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 乾いてなんかいられない  1   00/8/1
阿波踊りについてのコメント。

登場人物: 
平良 篤史 (たいら・あつし) 23歳、沖縄出身。地方銀行に勤めている
坂東 直己 (ばんどう・なおき) 24歳、徳島出身。平良の先輩
同僚の女のコたち、課長さん
公園のおじさん

 夜の藍場浜公園は、普段は市民の憩いの場で、昼時には弁当を広げてる勤め人も多い。デートコースにもなるだろうが、盆が近づくにつれて阿波踊りの練習場と化す。
 金曜日の夜だった。上司や同僚と一緒にこの公園に陣取り、薄暗い灯りの下で踊り始めて半時間。やっと休憩となり、女の子たちは下駄を脱いで足を休めたり、虫除けスプレーを吹いたりと忙しい。
「虫除け、あたしにも貸して」
「バンドエイドあるで? 足が……これ見て」
「私も似たような状態。生足で下駄なんか履くからよ」
 何だか恨みがこもっているが、ぼやきたくなるのも人情だろう。金曜日のアフターファイブを返上して、がんばっているのだから。しかもサービス残業の多い銀行のこと、もちろん踊りの練習に残業代なんて出ない。
 ところでうちは、別に有名連というわけじゃない。
 有名な連、つまりグループは、お呼びがあればホテルなどに出張して、お金を取って踊りを披露する。メンバーは普通に仕事してるけど、踊れば金を稼ぐこともあるんで、ある意味プロみたいなものだ。鳴り物の層も厚い。
 有名連は春先からもう練習を始めてるし、踊りの衣装も毎年のように新調する。そして阿波踊り期間には、素人の連にやとわれて、踊り子や鳴り物を助っ人に出す。いくらかわからないけど、それでまた多少は稼ぐんだろう。
 うちの銀行はなぜ、有名連の助っ人を頼まないんだろう。
 うちは、企業連だし、別にそんなにがんばる必要はないんだ。見るほうも期待していない。企業連はたいていの学生連よりましで、有名連よりはずっと下、くらいにしか思われてないんだから。
でもとにかく、うちは阿波踊りはマジでやってる。昔からそうらしい。
 いつもは本店の屋上で練習するのだが、今年はビル修理のため、会社から車で5分の、大きな公園の一角で、ときおり蚊にやられながら練習している。
ここは川べりにあって景色もいい、ソフトクリームでも食いながら彼女と歩きたい公園だ。まあ、彼女がいればの話だけどな。

 リーダー(仕切り屋)の課長が、一休みしているおれたちに活を入れた。
「じゃあ、もう一回だけ、いってみよか!」
 女の子達が黄色い声を出す。
「もうちょっと涼まんで、課長」
「なに言うとる。今年もお客さんをあっと言わしたらんなん。企業の連でも、うちはプロ級のうまさで有名なんよ! 9時まではがんばろ、な。平良(たいら)くん。カネ叩いてな」
 おれは重たいカネを持ち上げた。
 課長はプロ級だなんて大法螺ふいているが、実はやっぱり皆へたくそだ。
 おれだって県外出身で、阿波踊りは大学に入ってから覚え、鳴り物は去年、この銀行に入ってからはじめた。うるさい鉦を、ノリと体力だけでぶったたいてるわけ。
 おれの暑苦しくもやかましい、カネの音を和らげてくれるのは、涼しげな笛の音だ。
 吹いているのは、坂東さんといって、おれよりは一つ先輩にあたる。
 すごく小さいころから阿波踊りの、特に笛をやってきたらしい。その冴えた笛の音色、これだけは有名連なみといっていい。
 坂東先輩は色が白くてほっそりしていて、日頃は物静かであまり目立たないのに、着流しを着て笛を吹くと、なかなかかっこいい。というか、かわいいというべきかな。
 腰なんか折れそうに細くて、そんなひとがあのよくとおる笛の音を出すのだから不思議だ。今はシャツを捲り上げてるけど、笛より重いものは持てません、みたいな感じの白くて細い腕だ。
毎度のことだが、その夜も暑かった。
「おつかれさま……」
 終わった頃には腕なんかパンパンで、シャツが絞れるほど汗だくだ。自転車に乗ろうとして、坂東さんに声をかけられた。
「平良くん、うまくなったな」
「ありがとうございます。ええと、坂東さんは今日も車?」
「ああ。平良くん、自転車だっけ。変な車が多いから気をつけてな。」
「坂東さんも運転、気をつけてくださいね」
 行きかけて、ふと坂東さんは立ち止まった。
「平良、融資講座だけど、来週が締め切りだろ。もうできてる?」
「いえ、まだこれからです。相当やばいですよ」
「そうか。でもテキスト読み返してがんばれ。落ち着いてやればできるから。どうしてもわからなかったら、電話して来いよ」
 それから手を振って、「じゃあまた来週な」と言った。白いシャツが涼しげに夜風に翻っていた。こんなふうに先輩はいつも優しくて、しかも気さくなんだ。
 それだけの短い会話だった。
 それから自転車で気分よく走り、アパートのドアの前でやっと気づいた。

 カギがない……。落としたんだ!
 とにかく引き返さなければ。
 おれはあわてて、アパートの階段を降りた。
 ダッシュで公園まで戻ってきて、練習していたあたりを探してみた。公園の蛍光灯が切れかけていて、点滅し続けていた。
 石畳の上を探し回ったが、カギは落ちていなかった。あきらめて、同期の誰かに電話して、一晩泊めてもらおうか。それとも支店の誰か……たとえば坂東先輩なら話しやすいかもしれない。
 そう思い始めたとき、やっと思い出した。
 練習の前に、一度トイレにはいったんだった! そこで落としたのかもしれない。
 トイレはわりと新しい煉瓦風の建物だった。薄暗い蛍光灯に、蛾が集まっていた。
 そのトイレの鏡の前に、体格のいいおじさんがいた。床を探しまわっているのを見て、奇妙に思ったのだろう。そりゃ変にも思うだろうが、じっとおれの顔を見ている。
 目があったらおじさんはにこっとした。こっちもつられて会釈をした。これがきっと悪かったのだ。
「よう、ひさしぶり」
 いきなりおじさんに手を引っ張られた。あきらかに酒臭かった。戸惑っているまに、おじさんはおれの前に手を伸ばそうとした。おれは反射的にその手を振り払った。
「な、何ですか」
「ん? 遠慮するな。気持ちよくしてやるから」
「ちょっと、放してください!」
「携帯で呼び出したのはお前だろうが」
「なんのことですか、おれは知りませんっ」
 おれがおやじを突き飛ばすと、おやじは逆上しておれにつかみかかってきた。よけたつもりが、次の瞬間には壁に叩きつけられていた。息が止まるかと思った。体が硬直して抵抗できない、頭の中も真っ白だ。おやじがおれの体をまさぐっているのに、突き放すことすらできないんだ。
「気持ちよくしてやるから」
 こっちは恐怖で声すらでないありさまだ。
「そいつを放せ!」
 突如、後ろから鋭い声がした。
「人違いだよ、おじさん……おれだ……おれがあんたを呼び出した」
 聞き覚えのある声に振りかえると、真っ青な顔の坂東さんが立っていた。
「ば、ばんどうさん」
「そいつを放してくれ」
「坂東さん」
「ばか、早く行け! じゃまなんだよ!」
 叱り飛ばされて、おれはあわててその場を逃げ出した。


乾いてなんかいられない 2へ続く


いらんチュウv

 新町川は、徳島市のほぼ中心部を流れる小さな川です。
 昔は超汚かったけど、今はキレイになりました。水際にはきれいな公園もできて、けっこう魚もいます。

 藍場浜(あいばはま)公園は、徳島駅から5分くらい?のところに、新町川ぞいにあります。
いろいろなイベントもここで行われます。
阿波踊り期間中には、桟敷を組んで演舞場になります。すっげえ長いので、踊りきるのは大変そうです。