第3回 神戸マラソン2013

〜 大都市マラソン最終戦 〜



2013年11月17日(日)第3回神戸マラソン2013が開催された。

6年前に東京マラソンが始まり、その大成功に刺激されて関西の3大都市である大阪、京都、神戸でも2年前からマラソン大会が始まり、日本を代表する4大都市で揃って大都市マラソンが始まったのだが、そのうち東京マラソン大阪マラソンは今年、私が初めて参加する事ができたし、京都マラソンも今年、支部長が出場できた。そして今回、最後に残った神戸マラソンにピッグ増田選手が出場できたのだ。東京マラソンが競争率10倍、大阪マラソンが競争率5倍、神戸マラソンが競争率4倍、京都マラソンが競争率3倍と、いずれも非常に厳しい競争率なので、一人で全部に出るのは困難だが、何人かで申し込み続けていれば、誰かは当選するって事だ。

てことで、出場したピッグから参戦記が届いてますので、掲載します。



第3回 神戸マラソン

今秋の集大成として神戸マラソンに参加してきました。

都市型マラソン大会の通例のとおり、神戸マラソンも前々日もしくは前日受付のみで、当日受付なしでしたので、前日に神戸入りしました。宿泊先は、周囲の親切なアドバイスを聞かずに、抽選による当選結果の受領後、1週間程度、放置していたら、あっという間に神戸市内の安宿はなくなり、仕方なく大阪泊となりました。今回、神戸のようなホテルが多そうな都会でも2万人規模の大会があると、宿が即、完売状態になると身をもって理解しました。

前泊地は、翌日の交通の便を考えて大阪の梅田を選択しました。せっかく大阪に前泊するので、友人と難波で晩御飯を約束したのですが、暇つぶしがてら、梅田〜難波まで御堂筋を散歩してみました。ランニングシューズでは絶対に入れてくれないような高級ブランド店、外車ショールームを眺めながら40分ほど歩きました。
難波では、明日のイメージトレーニングに道頓堀・戎橋のグリコのネオンサインを見て、「あー、テレビで見ているのと同じだぁ」などと再確認した後、夕食はカーボローディングのために大阪名物・お好み焼き(ビール抜き)にしました。
宿でおとなしくしていれば良いものの、大阪の街をぶらつき、無駄に体力を使った感じで、翌日に向けてスタミナ温存するつもりだったのが、台無しになってしまいました。

当日は、早朝に阪神電車の三宮駅を下りて、神戸市役所前のスタート会場に向かったものの、更衣場所はなく、参加者は皆、適当にアーケード商店街の開店前の店先などで着替えていました。私もスタート会場近くで適当に着替えましたが、体を冷やさないためにも上着を脱ぐのは荷物預け制限時間ギリギリまでにしていたら、荷物を預けた後、トイレ前には、同じ考えの人たちで長蛇の列ができていました。しかし、精神安定上、やはり出すものを出しておかねば、と思い、並んだのは良いけど、スタート時間が迫ってくるのに一向にトイレの順番が進まず、気を揉みながら、スタート整列制限時間の3分前にようやく用を足すことができました。「スタート10分前までに所定箇所に整列しないと最後尾に並ぶことになります」との再三、事務局のアナウンスで脅されていたので、かなり焦りました。

今回、自己記録の更新を狙って自分なりにピークをもってきたつもりで、さらに4時間のペースランナーを見つけて走ろうと思っていたのに、焦って並んだせいで、ペースランナーがどこにいるか分からずに適当に並んでしました。これでレース開始前から早くも目論見が崩れてしまいました。
当日のコンディションは、雲ひとつない晴れ、風もなく、気温は15度と少し暑いくらいですが、申し分のないものでした。

さて、上空にヘリコプターが飛び交う中、クウォーターマラソン参加者2千人も含め、総勢2万人でのスタート。スタート後、のろのろと7〜8分かけて歩いてスタート地点に達してから、徐々にレースを始めました。スタート台には、ゲストに有森裕子さんが来られて応援してくれましたが、本物を初めて見ることができたものの、やはり求心力の点では、高橋Qちゃんに数段劣るか、との感想です。前日には、シスメックスの野口みずき選手も講演会もありましたが、こちらには行かずじまいでした。

スタート直後の渋滞ロスで出だしはキロ6分ペースから2分40秒ほど遅れが出ました。本来、サブフォーを目指すのであれば、キロ5分40秒ですが、「無理をしてはいかん!」と心に念じて、とにかく20キロ〜半分までは“無理しない”という大方針でキロ6分のペースを維持しておりました。沿道の応援では、しきりに“頑張って!”と激励してくれるのですが、頑張るのは後半からということで、苦しくない程度にペースを刻んで、走りました。

序盤、旧居留地周辺の繁華街ではカーブが多かったけど、神戸のセンスの良い街並み、都会ぶりを眺め、南京町では春節に登場する巨大な竜が声援を送ってくれました。
神戸の繁華街を過ぎて国道2号を西へ行くと、JR新長田駅前では鉄人28号像が出迎えてくれましたが、これは背中越しの後姿での応援でした。

コースに並行して走るJRの高架下には、地元の小中学校が描いた応援メッセージの壁画、神戸復興記念の壁画などがあり、巧拙いろいろあって、随分と目を楽しませてもらえました。あのような場所に自分で絵を描いて残るのは楽しいだろうなあ、と思います。また、参加受付時に渡されたゼッケンなど一式入っていた袋には絵葉書があり、地元小学生からの直筆応援メッセージが記されており、なかなか気の利いた演出でした。

さらに進んで、うる憶えの折り返し地点では、明石海峡大橋の手前で20キロ地点のつもりだったのが、正しくは18キロ地点での折り返しとなり、拍子抜けでした。まだまだ半分にも達していないな、と思うとがっかりでしたが、キロ6分のペースは維持しており、前半は、まずまずの展開でした。
折り返した後、最初の差し入れとして、須磨の海岸端で地元漁協がたこ飯おにぎりを振舞ってくれました。数量限定でせっかく名物モノが食べられるので手を伸ばしました。口がモゴモゴになり、正直、味わっている余裕はなかったですが、タコで喉を詰まらせないよう気をつけつつ、地元飯を食べられました。
その後、目立ったところでは、復路での一ノ谷近辺、須磨浦公園で源平武者に扮した仮装の応援があり、「エイエイ、オー!」の鬨の声での応援があり、この地ならではの演出を楽しめました。

神戸マラソンのコースは、アップダウンが比較的少なく、あったとしても緩やか短く、走りやすいものでした。とてつもなく厳しい坂はなく、足を止められて歩かざるを得ない程の坂はありませんでした。坂に限らずとも、一度、歩くと緊張感が途絶えてしまうので、なるべく給水、給食時でも最低限、足を動かして、完全停止しないように心がけました。

レースが進み、練習不足の馬脚が現れてきたのは、30キロを過ぎた頃で、だんだんとキロ6分のペースを維持することすら、厳しくなってきました。
最大の難所といわれたポートアイランドに架けられた赤色の神戸大橋を通過する際には、女子高校生、女子大学生のボランティアの方々に大いに励まされ、ハイタッチしてもらったことで元気をもらい、なんとか上りきることができました。
ポートアイランドへ橋を渡りきると、残るは、あと5キロ程、ところがコースをしっかりと覚えていなかったので、ゴール地点がいつまでたっても見えてこない状態でした。ポートアイランドの神戸学院大学キャンパス沿道を1周している最中に我慢が揺らぎ、海上保安部の警戒艇による放水パフォーマンスや神戸の阿波踊り連の応援、バンド演奏などいろいろ趣向を凝らした応援があったものの、この終盤で、かなり気持ちが萎えてしまいました。残り3キロ頃には、とうとう4時間半のペースランナー集団に追い抜かれてしまいました。
最後、2キロでさらにペースダウンし、熱気球の応援を横目に最終の角を曲がり、残り1キロ、最後もイマイチで、直線にも関わらず、ゴール地点が最終、どこに延びているのか判然としないまま、ヨタヨタで走り続け、オールスポーツの写真撮影にだけは、愛想笑いをして、やっとの思いでゴールしました。

ゴール後は、コースと神戸ポートタワーをデザインした金メダルを首にかけてもらい、完走者タオルも肩にかけてもらい、トップレベルのランナーのような扱いをしてもらったため、十分に満足させてもらいました。
今回、ペース配分は遅いながらもキロ6分を終盤まで維持でき、レース展開は悪くなかったのですが、やはり練習不足は明らかで、最小限の練習、努力で最大限の効果、記録を狙うという虫のよい考え方は改めないと・・・と一時だけ、反省しております。



(幹事長)「それでも僕の大阪マラソンのタイムより良かったじゃん」
(ピッグ)「遅いながらもペースを維持するってのが、やっぱり大事ですよねえ」

とは言え、ピッグは2月の海部川風流マラソンで4時間10分58秒という快記録を出しているので、サブフォーを達成するまではイマイチ満足できないみたいだ。

(幹事長)「でも大都市のマラソンは楽しいやろ?楽しめればいいじゃん
(ピッグ)「確かに幹事長の言うとおり、シティマラソンは楽しいですねえ。年に1回は4大マラソンのどれかに出たいですねえ」


来年は、京都か神戸に出てみたいなあ。もちろん東京や大阪でも不満は無いよ。


〜おしまい〜




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