって、この東の社宅は、庭も他の倍はあるんだぜ。お前、約束しただろ?鳩飼えるんだぞ!お母さんに、勧めろよ!」
「えっ!ほんま!ほんまなん?あんちゃん。お母ん、これ、もう最高やんか、銭湯にも行かんでええし、お母んの好きな花も植えられるし、こない佐久間のあんちゃんもゆうてくれはんのや。決まりや!な、お母ん!」
困惑した顔をしながらも、美弥子は、
「・・・ほんまに、甘えさせて貰うても宜しいんでしょうか?佐久間はん」
「ええ!勿論です!俺もこの社宅の西棟に住んでますから、いつでも行けますわ。ははは。俺も嬉しいです。一緒に飯食えるし。ははは」
「何から何まで・・ご好意に感謝します」
美弥子さんは、手をついて佐久間に礼をした。
「水臭いじゃないですか。もう同じ羽崎の社員なんですから、堂々と入居してくださいよ、美弥子さん」
修治はもう、鳩が飼えると聞いただけで、舞い上がっていた。この時、佐久間の美弥子に対する熱い視線には、全く気づいては居なかった。