第1回 徳島マラソン

〜 腹痛との熾烈な闘い 〜



2008年4月27日、第1回とくしまマラソンが開催された。
今年が初めての開催である。て言うか、どこにも第1回とは書いておらず、来年以降も継続するのかどうか、今だに不明である。今回、開催される事になったのは、神戸淡路鳴門自動車道の全線開通10周年記念行事との位置づけである。2週間前に開催された瀬戸大橋マラソンが、瀬戸大橋開通20周年記念だったのと同じだ。ただ、瀬戸大橋マラソンが瀬戸大橋の上を全面通行止めにして走ったのに対し、この徳島マラソンは、神戸淡路鳴門自動車道を走る訳ではなく、吉野川の堤防を走るのだ。瀬戸大橋マラソンの方は、瀬戸大橋を全面通行止めにして開催するとなると、そう簡単ではないので、次回は早くても10〜20年後くらいだろうけど、吉野川の堤防を走るのなら、いつでも開催できそうだから、来年以降も継続される可能性はある。て言うか、ぜひとも継続して欲しい。



このマラソンの開催が明らかになったのは、昨年の秋頃だ。2月の東京マラソンの抽選に2年連続で落選してやる気を無くしていた僕にとっては、まさに希望の光のような情報だった。
そもそもフルマラソンはハーフマラソンに比べて開催数が少ない。しかも、坂があるコースが多い。42kmのコースを確保するのは、交通量の少ない山間部や島なら比較的簡単だが、坂の無い道で42kmコースを確保するとなると、幹線道路を大規模に交通規制するしかないから、どうしても難しくなる。我々に手頃なフルマラソンと言えば11月に開催される小豆島タートルマラソンだが、これも坂が多く、と言うか、まるでほとんど坂の連続のようなコースで、かなりきつい。東京マラソンのように坂の無いレースは少ないのだ。ところが、この徳島マラソンは、吉野川の堤防を走るコースなので、基本的に坂が無い。これは朗報だ。

川に沿って走る坂の無いフルマラソンと言えば、3年半前に出場した加古川マラソンがある。あのレースは、河川敷の常設のフルマラソンコースという世界的にも珍しいコースを走るのだが、坂が無いのはいいけど、景色が飽きてくる。河川敷と堤防なら同じじゃないかと思うかも知れないけど、河川敷は見えるのは川の水と堤防だけ。何時間も走っていると、本当に飽きる。あの時のタイムが悪かったせいもあるけど、もう二度と出たくないコースだ。一方、堤防の上を走るとなると、見晴らしは良いはずだ。しかも吉野川のような大きな川の堤防となると、とても気持ち良い。はずだ。
おまけに、このマラソンは、制限時間がなんと7時間だ。東京マラソンも制限時間が7時間だったが、それと同じで、超やさしいレースと言えよう。

て事で、さっそく申し込もうとする。が、なんと、珍しくも、定員をオーバーした場合は抽選になると言う。普通、田舎のレースなら、一応、先着順で定員は設定されているものの、それをオーバーすることなんて、なかなか考えにくい。そこまで集客力は無い。それに、仮に多少オーバーしたところで、特に問題になるような事は考えにくいので、普通は受け付けてくれる。ていうか、申込期限を過ぎたって、事務局に直談判すれば、受け付けてくれるレースも多い。そもそも設定されている定員数は、それ以上集まると運営に支障をきたすっていう理由から設定したものじゃなく、ものすごく適当に、こんなもんかな、って一応決めているだけなのだ。
ところが今回の徳島マラソンは、先着順じゃなくて、取りあえず申し込み数を集計して、定員をオーバーしていれば抽選にすると言う。定員は3000人だ。この定員数自体は、田舎のレースの標準的なところだ。だいたいどのレースも、これくらいに設定してある。で、どのレースも、参加者数は、それを少し下回るってところだ。しかし、この徳島マラソンは、参加者数が読めない。なんちゅうても超フラットなコースのフルマラソンは、貴重な存在だ。田舎とはいえ、結構、集まるかもしれない。また、徳島は京阪神から近いから、結構、やってくるかも。しかも、第1回目の開催っていうのも読めない。第1回目だから、初物好きが大勢来るのか、それとも知名度不足で定員割れになるか。全く読めない。
とは言え、所詮は四国の田舎のレースだ。東京マラソンみたいに申し込みが全国から殺到することはあり得ない。それに、吉野川の堤防を走るんなら、多少、人が多くても問題ないから、定員オーバーしても受け付けてくれるんじゃないか。と楽観視していた

そして、1月の締め切り後、主催者側から申込数が発表された。5814人だった。思ったよりは多いっていう印象。でも、3000人に対して5814人なら、実際に入金する人の歩留まりを考えれば、取りあえず全員OKかな。って感じ。全員OKにしたって、せいぜい3500〜4000人くらいかな、って予想できる。
ところが、主催者側は、予想外の行動に出た。なんと、抽選を行うとのこと。しかも、当選枠を5000人に拡大したのだ。
確かに、歩留まりを考えると、5000人くらいを当選させると、最終的に3000人くらいの参加になるだろう。しかーし、5814人の申し込みに対して5000人の当選だなんて、落選した人が可哀想すぎるよ。落選率16%だ。東京マラソンに当選するより難しい「それくらいなら全員当選させればいいのに」なんて思いながらも、この確率なら、絶対に当選するだろうと、一抹の不安も感じていなかった。
そして、しばらくして、当然のごとく当選通知が送られてきた

(幹事長)「当選通知きた?」
(支部長)「そう言えば、一昨日、届いてましたね。中は見てないけど」


なんて調子で話していた。ところが、なんと、周辺で、「落選しちゃった」なんていう人が続出してきた。まさか。そんな事があり得るのか?なーんて思っていたら、なんと支部長から緊急報告が。

(支部長)「てっきり当選しただろうと思って中を見てなかったら、なんと落選通知でした」
(幹事長)「なんとかーっっっ!」


考えられない事だけど、僕の周辺では、当選率はちょうど50%だった。あり得ない確率だ。東京マラソンの落選率も、僕らはあり得ないほどの高率だったけど、今回の落選率も統計学を超越した高率だ。東京都民を優先したとしか考えられない東京マラソン同様、今回の抽選も徳島県民を最優先したのではないだろうか?それとも、四電ペンギンズの活躍を快く思わない東アジア陸上競技連盟の陰謀なのか?とは言え、実は、支部長は最初から出るつもりは希薄で、僕から言われて渋々エントリーしていただけなので、落選して大喜びだ。

結局、出場することになったのは、僕と石材店テニス君だ。



いよいよレースとなった。普段、よく出るハーフマラソンくらいなら、あんまり何も考えないんだけど、フルマラソンとなると、終盤の体力が不安なので、色々と気を遣い、前日は消化の悪いものは出来るだけ避けて、炭水化物の麺類を大量に摂る。当日の朝も、菓子パンなんかを中心に、たっぷりと栄養補給し、水分もたっぷり摂る。後で考えれば、これが根本的な失敗だった。

しばらくすると、石材店がテニス君を拾って僕の家までやってきたので、僕の車に乗り換えて徳島まで移動する。なぜそのまま石材店の車で行かないかと言えば、石材店はレースで全力を使い果たすから、レース直後に車を運転するのは非常に危険だからだ。去年の小豆島タートルマラソンの時も、レース後に船に乗り遅れそうになって全力疾走したんだけど、ふと後ろを見ると石材店が死にかけていた。レースでは僕に比べて圧倒的に速いのだけど、レースで全力を使い果たしてしまうから、レース後は走れなくなってしまうのだ。

(石材店)「て言うか、幹事長は、そんな余力を残さないで、もっと真剣に走ってください!」
(幹事長)「いや、僕も、意図的に余力を残しているわけでは無いんだけど、いまいち真剣になれなくて」


最初はJRで行こうと思ったのだけど、受付時間が妙に早くて、始発のJRでも間に合わないのだ。もっと受付時間を遅くしてくれればいいのだけど、たいてい、どのレースも受付時間が早くて困ってしまう。かと言って前日から泊まり込むほどの気合いも入らないので、早朝、車で行く事にしたのだ。
高速道路料金とガソリン代は、割り勘というのも面白くないので、タイムに比例配分することにする。速く走ればそれだけ負担が少なくなるという訳だ。

(幹事長)「ふっふっふ、石材店は無理としても、テニス君には勝てる可能性が皆無とは言えないわな」
(テニス)「こういうの、ほんとに好きですねえ」


知っている人は知っているけど、徳島市の道は混む。平日の朝など、死ぬほど混む。徳島市には私鉄が無いから車通勤の人が多く、しかも川が多くて、しかも道が入り組んでいる。この混雑が不安材料だったのだが、日曜日の早朝だったので、スッキリ空いていて、早々にスタート会場の徳島中央公園に着く。その結果、ものすごく時間を持てあましてしまった。
早々に着替えたものの、月末とは言え4月の早朝は肌寒く、少し風が吹いただけで寒くなってしまう。こうなると着る物に悩んでしまう。

(幹事長)「ちょっと寒いなあ。でも、まさか長袖は着ない方がいいかなあ」
(石材店)「長袖はあり得ないでしょう」


石材店のように最後まで一生懸命走れるランナーは、長袖はあり得ない。最後まで一生懸命走るから、最後まで体が熱いのだ。しかし、僕のように後半は一気にペースダウンし、しかも終盤には絶対に歩くとなると、体が冷えてくるのだ。11月のタートルマラソンは、これが難しい。前半は半袖が快適なんだけど、終盤の冷え込みの辛さを考慮して、長袖を着込んでいる。
2週間前の瀬戸大橋マラソンは、距離は短かったけど、最初から観光気分でチンタラ走っていたので、長袖でも風が強くなると寒くて、途中、ウィンドブレーカーを着たりした。でも、さすがに今日は朝から天気も良いので、半袖にする。

(石材店)「帽子も被った方が良いみたいですよ。頭が暑さを感じるだけで、かなり体力を消耗するらしいですよ」

ハーフマラソンくらいなら、体力の心配する必要もないけど、フルマラソンなら後半の体力維持は重要な問題なので、普段は嫌いな帽子を被る事にする。あと持ち物も悩む。観光マラソンと化した瀬戸大橋マラソンと違って携帯電話はいらないが、フルマラソンは後半の疲れを紛らわせるためにウォークマンが必携だ。タオルも必携だ。ティッシュは?

(石材店)「僕は何を置いてもティッシュは最優先で必携ですね」

なぜなら、石材店はお腹が弱く、普段のトレーニング時でも、しょっちゅうコンビニに駆け込んだりしているからだ。しかし、僕はその心配もないし、ハナが出ればタオルで拭けばいいし、ポケットがぱんぱんになるのでティッシュはやめておく。これがちょっとした失敗だった。レース直前まで、パンをかじりながら、こまめに水分の補給も怠らない。これも小さな失敗だったかもしれない。

レース前に余裕の表情の招待選手たち
(左からテニス君、幹事長、石材店)


参加者は結局、4045人だったらしい。5000人当選で4045人参加なら、かなり歩留まりは良かったと言えよう。抽選したから、有り難みが増したのかもしれない。当初の3000人に比べれば1000人ほど増えた訳だ。しかもスタート地点は意外に狭くて、かなり混雑している。そのおかげで寒さは和らいだが。

僕なんかは遅いので後ろの方で待っていたら、前の方では開会式が開催されているようだ。後ろの方では、何が起こっているのか全然分からないけど、ゲストの弘山晴美や市橋有里らが紹介されているようだ。彼女たちは招待選手とはなっているけど、どう考えても、フルマラソンを走るとは思えない。いくらプロとは言え、余興でフルマラソンなんか走っていたら体がもたない。と思ってプログラムを見てみたら、なんと彼女たちはスタート1時間20分後からトークショーをするらしい。ううむ。一体、誰のためのトークショーなんだろう。誰もまだゴールしてないから、参加者のためでないことだけは確かだ。

混雑したまま開会式も終わり、いよいよスタートとなり、長い戦いの幕が切って落とされた。
このマラソンは、第1回ということもあるけど、7時間という異常に長い制限時間が示しているように、初心者に優しいレースなのだ。そのため、とても丁寧な注意書きが事前に送られてきた。それにはレース直前の食生活やトレーニング方法から始まり、レース中の注意事項などが丁寧に書いてある。そして、そこには、「スタート直後は混み合い、思うように走れませんが、体にはそのほうが好都合です。最初の5kmはウォーミングアップと思ってあせらずゆっくりスタートして下さい」とか「集団がバラけてくると思ったよりも早く走ってしまいがちです。前半は少し物足りないくらいのスピードで走ってちょうどいいくらいです」なんて書いてある。まさに我が意を得たり、って感じ。

(幹事長)「ええこと書いとるがな。
       ウォーミングアップによる無駄な体力の消耗が避けた方が良いって事が科学的に立証されたわけじゃ」
(テニス)「ウォーミングアップを絶対にしない幹事長には好都合の言い訳ですね」


てな訳で、スタート直後は狭い道が超混み混みだったけど、落ち着いてチンタラ走っていく。しばらく行くと広い国道に出たが、全面通行止めではなく、一部車線のみの使用とため、相変わらず混雑している。ま、しかし、最初の5kmはウォーミングアップだから、焦っちゃいけない。
3kmほど走ると、いよいよ吉野川の堤防に出る。ここからが勝負か。と思った瞬間、急にざわついてきたので何かと思ったら、最初だけ一緒に走っていた市橋有里が、そこで走るのを止めてランナーに声援を送っていた。これから急いで帰ってトークショーに出るのかな。
市橋有里と言えば、シモンが高橋尚子に追いすがって死闘を繰り広げたシドニーオリンピックで、途中まで高橋尚子に着いていった果敢で可憐な姿が目に焼き付いているが、久しぶりに見ると、なんだか妙に大人っぽくなっていて、ちょっと驚き。弘山晴美が高校まで徳島にいたのは知っていたけど、市橋有里が中学まで徳島にいたとは知りませんでした。

もうしばらく行くと、最初の給水所があり、最初の5kmが終わる。ここでタイムを見て愕然とする。なんと、30分以上かかっている。1km6分以上の遅さだ。

(テニス)「これ、異常に遅いですよ」
(幹事長)「いくらウォーミングアップがわりとは言え、あり得ない遅さ!」


確かにウォーミングアップがわりと思ってゆっくり走っていたのは事実だ。しかし、それにしても、ここまで遅いとは思わなかった。さすがに少し焦ってペースを上げる。

次の給水所は8km地点だ。この辺りで、なんだかお腹の具合がおかしくなってくる。朝はちゃんとトイレに行ってきた。一体、どうしたんだろう。もしかして、前夜、炭水化物を大量に摂りすぎたのだろうか。それとも、朝、菓子パンを食べ過ぎたのだろうか。それとも、直前まで冷たい水分を摂りすぎたのだろうか。
給水所に設置されたトイレに行っておくべきだろうか。と思って仮設トイレを見ると、なんと、僅か3台しかない。そして、早くも長蛇の列ができている。あんなのに並んでいたら、かなりタイムをロスしてしまうだろう。そもそも、朝はちゃんとトイレに行ってきたので、そんなに心配する事は無いだろう。て事で、ここの仮設トイレはパスする。これが最大の失敗だった。

パスした時は、まだまだ大丈夫と思っていたけど、すぐに大きな波がやってきた。かなり激しい波だ。この波の強さから考えれば、このままレース終了まで我慢できるような甘い事態ではない。いずれ破綻する時が来るのは確実だ。それなら、できるだけ早めに処理した方がいい。しかし、これが町中のレースならコンビニでも何でもある。いざとなれば民家に駆け込む手もある。しかし、吉野川の堤防を走っていると、当たり前だけど、周辺は川と田んぼばっかり。ほとんど建造物はない。次の給水所は12km地点だ。給水所まで行けば仮設トイレがあるだろうが、あと4kmもある。なんて苦しみながら走っていると、少し波が引いた。ちょっと安心。でも、このまま4kmも行けるだろうか?

もちろん、行けるはずがない。こういう波は、押したり引いたりしながら、どんどん激しさを増してくるものだ。再び襲ってきた波の大きさは筆舌を尽くしがたい。緊急事態だ。もう走るどころではない。走ったりしたら、すぐに漏れてきそう。走るどころか、歩いてたって漏れてきそうだ。12kmの給水所まで、あと僅か1kmほどなんだけど、とてもたどり着けそうにない。しかし、相変わらず周辺に民家は無い。ティッシュを持っていればためらわずに堤防を降りて草むらにしゃがみ込むところだ。しかし、今日はティッシュを持ってきていない。ものすごい後悔。あるのはタオルのみ。いざとなったらタオルで拭くか?漏らすよりはマシだ。もう、悩んでいる余地はない。

と思いかけたとき、突然、自動車の整備工場が見えてきた。なんとラッキー!あそこへ駆け込もう!って言ったって、もちろん駆けられる訳ではなく、お尻をすぼめてヨチヨチ歩きで堤防を降りて工場へ向かう。なんとかたどり着いた工場だけど、なんと、日曜日で閉まっている。がーん。
なんとか局面を打開しようと思い、たまたま通りかかったおばさんに「この辺でトイレを貸してくれるところはありませんか?」って聞いたら、「その家で借りたら?」って指し示してくれたのが工場の一角にある民家。工場の周辺には家はないけど、工場の中に家があったのか。やっと光が差した、と思って呼び鈴を押す。が、反応が無い。不在のようだ。もう目の前真っ暗。
こうなったら、どこか物陰で用を足すしかない、と思って工場の裏側に回り込むと、なんと、そこに工場のトイレがある。しかも鍵もかかっていない。これは神の哀れみか?躊躇する間もなくトイレに飛び込み、速攻で座り込む。そして、そのまま20分ほど過ごす。再度、トイレを探すような事態は避けたいので、徹底的に出したい、というのもあるし、もう疲れ切って動きたくなくなったのもある。まだ11kmくらいしか走ってないとはいえ、こういう所でいったん休んでしまうと、なかなか立てないものだ。もうこれ以上、出すものもなくなったと確信できてから、なんとか立ち上がり、外に出る。堤防をよじ登り、取りあえずレースに復帰する。

すぐに12kmの給水所が見えてくる。ほんとにあと少しの所だったので、なんとなく悔しい。結局、20分以上、タイムをロスしている。どう考えても取り返せるハンディではない。もう記録どころではない。それどころか、体中に疲労感が充満して、気持ちよく走れる状態ではない。もともと最初の5kmからして、かなりのスローペースだったから、体調は良くなかったのかもしれない。それなのに、前夜から取り込んでいたエネルギーは全て放出してしまったし、中途半端に休んでしまったし、もうまともに走れる状態ではなくなったようだ。足に疲労がきて、まともに動かなくなってしまった。
この時点で、途中で棄権することに決めた。取りあえず、中間地点まで行って、棄権しよう。中間地点は折返しの西条大橋辺りだろう。ただし、そこまで走るのもしんどかった。ただでさえ足が動かなくなっているうえに、向かい風が強い。後で聞くと、この時期、というか、この辺りは年中、北西からの風が強いらしい。堤防の上なので遮るものもなく、かなり抵抗がある。暑くなくていいとは言えるけど、むしろ少し寒いくらいだ。

それでも、なんとかペースも取り戻し、西条大橋が見えてきた。大勢のランナーが橋を渡っている。あの橋を渡り終えてから棄権しよう。と思ったんだけど、なぜかコースが素直じゃない。いったん橋を通り過ぎてしばらく行ってから折り返して引き返してくる。なので、この辺りは行きのランナーと帰りのランナーがすれ違う。さらに、かなり大回りしてから、ようやく橋の上に出る。橋を渡りきったら、25kmの関門になっていた。半分より、だいぶ走らされてしまった。もうここで棄権しようと思って救護車を探す。
ところがっ!救護車が見たらない!なんとっ!一体、なぜ?かと言うと、このレースは制限時間が異常に長くて7時間もある。なので、力尽きたら、後は歩いて帰れっていうことらしい。もちろん、本当に体調が悪くなったり故障したような人は、関係者の車に乗せてもらって帰っているけど、決して、そこまで病人になった訳じゃない。堂々と故障を訴えてわざわざ車で連れて帰ってもらえるほどの状態ではない。しかたなく、ほんっとにしかたなく走り続ける

全くやる気を失って惰性で走っていると、給水所の横にそば米汁と書かれた看板がある。何の事か意味不明だけど、もうタイムどころか完走する気力も無くなっているので、ためらわずに近寄ってみると、カップに入ったみそ汁のようなものをくれる。中には穀物が入っている。でも、それがそばなのか米なのか、よく分かんない。そば米という種類なんだろうか。お腹の具合が悪いのは不安だったけど、なんとか治まっているし、エネルギー源を全て放出しているので、何か栄養を補給しないといけない。座り込んで汁をすすると、疲れた体に美味しい。大量に入っている穀物は最後まで不明だったけど、とにかくありがたかった。(後で調べると、そば米ってのは、そばの実の殻を取ったもので、米とは関係ないらしい。そば米汁は、徳島の郷土料理とのことでした)

なんとか少しだけ元気を取り戻し、再び走り始める。でも、もう体力的にも限界に来ているし、精神的にも支えが無くなった状態なので、1kmも走ると、すぐに足が動かなくなってしまう。しかも暑い。前半は向かい風が強かったけど、後半は風も無くなり、快晴の太陽光線がきつい。
ただ、前半は4kmおきだった給水所が、25kmを過ぎてからは2〜3kmおきに設置されており、地元のスポンサー企業である大塚グループからアミノバリューが大量に供給されている。公式の給水所以外にも、地域の住民によるボランティアの差し入れが多く、1kmおきくらいに休める。冷えたトマトがとっても美味しかったし、ちくわも美味しかった。さらに、地元の人たちの阿波踊りのパフォーマンスなんかもあり、苦しさを紛らわさせてくれる。なんだか嬉しい感じ。
そのまま1km走っては座り込んで休むというのを繰り返しながら、なんとか38km地点までたどり着く。そこからは堤防をはずれてゴール地点の徳島市陸上競技場に向かっていく。ここまで来れば、もう完走しかないから、重い足を引きずってひたすら最後の悪あがき。陸上競技場にたどりついて、最後は写真を撮られても大丈夫なように元気そうなフリをしてゴールする。

タイムも悲惨だし、休みまくったし、歩きまくったし、とても完走と言えるような展開ではないけど、なんとかゴールしたから、取りあえず完走と言えなくもない。大昔にゴールした石材店とテニス君が暖かく迎えてくれる。

(石材店)「どこで死んどんかと思いましたよ」
(テニス)「もう絶対に帰ってこないと確信して、帰りの交通手段を考えてましたけどねえ」


序盤は同じようなスローペースだったテニス君も、その後は快走したらしく、悪くないタイム。僕だけが悲惨な結果となってしまった。

ゴールした後は、まずは暖かいうどんを食べる。それから、瀬戸大橋マラソンと同じようにバナナを配ってくれていた。最初は一人1本ずつ配っていたのだけど、帰りの時間を気にしだしたバナナ会社の係員が、早くバナナを配り終えようということで、突然、一人1房ずつ配りだし、大きなバナナを房ごともらった。めっちゃラッキーじゃない。

とても悲惨なレースだったけど、後半は棄権するつもりで、もうタイムも気にしなくなったので、精神的には楽だった。これは制限時間が7時間という異常に長いおかげだ。例えば前半20kmを2時間程度で走れば、まだ5時間も残っているから、残りは全部歩いても楽にゴールできる。とても優しいレースだ。それに、後半は地域の人たちの接待が充実していて、休むのが楽しかった。悲惨な結果の割には、なんだか楽しかったような気がしてくる。休みまくったこともあり、あんまり足にもダメージは残ってなくて、帰りの車の運転も苦にならなかった。

(石材店)「だから余力を残しすぎなんですってば!」


タイムで配分することとなった交通費は、しかし、惨敗した割には、そんなに過大な負担でもなかった。考えてみれば、マラソンでどんなに差が着いたって、オリンピック級の選手と競争しない限り、倍も時間がかかることはない。

(幹事長)「あんまりエキサイティングなルールじゃ無かったか」
(石材店)「単純配分じゃなくて、二乗くらいしますか」


さて、最初にも書いたように、このレースは、来年以降の継続が決まっていない。参加者の評判や、初めての開催で出てきた問題点の解決策の検討も踏まえて決めるらしい。しかし、近い場所で坂の無い手軽なフルマラソンは非常に貴重な存在なので、何としても是非とも継続して欲しい。できれば定員も大幅にアップし、またコースも、もう少し市街地を取り込むとかしてくれれば、もっと嬉しい。



レースの翌日、石材店が息を切らして駆け込んできた。

(幹事長)「ほほう、まだまだ余裕があるようじゃな」
(石材店)「これ見て下さいっ!」


彼が差し出したのは、徳島新聞だった。この日の徳島新聞は、第一面の大半を始め、全部で10ページほどが徳島マラソン関係の記事で埋め尽くされていた。知らなかったけど、このマラソンは、徳島県、徳島市と徳島新聞の主催だったのね。それにしても10ページも何の記事があるのかと言えば、上位者の紹介や住民達の活動のほか、完走した3814人全員の記録やら、レースの模様の写真などだ。
そして、その写真特集の中のでかい写真のど真ん中に、なんと、石材店が写っておるのだっ!ちょうど西条大橋を少し過ぎた折返しのところだ。

(幹事長)「す、すごいっ!どう見ても、石材店のための写真みたい。まさかカメラを意識して中央に寄った?」
(石材店)「こなな所で写真撮ってるとは思いませんでしたが、常にカメラを意識しておかねばならないという貴重な教訓ですね」


確かに、石材店の写真写り確率は、かなり高い。何かしらカメラマンにアピールするものがあるのだろうか。

(石材店)「幹事長は、そもそも全力を尽くしてないから駄目ですよ」


〜おしまい〜




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