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第2部 第2編 めざめ

2002年5月31日分

・・電話を切り、空を仰ぐ香月だった・・(←クリック参照)脳裏にこれまでの3年間が過ぎる・・
この孵化は安閑として成し得た事では無かったからだ。そして・・やはり神は1羽の仔鳩しか許してくれなかった。人間で言う年齢が70歳を超える老鳩から産卵をさせ、有性卵を得る事自体が無謀であった。まして、競翔で酷使されたネバーの体力では、奇跡にも近い事では無かっただろうか・・。しかし・・この両鳩から卵を得られた時点から時は大きく変わろうとしていたのだった。香月にはこの3年間の出来事が頭に過ぎった・・。この年初秋・・・・

回顧・・・死別・・ 

2個の卵が揃った頃・・ネバーは卵を抱かなくなった。そして・・白竜号の燃える瞳からは、輝きが失せてしまった。この事に気づいた同時期・・白川氏の体調は悪くなり、寝込む日が続いたのだった・・そんな初夏の夕刻・・。
香織の電話が、風雲急を告げる・・
「香月君・・おじいちゃんが・・白川のおじいちゃんが!」
涙声は擦れて聞き取れない。
「何だって! どうしたの!香織!香織!」
昼過ぎからの胸騒ぎは・・この事?香月はやっとの事で、白川氏が危篤と言う事を聞き取ると、両親に急を告げ、夕刻の道を香織を乗せて、バイクで走った。香織の目は真っ赤・・・二人は一言も発しなかった。風邪をこじらせていたと言う心配が、まさか危篤に繋がる事だとは・・。2人の顔を見て、真っ白い顎鬚で、くしゃくしゃの笑顔でいつも迎えてくれた、優しい白川氏の命が?何故・・突然に・・。
白川氏の家にたどり着いた時。周りを覆っていた重苦しい雰囲気は現実となっていた。高橋会長、そして・・川上氏が香月達を見て・・首を静かに横に振った・・
「いや・・いやあ!じいちゃん!いやああ!」
香織が枕元にうつ伏せて大声で叫んだ・・。
「な・・なんで?じ・・じいちゃん」
香月はそれだけ言うと、嗚咽を漏らした。川上氏も肩を震わせて泣いた。高橋会長は、真一文字に結んだ口が震え、目からは大粒の涙が零れた・・。
「おじいちゃん!おじいちゃん、香織よ!分かる?ねえ、ねえ!」
現実が信じられない香織が、何度もその体を揺する。幼少の頃から可愛がって貰った白川氏である、大好きな血こそ繋がって居ないが、優しいおじいちゃんであった。その病気は、2人とも知らなかった。だからこの現実は、到底受け入れられない出来事なのであった・・しかし、偉大な老競翔家の死に今・・2人は、直面している・・。
「香月君・・白川さんは、最後の最後まで・・君に仔鳩の事を・・」
そこまで言うと、川上氏の肩は大きく揺れて震えた。
「う・・うううううう・・・」
香月はもう耐えられなかった・・声を上げて泣いた。その香月、香織の様子につられて周りからも嗚咽が一斉に漏れた・・。
人は言う・・たかが競翔鳩に命を賭けるなんて・・鳩って可哀相じゃないか、遠くの地に連れて行かれて、人間の勝手で道具にされて・・大の大人が鳩なんかに夢中になって・・と・。だが、ここに一生涯を鳩に賭けた、その素晴らしい競翔家が居た。それは、きっと鳩を愛し、その素晴らしい競翔と言うものを理解し、動物と人間との触れ合いを誰よりも大事にし、その喜びを人にも分け与えた人であろう。そしてその功績はきっと次代の競翔家に引き継がれるであろう、そんな栄誉ある、誇らしい死なのだ・・。
葬儀の全責任を負って、川上氏が弔問客、応対を引き受けた。香月、香織も一睡もせず、昨夜から泊まっている。その香月が、鳩舎の前に来た時・・
偉大な競翔家の死に殉ずるかのように、大鳩舎に戻された、白竜号ネバー号はその日仲良く肩を寄せ合ったまま絶命していた・。
「なんと言う・・う・・ううううううう・・」
香月はその場で再び泣き崩れた。側に居た香織も一緒に又、泣いた。ドンが分かるのか、悲しそうな声で鳴いた・・。
なんと言う運命・・。一生涯連れ添った友と逝こうと言うのか・・。 わずらわしい人間関係よりも、自分の愛する動物達と本当に幸せな生涯を過ごした人であった・・。この2羽も棺に・・。2羽を棺に入れた時、高橋会長も大声で泣いた。滅多に人前で涙など見せる筈も無いような、豪快で、愉快な会長であった。余りに言い様の無い・・競翔家の死ではないか。この2羽の死は後年、川上氏が手記を発表している、死したネバー号にはこの直後GCHの称号が授与される事となる・・。
葬儀が悲しみの中終った後、葬儀委員長の川上氏、高橋会長によって、遺言状が開かれた。
 まず、一通の手紙には自分の死を知っていた白川氏によって、所有の不動産の全てを市に寄贈される事が書いてあった。それは既に生前処理済みでもあった。そして、もう一通が開かれた。遺言状は、白川氏の所有する全ての鳩の譲渡を川上氏に依頼する旨が書かれてあった。遺言状を読み上げる川上氏の声は震えていた。香月には愛犬ドンが託されていた。


・・・白川氏が他界して数週間が立とうとしていた。川上氏は白川鳩舎の秘蔵鳩を引き取る為に、香月と共に、一部もう改築中である白川邸に向かった。川上氏は、既に収容する鳩舎を改造していて、3坪のスペースを設けていた。まだ胸は重く、気力の沸かない香月であった。卵は、秋中旬に孵化させる予定で、飼料の中に保存してある。
「香月君・・元気が無いようだが、余り気を落とすんじゃないよ。あの人の死は辛い・・けど、幸せな人生を歩んだ人なんだ。君の事を最後まで心配していた白川さんの為にも、君は仔鳩を無事孵化させて、希望を叶えなきゃ。いつまでもそんな顔をしていたら、きっと白川さんも悲しむよ」
きっと、自分を責めているのだろう、香織からも香月の様子を聞いていたが、彼の心情を悟り、川上氏も優しく言った。
「はい・・でも、僕は忘れられそうにありません。卵を得てから、白竜号も、ネバーも輝きを失ったようで・・じいちゃんにまるで付き添うように逝ったあの2羽を・・。僕は仔鳩を作出しちゃいけなかったのでは・・と」
「香月君!これはね・・これは運命なんだよ。人との出会いも、鳩との出会いも。人生なんて誰にも先なんて分かるもんじゃない!どう自分が生きたかなんだ。白川さんも両鳩もきっと幸せに生きたに違いない。それは君が、居たからなんだ。託させる君が居るから安心して逝ったのだよ。だから、君は今から受け継ぐんだ、次代を」
潤む目で香月は川上氏に言った。
「今から・・ですか?」
「そうだ!今からだ!」

短い言葉に集約された意思・・。これが、過酷な運命の幕開けへの序章でもあった・・。