トップへ  次へ
2003.12.14


その朝、佐久間は、羽崎の社長室に居た。
「何の真似じゃ・・これは」
辞表を出した、佐久間に低い声で羽崎がつぶやくように言った。
「済みません、お世話になりました」
佐久間が土下座をしている。
「阿呆んだら!何の真似や、ゆうとんや!」
滅多に怒った事の無い、羽崎社長の怒声が、社長室から聞こえて、経理社員がびくっとした。事務所内がしーんとする。
「社長の顔に泥を塗った、ケジメです」
「わしの顔に泥を塗ったやと・・?何の話じゃ。お前にミスなんぞ、何もあらへんぞ」
「いえ・・山本建材の、山本加奈さんには、今朝、見合いの話をお断りしました。その見合い話について、勝手に自分が決着しました。加奈さんにも、山本社長にも、羽崎社長にも筋違いの事を致しました」
「何やて?見合いの話を断った?先方はえらい乗り気で進めとったと思うたが・・何や、お前彼女が気に要らんかったんか?それなら、そうで、しゃあ無い事やないか。何に泥塗るねん」
羽崎は、憮然としたまま答えた。
「加奈さんは申し分の無い女性です。まさか自分との見合いを、前向きに考えてくれるとは思っても見なかった事ですし、一時は加奈さんと一緒になろうかと思いました」
「ははあ・・お前、好きな女性が居るんやな?それやったら、それで早う言わんかいな。ほんまに世話の掛かるやっちゃで」
安心したように言う羽崎の前で、佐久間はぼろぼろ涙を零した。
「ど・・どないしたんやねん。佐久間。まあ、ちょっと落ち着いて座れ」
羽崎は、佐久間をソファに座らせた。
「お・・俺は今まで、社長に受けた大恩を一身に感謝して、やって来ました。しかし、今回の縁談は、羽崎グループの社運を掛けた合併話の、一貫である認識もしております。山本建材の社長さんの所の話は、中でも最重要なものであると言う事は承知しています。しかし、自分の我ままの為に社長が、窮地に立たされるのでしたら、慙愧に耐えない事です。だから辞表を提出しました」
「・・・なあ、佐久間。わしはのお、お前をほんまの子や思うて、育てて来たんやで。あの日・・同情なんかやあらへん。あんな逆境の中にあっても、お前の目は死んでへんかった。胸にな、どんと来たんや。お前のそれまでの人生は不幸やったと思う。けど、この子を一人前に育てるのはわしの義務やと思うたのや。そして、お前は今日まで、実に良く頑張って、今や羽崎は、お前が中心になって動いていると言って過言ではあらへん。次の役員総会では、お前を役員に推挙しよう思うてた所や。見合い話は、わしの勇み足やったかも知れん。けどな、わしがお前の重荷になる事を強要してるんやったら、それは済まん事や」
佐久間は益々小刻みに震え、ぼろぼろ涙を零した。
「・・・お前の性格はよお知ってるわ・・そやけど、そんなお前にこのわし自身が育てて来たんかと思うたら、わしこそ涙が出るわ・阿呆んだら・・。わしは自分の子や思うてお前を育てて来たちゅうたやろ。お前にとっては、わしは自分の恩人でしかあらへんのかい・・。自分の好きな事もせず、耐えて、お前は今までわしの為に生きて来たちゅうのかい。佐久間・・それやったら、わしは辛いぞ・・」
羽崎社長の声が詰まった。
「も・・申し訳ありません!」
涙をぬぐう社長に、佐久間は再び土下座をした。
「そんな決意をさせる程、好きな女性なら、連れて来んかい。わしは。なんも反対などせえへん。見合い話なんてどうでもええ事や。それに、山本はんのグループ入りはもう決まってる事や。山本はんは、そんな小さい器量のお人やあらへん。山本はんは、たたき上げのワンマンで伸し上がって来た社長や。そやさかい、お前のような、パワーを持った人間を正味、気に要ったちゅう訳やし、お前が叉、見合い話を蹴って、それを重荷に感じる事も何もあらへんわ。早合点するな」
「う・・うぐぐぐ・・」
「2度と、こないな真似するんや無いで。お前が居らんと、羽崎が・・わしが立ち行かんわ」
「は・・はい」
芝居をした訳では無い・・ただ、佐久間は純粋に、羽崎に恩返しをしたかっただけだ。生まれて初めて佐久間は自分のわがままを通した。それが佐久間自身の脱皮でもあっただろう。
「ただ・・社長が次期役員会で、自分を役員に昇格すると言うお話は聞いて居りました。しかし、自分は、年もいかない若輩者です。社内の反社長派と言われる、羽崎剛生専務や、市村常務等、取締役会の波紋を作る事になります。大事な、この時期。それを、辞退したいと言う考えもあっての事です」
「それも、お前の早合点や・・。わしの為に働きたいと思うてくれてるのなら、わしの片腕になって、助けてくれ。剛生達の取締役会の動きは、よお知ってるさかい、そやよっての異例の抜擢や」
「・・考えが足りませんでした」
「問題はな、社内だけやあらへんのや、共和物産の岡村ちゅう男が動いてるのや。お前には、しんどいかも知れんが、今、お前の助手になって手助け出来る人間を探してる所や。それまで、頼むぞ、佐久間」
「は、はい」