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2002年6月5日分

誕生・・

二人で過ごした夏が過ぎ・・香月と香織、そして競翔鳩、一つの転機が訪れようとしていた。本格的な受験体制に入った香月であったが、保存していた例の卵はやっと、仮母によって産声をあげようとしていた。
そんな日、秋の競翔前の事であった。突然、佐野と、磯川が訪れた。どうやら、秋レース前の敵状視察のようであった。それは落ち着かない佐野の様子からも窺われた。
磯川は一通り鳩を観察していたが、余り多くを語らなかった。それに反して、佐野からは次から次へと質問が飛び出してくる。
「香月君の所、秋は8羽なのかい?」
「ええ」
「少ないね、幾等種鳩が少ないと言っても、選手鳩からも仔が引けるだろうし、もっと参加出来ると思っていたよ。で・・?白川さんの所のシューマン系は、春かな?」
「ええ、そうです。でも、同交配が3年目を迎えてますので、親鳩も繁殖のピークを過ぎてますから、余り仔を取らないようにしたんです」
「それは、あるね。当り交配も3年目を迎えたら。でも、工夫すれば、学生愛鳩家は他鳩舎から親鳩を借りて来る事も出来るし、そう言う事も一方法だと思うよ。他鳩舎も見てきたけど、秋は凄い羽数になるよ、ねえ、磯川さん」

佐野が口数の少ないこの日の磯川に、確認を求めた。
「ああ・・俺も12羽の親鳩から30羽仔を引いた。2次に回った分を含めると、来春は、40数羽になる。一応の結果も出たから、後は工夫すれば数十シーズン交配については大丈夫だろう。それより、君の所も種鳩が6羽と言うのは寂しいよね。それに・・秋に参加する鳩を今見てるけど、どうも・・羽の色艶が良く無い。出来が悪いんじゃないのか?」
磯川は鳩に関しては、一流の目を持っていた。香月も正直に話した。
「ええ・・どうも、秋は駄目見たいです。同交配を3年続けた事と、源鳩のピークが過ぎた事が原因ですね」
「君ともあろう競翔家がその手を打たないなんて事はあるまい。何かあるのかい?」
「はい・・実は、大学受験の為にこの秋から3シーズン、少し競翔は控えようと思ってます。」
「そうなの・・。大変だね、君も」

そう言う話になれば、磯川は良い兄貴分である、自分の受験時にダブらせて同情した。
「でも・・残念だね、香月君。この秋は西コースの700キロN、1000キロのDCカップが復活するし、500キロレースでは、10連合会の合同レース、賞金レースも開催される。君の所も、結果如何によっては、最優秀鳩舎賞は狙える充分な位置だからね」
佐野が言った。
「今年の秋は俺もこんなチャンスだから、狙うよ!しかし・・春は君も分からないね。現役選手鳩も居るし、栗毛・・2次鳩達の粒が揃ってるから・・」
一流の磯川の目は、今秋を捨てても、来春には・・そんな香月の期待を見事見抜いていた。

話は・・再度仔鳩が生まれたシーンを回想する・・物語は今から、本編に突入する・・この稀世の鳩・・紫竜号・・その伝説に・・


シーン回想(クリック)


仔鳩誕生の前に、この年最後の参加となった香月の秋の100キロレースを回想する。
持ち寄り場所には凄まじい羽数が集まった。参加用紙に次から、次へとゴム輪が入れられて行く。年々増大して行く東神原連合会は、今や若竹の勢いで伸びる強豪連合会となっていた。香月は先ほどからゴム輪の番号を書くのが忙しくて、他の会員達と話する間もなかった。会員達はあちこちで固まり、ゴム輪を入れている。その中で、香月の背後から
「おおーーー!」
と言う、どよめきが上がった。続いて、高橋会長の張りのある大きな声が・・。
「何だよ・・おい!誰だ?こんな成鳩を一杯参加させたのは?」
秋レースは若鳩の登竜門と言われる。通念上、西コースの長距離が毎年行われている連合会なら話も分かるが。今年秋初設置の西コースだ。充分な準備は出来ていない筈だ、どの鳩舎も。
驚きはむしろ、嘲笑に近いものであった。だが・・その嘲笑のどよめきは、その後沈黙した。
どうしたのだろう・・?香月は前の佐野と顔を見合わせた。答えは高橋会長の例の声だった。
「おい・・おい。この鳩・・全部川上君のかよ・・」
背後が静まり返った。どうにか、放鳩車も出て行った後、鳩時計のセットに、集団が秋の前哨戦とも言える舌戦が飛び交っている最中、遅れてきた川上氏が到着した・。その間もなく閉函時間が来た。「バシャーン!」すぐ半数の会員は帰ったが、高橋会長はすぐ川上氏に質問した。
川上君、一体秋はどう言う事かな?ほとんど、旧主力は放出したと聞いたが、7割が成鳩じゃないか」
「いやあ・・秋には殆ど間に合いませんでしたのでね。それで、成鳩を注ぎ込んだんです。深い意味はありません」
「そんな事は無い。君程の男が、何の目的も無く、成鳩を持って来る筈が無い。何かあるんだろう?」

重ねて高橋会長も聞いた。香月もそう思っていた。
秋の成鳩参加は、何故・・一般的にやらないか・・それは鳩の換羽の時期だからだ。丁度この時期には主翼の10枚目が抜け落ちると言う事で、成鳩にとっては不利である。春のレースを主体に考えるなら、秋は調整程度の短距離にとどめるか、全く参加させないと言うのが一般的だ。
「主翼の10枚目が抜けてるでしょう?不利だと思うですが・・」
香月が言った、磯川も同じ事を言った。
「俺もそう思います。経験鳩を秋に使うのは、他でも聞きますけど、スピードの面からは不利ですよ」
川上氏は微笑しながら答えた。
「果たして・・?不利だろうか?秋は天候が不順だし、経験鳩の方が有利な事もある。条件はあるよ、幾等でも」
磯川が、続けて言った。
「経験鳩は無理をしませんよ。悪天になれば、俺のペパーマン系は、断然強いです」
高橋会長が、皮肉まじりに言った。笑いながら・・。
「おいおい・・少し自意識過剰だな。秋はなあ・・分からんよ。私も何度も苦い経験をしてる。スピードがあっても、恐さを知らない若鳩は、正反対に飛んで行く事だってある。わはは」
全員が苦笑した。高橋会長は、ちゃんと場を取り持ってくれている。負けじ!と磯川はやり返す。
「勿論、方向判断力に優れている血統だからこそ、悪天候に強いと言えるんです。会長の所のゴードン系は、俺も以前飼ってましたけど、まだ日本での実績が少ないでしょう?この秋の結果が出てからですよね?全ては」
香月はその時疑問を一生懸命考えていた。そして、突然声を出した。
「あっ!そうか!そうだったんですね?」
会長も磯川も周囲も驚いて香月を見た。
「川上さんの所では、春のレースが終了した時点で、主翼の2枚を抜いたんですね?そうすれば、秋には全部生え揃う事になる」
川上氏は微笑みながら答えた。
「見抜かれたね。その通り。秋に参加させるつもりで、1000キロ以上の記録鳩以外、後日帰りも含めて、全鳩主翼の2枚を抜いた」
会長がその答えを首を傾げながら・・言った。
「でも・・何故、そこまでして?若鳩だけでも、君なら充分通用するだろうに・・」
川上氏はそれを否定した。
「レースに負けたくないからですよ。こう言う若手も急速に伸びて来ているし、最優秀鳩舎賞設置発案者の私が旗を振って先導しなければ。私はその為にも今年、このタイトルは全力で狙いたい」
居合わせた全員の顔が引き締まった。追われる立場・・連合会を支える立場で、川上氏は、自分の信念を曲げても、競翔に全力を示すと言うのだ・・。口にこそ、出さなかったが、磯川のパイロン号直系は、台風の目になる事は、香月、川上、全員が知って居た。
当日は薄曇、向かい風の悪コンディションの中、やや遅れた7時に放鳩となった。こう言う向かい風のレースは思いもかけない結果が出る事もある。帰舎予想時間に鳩舎の前で待つ香月だったが、15分前に驚くべき速さで、数羽の鳩が飛んで行ったのは・・一体なんだったのだろう。時計は8時16分を現在差していた。分速の望めるレースでは無い。空には乳白色の雲に時折、強風が舞う・・最悪のコンディションだ。待っている香月の鳩舎の帰舎は8時30分であった。
「遅い・・遅すぎる・・」
一人言をつぶやく香月だった。タイムはしなかった。8時20分には、香月鳩舎の真上を一群が通り過ぎて行った。予想していた事とは言え、又、充分に訓練が出来たとは言えない今秋の香月鳩舎であった。いっそ、春に回そうか・・彼は思った。全鳩が戻った時点で、香月は今秋を早々と諦めた。打刻はしなかったものの、川上氏と、同行して開函に付き合う事になって、車内で、打ち明けた。川上氏も考えを肯定した・・。