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2003.12.5

秋らしい、筋雲が空に浮かぶ頃、金村の長屋からは、にぎやかな声が聞こえていた。
佐久間が指揮を取って、引越しが始まったのだ。千崎、田村が手伝いに来ている。工藤が大きい声を張り上げていた。
「おう!丁寧に扱えや!おい!千、乱暴にしたらあかん」
にぎやかな声があちこちで上がっていた。しばらくして、
「ほな、金村はん、わしと先に行きますか?」
「はい、お願いします」
美弥子さんが、工藤の車に乗り込んだ。今日はフェアレデイィZでは無かった。ケンメリの白のスカイラインだった。
「それじゃ頼む」
佐久間が、工藤に言う。
美弥子さんが、佐久間に礼をすると、スカイラインは出発した。
羽崎の社宅は、3LDKもある。今住んでいる長屋よりも、何倍も広い所で、環境も良い。勿論、今回の入居に際しては、佐久間の多大なる貢献があっての事。美弥子さんは、工藤の車中で何度もそう言った。見違える程、明るくなり、以前の生活に疲れていたような彼女とは、想像も出来ない位になって、叉、元々端正な顔が、若々しい印象も受けた。
「あの・・つかぬ事をお伺いしますが、わしは、心に思うた事を全部言わないかん男ですねん。そやから気に触ったらすんません。佐久間と美弥子さんのご関係は?」
妙な事を聞くものだと・・一瞬、返答に困ったような美弥子さんだったが、
「羽崎グループの社長さんの側近で、叉・・私的なハンドラーと言う鳩のお仕事をされてまして、それで、私の所属する経理室の隣にある、営業部の主任さんの佐久間さんとは・・あの・・どうお答えしたら良いのですやろ・・?」
「あ・・すんまへん。つまらん事聞いてもうて。つまり、美弥子さんが、佐久間に対してどう思ってはるかどうかちゅう事ですねん」
「勿論、本当に良くしてくれはって、修治共々感謝してます。楽しくて、信頼出来る方です。羽崎グループ内に置いても、ほんまに頼り甲斐のある方ですわ」
「あ・・それだけ聞けば、十分ですわ、わははは」
「ほほ・・工藤はんて面白い人って修治もゆうてますけど、楽しい方やね」
「わははは。そうゆうてますか、修治も!はははは」
確かに愉快な佐久間の友人・・そうであろう。しかし、佐久間は少なくても美弥子さんに本気だ。工藤はそう思った。不器用な男だけに、言葉を伝えられない佐久間だろう。それに、修治と言う難しい年頃の子も居る。年の差も7つ・・何とか今のままで、良い関係が築けるよう応援してやろう・・・この時工藤はそう思った。
「おおー!広いや無いですか!ここ」
割り当ての社宅は、東の角にあり、庭もあるし、条件的には最高の立地条件で、しかも新しかった。
「まあ・・この前見せて貰うたの、夕方だったんで、余り充分には分からへんかったんやけど、こんな綺麗で、広い社宅やったんやね、庭も他の所よりずっと広いし・・」
美弥子さんは嬉しそうだった。これも佐久間の力だ。
「よっしゃ!何でも言いつけてくださいよ。美弥子さん、力仕事なら任せて下さいよお」
工藤は楽しそうに手伝った。社宅の掃除がほぼ完了する頃、佐久間の運転する4トンのトラックの第一便が到着した。大きい荷物を、その怪力で運ぶ佐久間。楽しそうに運ぶ、修治、千崎、田村。つい一年前の彼等とは想像出来ない姿だった。こいつらが・・佐久間はその様子に、目を細めた。
「あ・・佐久間はん、手から血が」
佐久間の手から血が出ているのを、美弥子さんが見つけた。
「ああ、大した怪我じゃありませんから」
「いいえ、きちんとしとかないと、バイ菌が入ったら大変ですさかい」
美弥子さんが消毒してくれるのを、嬉しそうに手を出す佐久間。工藤は、本気で何とかしてやらなければ・・そう思った。
一休みして、第2便の荷物を取りに行く途中で、佐久間が修治に言った。
「新川さんの所に寄るからな」
「え・・何で?」
「まあ、いいから、いいから」
新川家具工場の、倉庫奥にトラックは回って行く。そこの扉を開けると、洋服ダンス、整理ダンス、そして勉強机が置いてあった。
「え・・?」
修治は、それらをトラックに積もうとする佐久間に驚いた。
佐久間が言う。
「これはな、新川さんと、俺からのささやかな贈り物だよ」
「そんなんあかん。そこまでして貰う程、俺は働いとらん、何もしてへん」
修治が言うと、
「これから一生懸命働いて、お前の職人の手で恩返しをしたら良いじゃないか。それにな、これは、新品同様だが、実は新品では無いんだ。少々運送の時や、搬入の時に傷ついた商品で、中古家具専門の店に流れる分をここで補修して貰ったんだ。だから、遠慮は要らない」
「おおきに・・よねあんちゃん」
「なあに。修治とは約束もあるしな」
「約束?・・何?」
不思議そうな顔をして、修治は聞いた。
「鳩をやるって言っただろ」
「えっ!ほんまに!」
修治の目が輝いた。
「ああ、新川社長から聞いてるぞ、昼休みの時間になったら、鳩小屋に上がって、じっと鳩を見てるってな。そんなに好きな鳩なら、約束通りあの鳩をやるよ、今度は充分に飼える場所があるし、誰も文句を言う者も居ないさ」
「鳩飼ってもええんか・・あんちゃん、ほんまに有難う!」
少年らしい、修治から聞く初めての感謝の言葉だった。佐久間は微笑んだ。