第22回 今治シティマラソン大会

〜 雨中の惨敗 〜



2008年10月5日(日)、愛媛県今治市で第22回今治シティマラソン大会が開催された。

(石材店)「珍しいレースに出ましたね」
(幹事長)「これには深い理由というか長い経緯があってな」


それは夏のお盆前に、汗見川マラソンの打ち上げと称して新城プロや矢野選手と一緒に飲んでいた時の事だった。

(新城プロ)「今度、今治シティマラソンってのに出てみようかと思うんですけど、一緒に出ませんか?」
(幹事長)「おっ、いいですね」


という訳だ。

(石材店)「それだけですかーっ!」

そもそも怠慢な四電ペンギンズは、かつて5月の小豆島オリーブマラソンの後は9月の塩江マラソンまでレースをサボっていた。ところが塩江マラソンが廃止になったため10月末の庵治マラソンまで5ヵ月もサボり続けてしまうという危機的状況となった。それを打開するために最近は7月のクソ暑い時期に四国カルストマラソンだとか汗見川マラソンに出ているんだけど、それでも10月末まで3ヵ月も空いてしまい、夏場のトレーニングに身が入らない。それで10月始めに開催される今治シティマラソンが魅力的に感じられた訳だ。

(石材店)「幹事長はレースが近づかないと練習しませんからね」
(幹事長)「私は自分を客観的に見ることができるんです。あなたとは違うんです」


このレースがあるおかげで、
今年は夏休みのバリ島でも走り込んできた訳だ。

(石材店)「たった2回走っただけでしょ?」

急な参加決定で申込期限まで時間が無かったこともあり、今回、参加できたのは私と新城プロと矢野選手の3人だけとなった。

(矢野)「汗見川マラソンより、さらに減りましたねえ」
(幹事長)「女子部員が参加しないレースは男子部員も参加しないという法則どおりじゃなあ」


さて、
このレースは、第22回なんて銘打ってるけど、実はそんなに歴史あるレースではない。確かに1987年から22年間続いているレースではあるけれど、ずっとやっているのは5kmと10kmのロードレースだけで、ハーフマラソンが開催されたのは、今年で7回目だ。まずは1996,1997年の2年開催され、しばらく休んで2004年から今年まで連続開催だ。その間、なぜか2001年だけは15kmレースが開催されている。さらに1998年からは2kmと3kmのレースも開催されている。

(矢野)「この迷走ぶりは、どう見ればいいんでしょうねえ?」
(幹事長)「主催者の悩みが手に取るように分かるぞ」


たぶん、5kmと10kmのロードレースなんて、あんまり一般市民が参加しそうにないから、1996年の第10回大会の記念行事的にハーフマラソンをやってみたけど、イマイチ盛り上がらなかったのでたった2年で止めてしまい、その代わりに1998年からは逆に距離が短い2kmと3kmのレースをやったら、意外にウケたのでそれは継続し、加えて2001年に再度、長めのレースとして15kmをやったけど、これがまたサッパリだったので1年で止めてしまい、2004年から再度ハーフマラソンをやってみたら、なんとか継続できている、という状況だろう。

(矢野)「要するに、ポリシーの無い場当たり的な対応の結果ですな」
(幹事長)「いやいや、失敗に気づいたら意地を張らずに即座に方向転換する柔軟な対応だ。
       硬直的な行政とは思えない身の軽さは評価できるかも」
(矢野)「そうだとしても、過去の混迷を隠して第22回だなんて平気で名乗っていいんですか?」
(幹事長)「丸亀マラソンも同罪だしなあ」


高橋尚子や野口みずきが世界に羽ばたいた栄光のレース丸亀マラソンだって、これまでも何度も指摘してきたように、第4回大会の翌年にいきなり第55回大会になった。これは、第1回大会より前に50年間も開催してきたロードレースを、突然、数に入れ始めたからだ。詐称と言えば詐称だが、ま、目くじらを立てることでもないわな。

ただし、丸亀マラソンと今治シティマラソンの大きな違いは、参加者数の違いだ。
丸亀マラソンは、かつてのロードレースとは桁違いに参加者が増え、今では北京オリンピックの参加者を遙かに上回る世界的な大規模レースとなった

(矢野)「ちょっとちょっと、オリンピックのマラソンは100人も出ませんから当たり前ですがな」

一方、
今治シティマラソンは、コースの関係で出場者数を僅か250人に制限しているのだ。250人というのは抽選ではなくて先着順なので、新城プロから誘われて参加を決めてから急いで申し込み、滑り込みセーフだった。もっとも、本当に250人で打ち切っているわけではない。当日配られたパンフレットにはハーフマラソンの参加者は313人になっていた。申し込んでおきながら欠場する人も結構いるから、歩留まりを考慮すれば適当なところだろう。また、結果的に完走者は253人だったから、非常に精度の高い見積もりと言える。
ハーフマラソン以外の種目では人数制限はなく、2km、3km、5km、10kmの部は合計で1600人も参加していた。この程度の規模のレースなら、普通ならハーフマラソンも1000人は参加するだろう。
なぜ僅か250人に制限しているかと言えば、コースの関係だ。ハーフマラソンと10kmのコースは、ほとんど同じなんだけど、10kmのコースが5km地点で普通に折り返して帰ってくるだけなのに対し、ハーフマラソンのコースは、折り返して半分くらい帰ってきたところで、再び折返し、同じところを走るってのを2度繰り返すのだ。つまり10kmのコースをA→B→C→B→Aとすると、ハーフマラソンのコースはA→B→C→B→C→B→C→B→Aとなるのだ。そのため、何度も行ったり来たりする部分ではランナーが錯綜する。それで人数制限をしているのだ。
コースが変則的で、参加者数も制限があるってことで、一体どれくらい盛り上がるレースなのか見当も付かない。制限時間が2時間15分ってのは、市民レースにしては少し厳しめだが、町中のコースでアップダウンも無いから、こんなところだろう。なんとなく好記録が期待できそうなコースなので参加する事にしたのだ。

当日は朝から雨だった。今年は、梅雨の頃は結構、雨が降ったけど、梅雨明けが非常に早く、その後は夏を通して雨が全く降らず、大飢饉だった。それなのに、それを帳消しにするかのごとく、秋口になってからやたら雨が多い。しかも、結構激しく降ったりする。この日も朝からかなり激しい雨が降っていた。しかし、まだまだ雨が冷たいという季節でもないし、雨を理由に欠場は考えられない。

まず新城プロが車でうちにやってくる。ところが、歩いても10分かからないと思われる矢野選手の到着が遅い。いくら待っても来そうにないので電話してみると、「
すんませーん。あと10分待って下さい」とのことなので、明らかに寝坊していたはずだ。しばらくすると雨の中、自転車で矢野選手が到着。3人で僕の車で出発。
雨もそのうち小降りになるだろう」などという何の根拠もない楽観的期待は見事にはずれ、高速道路をひた走っていくと、雨は弱まるどころか、かなり激しくなっていく。なんとなく気分が盛り上がらない。

大会会場の中学校に到着すると、本来ならグランドが会場になるはずが、雨のため体育館が会場となっており、狭い体育館の中に受付もあるし、控え場にもなっているし、開会式もやっているので、ギュウギュウ詰め状態だ。なんとか片隅に場所を確保して着替えるが、外は雨なのでウォーミングアップに出て行く気力もない。

(矢野)「幹事長は天気が良くてもウォーミングアップはしないでしょ?」
(幹事長)「基本的に、そういう無駄なエネルギー消費はしない方針だから」
(新城プロ)「いや、実は、僕も準備運動とか本当は嫌いで、あんまりしないんですよ」
(幹事長)「おおう、プロからありがたいお言葉!」


ただし、新城プロは、プロの水準からすれば少ないだけで、僕のように全くウォーミングアップをしない訳ではない。炎天下の汗見川マラソンでも、ちゃんとウォーミングアップしていた。

スタート時間が近づいてきたので、仕方なく重い腰を上げてスタート地点に向かう。暑いのはそんなに嫌いじゃないけど、寒いのや雨が大嫌いな僕は、悩んだ末、ビニールゴミ袋を被る事にした。一昨年の小豆島タートルマラソンで被ったのと同じビニールゴミ袋だ。軽いしかさばらないので、要らなくなったらポケットに入れれば済む。それから帽子も被る。これで雨もさほど気にならなくなる。まだまだ雨で寒いような季節ではない。
スタート地点では僕みたいにビニールを被った人も少しはいるが、大半の人は気にしないようだ。これくらい雨を気にするようでは駄目なのかも。

いよいよスタート。全体的なペースは、やはり結構、早めな感じだが、最初から飛ばすのはやめて、しばらくは周囲も見ながら適度なスピードで走り出す。
雨はさほど気にならず、気温も暑くないので、なんとなく適度なコンディション。もしかして、やはり好記録が期待できるかも。最初の方は1kmごとに距離表示がある。そんなに速くはないけど、このままのペースを維持できれば悪くない。
ところが
3km辺りから向かい風が強くなってきた。雨も激しいけど、それはそんなに気にならない。それより向かい風が気になり始める。かなりきつい。明らかにペースダウンしている。折返し点から戻ってきた新城プロとすれ違う。当たり前だけど、相当な差がついている。
そして、いよいよ5kmの折返し点だ。10kmコースなら、折り返したままゴールまで帰れるんだけど、ハーフマラソンはここから2.5kmほど帰って再び戻ってくる。なんとなくこれが辛い。このままゴールまで戻りたいのに、再び同じ道を引き返すってのは、精神的に辛い。しかも、その繰り返しの道は海のそばの工場地帯で向かい風が強いのだ。雨風をまともに正面から受けてさっき走った道を再び走る。しかも、その繰り返しを1回じゃなくて2回やるのだ。だから同じ道を3往復する。新城プロとは4回すれ違ったあと、最後の1回は、なんと追い抜かれてしまった。矢野選手とは5回すれ違った。
最後の折返し点を過ぎると、ようやくホッとする。あと5kmでゴールだ。ところが、ここまではペースダウンしながらも、それほど遅くはならなかったのに、
最後の5kmは足が動かなくなり、驚異的に遅くなってしまう。もう歩くような足を引きずるような走り。どんどん追い抜かれていくんだけど、足が動かない。これは一体どうしたことだろう。やはり単に練習不足のようだ。夏場は暑くてそれほど距離を走ってないので、終盤はツケが出たってことか。たかがハーフマラソンなのに、本当に辛くて惨めな気分。ようやくゴールが見えてきたが、大したスパートもできない。
スタート地点は会場の中学校の前の道路だったけど、ゴールはなんと中学校のグランドで、雨でぬかるんで泥の海だ。最後くらい思い切り走りたかったけど、泥の海をピチャピチャ走る気も起きず、そうっとゴールした。

結局、完走者253人中、最後から15番目だった。こんな屈辱は、ちょうど10年前の塩江山岳マラソン以来だ。あの時は、僕より後ろに中山選手(最後から5番目)がいたから、まだ精神的には救われたけど、今日は心の支えがいない。
新城プロは、「まあまあの結果でしたねえ」と言っていたが、もちろん、新城プロとしてまあまあってことは、僕らにとってはあり得ない超高速である。矢野選手も、目標タイムよりは少し悪かったけど、それでもなかなかの好記録だ。
あり得ないような悪いタイムだったのは僕だけだったので、やはり天候のせいではないようだ。坂の無いフラットなコースとは思えないような悪いタイムだ。坂の多い小豆島タートルマラソンや小豆島オリーブマラソンでも出ないような悪いタイムだ。

(幹事長)「もう絶望的。一体、何がどうしてどうなったのやら」
(矢野)「単に練習不足なんでしょ?」
(幹事長)「そうでもないんだけどなあ。練習の仕方が悪いのかなあ」
(新城プロ)「練習でもスピードを上げる事を意識した方が良いですよ」
(幹事長)「そうかあ。最近は、遅くてもいいから、とにかく距離を走る事しか考えてないもんなあ。
       遅いペースでダラダラ走るのは良くないのかも」


と言うわけで、せっかく今治まで遠征した割には、雨にも祟られるし、あり得ないような惨敗だし、悲しいレースでした。

今回の反省として、これからは、練習の時、やたらダラダラと距離をかせぐのではなく、もっとスピードを意識しよう。思えば以前は、1kmごとのタイムを気にしながら練習していたけど、この頃はぜんぜん気にしていない。ダラダラ走る方が楽だもんな。こんな事ではいけない。もっと向上心を持って練習に励まなければならない!

(石材店)「どしたんですか。妙に真面目な反省ですねえ」
(幹事長)「これがまっとうな人間のあるべき姿じゃよ」
(石材店)「まさか、今度の庵治マラソンに久しぶりに若い女子部員が出るから、良い所を見せようとしてませんか?」
(幹事長)「な、な、な、なにを言うか!私は自分との戦いに終始しておるのだ。
       わ、わ、わ、若い女子部員など、どうのこうの・・・」


〜おしまい〜




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