むれコミュニティ協議会


柴 野 栗 山 と は

柴野栗山(しばのりつざん)を知っていますか?

栗山は、1736年(元文元年)に現在の高松市牟礼町牟礼に生まれ13歳から18歳まで高松一の儒学者、 後藤芝山(ごとうしざん)の門下生になり現在の高松市香西西町まで10kmの道のりを毎日通われました。

32歳の時には知人の紹介で阿波藩儒となり150石を与えられましたが、その後52歳にして松平定信(まつだいらさだのぶ) が老中主座となったおり儒学をもって仕える政治顧問として招幕され、定信と二人三脚で「寛政の改革」を成し遂げました。

55歳になった栗山は京都に赴き幕府代表として京都御所新宮造営にも奮闘しました。

1807年(文化4年)12月1日に没するまで朱子学の精神を全うし、後に「寛政の三博士」と呼ばれるようになりました。

柴野栗山の偉業を称えるため毎年12月1日には「栗山記念館」(四国霊場85番札所山麓)で「栗山祭」が行われています。 また、地元では学問・受験の神様として尊ばれ「合格祈願」のお守りを求める人の姿が見受けられます。

マンガ 柴野栗山



平成3年に(財)栗山顕彰会が監修し、てつきのこさん作画によって誕生した冊子です。 平成の大合併前の牟礼町教育委員会が栗山記念館落成と栗山一八五年祭の記念に編集しました。 このホームページに掲載することにあたり、(財)栗山顕彰会のご協力があったことに感謝いたします。