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2003.12.17


「ほれ・・・母さんが作ったおにぎりだ。腹減っただろう」
「なあ、あんちゃん。今晩は、どの位の鳩が集まってんのや?」
「ああ、さっき寄った時には2000羽だったかな?放鳩車一台だ」
「俺も、休みになったら行けるのになあ・・」
「はは。修治は放鳩する所が好きなのか?」
「そや!あの一斉に飛び立つ瞬間が好きなんや」
「そうか・・まあ、今日は何人かが残ってるだろうから、雰囲気だけ味わったら良い。それよりな修治、明日は休みだろ?明日、社長の鳩舎で、鳩が戻って来るのを見るか?何と言っても、鳩レースの醍醐味は鳩が戻って来た瞬間だからな」
「ええのか!ほんまに?」
「誰も、文句言う人も居ないさ、何だ、早く言ってやれば良かったなあ」
「よっしゃあ!」
あんなにやんちゃやって居た男なのに、この謙虚さは・・そう言えば、修治は自分からこれが欲しいとか、物を望んだ事が一度も無い。それは、小さい頃から、苦労しているお袋さんの姿を見て来たからだ。自分とダブルものを米次は感じた。
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「あらあ・・失敗・・。」
買い物に来ていた美弥子さんだが、しまったと言う表情になった。
「・・どうしよう・・。もう一度取りに戻ろか・・」
実は夫、米次のネクタイを選びに来ていて、少し持ち合わせが足りないのに気がついた。思えば、ネクタイなんて買った事も無かったので、ブランド品が予想以上に高かった事に驚いた。急いで、店を出た美弥子さんだが、瞬間大柄な男とぶつかった。
「きゃあ!」
美弥子さんが、その弾みで転んだ。
「気いつけろ!」
男は、そう言って、知らん顔をして立ち去った。
「あ・・痛たたた」
少し転んだ拍子に足をひねったようで、美弥子さんは顔を歪めた。
「あら・・大丈夫?」
一人のサングラスをした美しい女性が声を掛けた。
「え・・ええ。何とか・・あ・・痛・・」
その女性は美弥子さんを助け起こした。
「お送りするわ。お宅はどこ?」
「あ、いえ、お構いなく。少しじっとしといたら、大丈夫」
サングラスの女性は苦笑いした。
「立ち上がるのもやっとなのに、大丈夫って事は無いでしょ?」
「・・それじゃ、そこの公園のベンチのとこまで・・済みませんが甘えさせて貰います」
「ええ・・それじゃ」
そう言って、肩を借りながら、ベンチに座った美弥子さんだった。
「ご親切に、少し楽になりました」
「お急ぎの様にお見受けしましたけど、大丈夫?」
「あ、いえ。叉、明日にでも買えば済む事ですから」
「そう・・・ご主人さんへのお買い物?あそこは男性専門の洋服店ですから」
「あ・・はい、そうなんです」
そして、屈託の無い笑顔で、美弥子はくすくす笑った。
「でね・・?ちょっと聞いて貰えます?私って、実は男性用のネクタイやなんて、買うた事あらしませんの。それで、あの店入ったのやけど、高級ブランドってあんなにするもんやなんて、初めて知って・・ほほ。ほんま、恥かしいわ・・・それで慌てて、お金を取りに戻るとこやったのよ」
「ま・・」
この女性も笑った。美弥子の余りにも飾り気の無い、その様子が楽しかったのだ。美弥子は続けて言った。
「ねえ、ついでに聞いて貰える?私ってね、×イチで、16歳にもなる息子が居て、7つも違う年下の旦那とずうずうしくも結婚してしまったのよ。」
「まあ・・どこかで聞いたようなお話・・」
この女性は言った。
「あらあ、貴女の身近でもそんな話がありますの?私って死んだ亭主以外の男の人になんかって・・今まで生きて来たのよ。もう、それまで生きるのに精一杯で、そんな事考える心の余裕も無かったけど・・。前の亭主と、長女を事故で亡くして、いつ死のうかなんてずっと思うて来ててね、残った長男を見ては、思い止まり・・その長男がぐれて暴れた時期もあった。その時、一緒にこの子を殺して、自分も死のうって何度も思うたわ。でもね、その度に、死んだ亭主と娘の顔を思い出すのよ。死んでしまうのは楽かも知れへんけど、この子と一緒に生きるのは、先に逝ってしまった、亭主や、娘に対する償いかも知れへんって。あ・・御免なさい、初対面の貴女にこんな話を」
「いえ・・お聞きしたいわ。どうして、それじゃ、今のご主人と再婚なさったの?」
「最初はね、恋愛感情って無かったのよ。親切な誠実な方とは思ってたんやけど、一緒に息子と目の前で、美味しい、美味しいってご飯を食べてくれはる姿が、何だか、当たり前のように思って、楽しくなったのよ。それが嬉しくて、楽しくて・・せやけど、その主人に会社の取引先のお嬢さんと見合いの話が持ち上がって、そしたら、たちまち私は、今までのおばちゃんに戻ってしもうてね、夢が覚めてしもうたの。でも、主人の良さを分かってくれはる女性なら、きっと幸せになるやろうって、そう思い直してた矢先・・」
「そうなの・・・じゃ、どうやって結婚って事に?」
「それがね、突然玄関先に主人が来て、一緒になってくれなきゃ死ぬって言うの。私はその死ぬって言葉が凄く辛うて・・でも、主人のそう言う一本気の所が、知らない内に私も好きになってたのね」
「ふうん・・相思相愛って事ね」
「でね・・主人は、私にプロポーズした翌日、社長さんに辞表を出したのよ」
「まあ・・何で?」
「主人は、大恩ある社長さんが持って来はった見合い話だし、もし先方が乗り気で、その話が破談になったら、社長さんの立場が悪うなるって思うて、自分は身を引こうとしたの・・」
「少し・・分からないわ・・何で、辞表を出す事になるのか・・」
「主人の会社では、社長派と、専務派と言うのがあって、今回の見合いにしても、グループ会社を大きくステップすると言う、その中に組み込まれているって、主人は思うてたのね。実際は、社長はんが、自分の息子として育てて来た主人を、しかるべき地位に推挙する為に、ここらで、身でも固めてと言う親心からだったんやけど、主人はそれを会社の発展の為やと積極的に誤解してて、でも、見合いが相手から断られるだろうと思ってたら、どんどん話が進んで行くんで、凄く悩んだそうやの。それでも、最終的には、社長はんの思うようにと考えたんやけど、友人の人に、主人が私の所にプロポーズに行かへんかったら、わしがプロポーズに行くと言われて、初めて、自分の気持ちを決めたらしいの。それ聞いて、私も主人と一緒になる決意をしたのよ」
「そうなの・・お幸せね、貴女は」
「いえ・・ほほ、恥かしいわ」
「でもね、貴女の主人って、もしも、もしもよ。相手の女性が、その時、親の言いなりになって、もうどうでもいいやって心境になってて、見合い話を受けるつもりで居て、それに貴女にも断られるって事もあったのでは?そんな事は全く考え無かったのかしらね」
「え・・・?」
「ほほ・・私の名前は山本加奈。御免なさい。米次さんが私を断って、結婚した女性がどんな人なんやろって思って、それで、興味持って来ました。今日は偶然じゃなくて、ずっと後をつけてたの。私ね、米次さんのようなタイプ嫌いじゃないわ。貴女の言うように、不器用で真っ直ぐで。だから、この話が進んでも良いわって思ってたら、突然、断られちゃって。実は好きな女性が居るんですって。少し、女としては、癪じゃない?だから、どんな女性なんだろうって、一目見たくて、この辺うろうろしてたって訳・・。でも、良く分かったわ。米次さんが貴女を好きになって選んだ理由。御免なさい、そして、有難う。これで私も勇気が出たわ」
「あの・・加奈さん、お好きな方が・・?」
「ええ!父は猛反対するでしょうけど、家を出る事になっても、頑張るわ、私」
「頑張ってね、応援するわよ」
奇妙な女同士の出会いがここにあった。