第32回 那覇マラソン

〜 交通事故で涙の欠場 〜


2016年12月4日(日)沖縄の那覇市第32回那覇マラソンが開催された。私にとっては初めての参加になる

那覇マラソンは多くのマラソンランナーにとって憧れの大会だ。沖縄のマラソン大会だなんて、聞いただけでもワクワクする。ウキウキする。ゾクゾクする。誰しもが出たくなる大会だ。
しかし、
実際に行くとなると、なかなか重い腰が上がらない。やはり遠いからだ。東京や大阪の人に取っては、東京マラソンや大阪マラソンと違って、長時間、飛行機に乗って、しかも前日から出掛けなければならないから、かなりハードルが高いと思う。その点、四国の人間にとっては、所詮、東京マラソンだって飛行機で行かなければならないし、前日に行かなければならないから、大差は無いように思える。しかし、出張とかでしょっちゅう出掛ける東京と、遊びでしか行くことが無い沖縄では、やっぱり馴染み度が異なるから、なんとなく精神的にハードルが高い。


〜 エントリー 〜


なぜ今年は思い切って出場することにしたのかと言うと、去年、初参加した奈良マラソンエントリーに失敗したからだ。奈良マラソンは那覇マラソンの1週間後に開催されている大会だが、去年、阿南のスーパー女性ランナーY浅さんから「コースが良くて楽しいマラソン大会だよ」と聞いて初出場した。走ってみると、確かに坂が多くて非常に厳しいコースで大変だったけど、変化があって、とっても楽しいマラソン大会で、「絶対に来年も出場しよう」って強く思った。ただ、奈良マラソンは抽選じゃなくてネット受付の先着順なので、エントリーには秒単位の熾烈な競争があり、数秒の差が命取りになる。なので去年は気合いを入れてパソコンの前に陣取り、受付開始と同時にパソコンのキーを叩き、なんとかエントリーすることができた。そして今年も受付開始の日時を書いたメモをあちこちに貼り、気合いを入れていたんだけど、悲しいかな、当日、酒を飲みながら夕食を食べているうちにすっかり忘れてしまい、気が付いたときには受付開始から1時間が経っていた。慌てて確認したけど、当たり前だが、受付開始の20分後には受付終了になっていて、無惨にも扉は閉ざされていた。あれだけ何日も前から心の準備をしておきながら、その瞬間に忘れてしまうなんて、認知症の進行の速さに愕然とさせられた。

せっかく1年前から楽しみにしていた奈良マラソンのエントリーに失敗したもんだから、しばらく失意のどん底に沈んでいたんだけど、そのショックから立ち直るために、ふと思い出したのが「Naraマラソンの1週間前にNahaマラソンがある」っていうダジャレのような小松原選手の言葉だ。小松原選手は5年前、初フルマラソンとして那覇マラソンに出場し、すっかりその魅力に取り憑かれてしまい、その後、毎年出場しているのだ。彼の話では、沖縄本島の南部の海岸沿いを走るコースも気持ちいいけど、完走すると琉球ガラスの完走メダルをくれて、それを首から提げていると飲み屋で一杯タダで飲ませてくれるので、次々と飲み屋をハシゴするとタダでたくさん飲めるらしい。しかも全国から大勢のランナーが集まるから、同じような連中が飲み屋街に溢れていて、お友達もいっぱいできるそうだ。それだけでも行く価値があると言うものだ。

(小松原)「那覇マラソンは、ええですよう。ぜひ一緒に出ましょうよ!」
(幹事長)「ええだろうなあ。いつか絶対に出たいなあ」


なんて言ってたのだが、奈良マラソンのエントリー失敗というショックから立ち直るために、一念発起して那覇マラソンに出る決意をしたのだ。ただし、遠方の事とて、一人で行くのは寂しい。東京マラソンも大阪マラソンも抽選だったので一人で行ったけど、しょっちゅう行ってる東京や大阪と違い、滅多に行かないリゾートアイランド沖縄に一人で行くのは寂しい。さっそく他のメンバーに声を掛けてみる。

(幹事長)「ちょっと、そこの兄さんがた、今年、那覇マラソンに出てみんか?」
(支部長)「お?那覇マラソンとな。ええなあ」
(ピッグ)「え?那覇マラソンですか?ええですねえ!」
(ヤイ)「ん?那覇マラソン?付き合いましょう」


意外にも、あっさりとみんな同意してくれた。やったーっ!

とは言え、那覇マラソンは先着順ではなく抽選だ全員で行くには全員が抽選に当選しなければならない。東京マラソンや大阪マラソンなんて、自分1人が当選するのだって難しいので、メンバーが揃って当選するなんて不可能だ。ところが調べてみると、意外にも那覇マラソンの競争率は低いらしい。一昨年が1.4倍で去年は1.3倍とのことだ。なんで憧れの那覇マラソンの競争倍率がそんなに低いのか理解に苦しむが、結局は、上にも書いたように、東京や大阪の近辺の人達は東京マラソンや大阪マラソンとなると大挙して申し込むが、遠方の沖縄にまで出掛けようっていう人は少ないってことか。
だとしても、うまいこと全員が当選するかどうか、となると、1人くらい落ちこぼれる人が出てくるかもしれない。しかも、それが自分になるかもしれない、という不安があった。ところが取りあえずエントリーしようとしたら、なんとグループエントリーができて、しかもグループエントリーした仲間達は運命共同体で、当選するときは全員当選で落選の場合は全員落選なのだそうだ。これなら誰か寂しい思いをする人も出ない。
て事で、安心して申し込んだところ、見事に全員当選したのだ。後から調べてみると、今年の競争率はさらに下がり、1.2倍だったそうだ。そのうち全員当選って事になるかもしれない。世紀末的なマラソンブームなのに意外だが、わざわざ遠方にまで出掛けていく人は少ないんだなあ。それと、那覇マラソンの定員は30000人で、地方のマラソンでは最大規模だ。東京マラソンができるまでは日本で一番大きいマラソン大会だったらしく、そのため競争率が低くなっているのかもしれない。
て事で、私、支部長、ピッグ、ヤイさんそして小松原選手が参加することになった。

ちなみに那覇マラソンの参加料は6500円だ。最近のマラソン大会の参加料の高騰ぶりを考えると、比較的良心的と言える。京都マラソンの12000円は論外としても、毎年、値上がりし続け今年は9000円にまでなった徳島マラソンなんかに比べても安い。ただし、沖縄までの交通費や宿泊費を考えると、トータルとしてはかなり高い買い物だ


〜 宿泊場所の確保 〜


て事で、無事に参加する事ができ、奈良マラソンエントリーの失敗からも立ち直れたんだけど、次の難関は宿泊場所の確保だ
宿泊場所の確保で苦戦したと言えば、一番記憶に残るのが3年前の大阪マラソンだ。予約しようと思ってネットで探すと、山ほどホテルが空いている。さすがは大都市だと思ったら、妙に安い。カプセルホテルでも普通なら3000円はするのに、1000円程度から大量にある。一体こりゃ何じゃと思って場所と条件を確認していくと、極端に安いホテルは西成区に集中していた。つまり釜ヶ崎(あいりん地区)のドヤ街のホテルなのだ。ドヤ街で労務者が住んでいた簡易宿所(通称ドヤ)が時代の流れでビジネスホテルっぽく模様替えしているだけなのだ。いくら模様替えしたとは言っても、元々3畳トイレ無しといった狭い部屋だし、エリアとしては極端に怖いイメージだ。しかし、釜ヶ崎のドヤ街以外のホテルを探そうとすると、かなり高額なホテルしか残っていなかったため、仕方なくドヤ街に泊まった。結果的に、この夜の体験は非常に面白く、とっても貴重な経験となった。
次に苦労したのは、去年の龍馬脱藩マラソンだ。もともと宿泊施設が少ない高知の山奥で開催されるマラソン大会なので、宿泊場所の確保には非常に苦労し、数少ない民宿のおばちゃんとのバトルを繰り広げてなんとか泊まる場所を確保した。本当に疲れた。

(小松原)「あの民宿のおばちゃんとのバトルは、今までの記事の中で一番面白かったですよ」
(幹事長)「あのバトルで疲れ果ててしまい、本番は力が入らなかったもんなあ」


その反省もあって、今年の龍馬脱藩マラソンは、前夜泊を諦めて早朝に高松を出て日帰りにした。それはそれで大変だったけど。
その他、今治で過去3回開催されたサイクリングしまなみもホテルの確保に非常に苦労し、今年なんか遙か遠くの西条市の安ホテルに泊まった。

こういう過去の辛い体験があるから、今回、宿の確保には早めに動いた。早めと言うのは、当選が決まってから動くのではなく、当選するかどうか分からないうちから押さえておくのだ。当選発表の2ヵ月も前に手配を開始した。

(ピッグ)「すごいですね!さすがの幹事長も過去の痛い経験の学習効果が出てますね」
(幹事長)「そやろ?感心するやろ?」


って自分で自分を褒めたいところなんだけど、甘かった。やはり私は甘かった。私がホテル確保に動いた時点で、既に手頃なホテルは全滅だった。他の人達は、それより早く、はるか以前に手配に動いていたようだ。大阪マラソンの場合と同じで、手頃なホテルは皆無で、うんと安いホテルか、トンでもなく高いリゾートホテルしか残ってなかった。過去の経験から言えば、こういう場合には、ためらいなく安いホテルを選択するのがよろしい。どんなに安いホテルでも、日本なので危険を感じる事はない。

(ピッグ)「釜ヶ崎でも危険は感じなかったんですか?」
(幹事長)「外は暗黒の世界だったけど、ホテルの中はそれほどでも」


それにマラソン大会はどこも朝が早く、そんなにゆっくりくつろぐ時間も無い。単に夜、寝るだけだ。

(幹事長)「て事で安いホテルを探しますが、よろしいか?」
(支部長)「かまん、かまん。どうせ寝るだけやし」
(ピッグ)「他に選択肢も無いし」
(ヤイ)「付き合いましょう」


那覇の安いホテルは、ドヤ街の労務者を相手にする大阪の釜ヶ崎とは事情が異なる。那覇の安いホテルのメインの客は海外からのバックパッカー達だ。ホテルと言うよりユースホステルみたいな感じだ。1つの畳に2人も3人も詰め込まれる山小屋の思いをすれば、スペースは広いと思うが、雑魚寝で転がされるイメージだ。

(幹事長)「プライバシーも何も無い雑魚寝でも、ええか?」
(支部長)「ええよー!」
(ピッグ)「え?ちょっとそれは・・・」
(ヤイ)「付き合いましょう!」


しかし、散々探した結果、なんと4人で1部屋に泊まれるホテルをゲットした。名前はホステル沖縄リトルアジア・ゲストハウスだ。

(幹事長)「わくわくする名前やなあ。変な外人がウジャウジャいるぞ」
(支部長)「いけいけゴーゴー!」
(ピッグ)「うわあ、滅茶滅茶不安ですねえ」
(ヤイ)「私は付き合いますよっ!」


お値段は1部屋1泊8000円だ。2泊するので16000円、1人当たり2泊で4000円だ。釜ヶ崎でも通用する安さだ。

(幹事長)「安いって素晴らしい!」
(支部長)「いけいけゴーゴー、ヤッホーっ!」
(ピッグ)「うわあ、ますます不安ですぅ」
(ヤイ)「私はどこまでも付き合いますよっ!」


〜 飛行機の確保 〜


宿泊場所の手配が済むと、次は飛行機の手配だ。高松から那覇へは1日1往復しか飛行機が飛んでないから、レース前日に行って、レース翌日に帰ってくるという2泊3日コースになる。なので行きは12月3日(土)高松発、帰りは12月5日(月)那覇発の飛行機だ。前日は土曜日だからいいけど、翌日の月曜日は休暇を取る必要がある。
那覇便を運航しているANAは、一番安いチケットは旅割75なので、75日前になれば買えるのだと思っていた。なので12月3日の便なら9月中旬頃だろうと思っていた。ところがこれは勘違いで、支部長が得た情報では8月30日の0時から12月のチケットが買えるようになるらしい。てことで、29日の夜中にパソコンの前にスタンバイして0時が来るのを待っていた。
ところが、ちょっと試しにANAのサイトを覗いてみると、まだ0時になってないのに既に予約できるようになっている。どういうこと?しかも、その時点で安いチケットは全て売り切れ、高いチケットも含め、12月3日高松発那覇着の飛行機は25000円もする高いチケットが1枚残っているだけだった。さらに12月5日那覇発高松着の飛行機も2枚しか残っていない。つまり、予定している行程では1人分しか確保できないのだ。試しに、休暇をもう1日取って12月2日の行きや12月6日の帰りの便も見てみたが、それでも残っているチケットでは枚数が足りない

(幹事長)「えらい事やで!ほとんど売り切れているがな!」
(支部長)「え?そんなアホな。まだ発売開始になってないはずやのに」


よくよく調べてみると、一般のチケット発売は30日の0時からだが、私らのようなANAの会員は、さらに早くからチケット購入が可能になっていたらしい。そのため、まだ0時になってないうちから購入が可能になっていたし、既に完売状態になっていたのだ。

(幹事長)「時、既に遅しっ!」
(支部長)「あら〜〜〜っ!」


1日程度前後に日程をズラしてもダメだが、2〜3日ズラせば4人分を確保できる。でも、行きも帰りも2日もズラせば全部で5日も休暇を取る必要が出てくる。さすがにそれは不可能だ。

(支部長)「なんでこんなに混んでるんやろ?那覇マラソンのせいやろか?」
(幹事長)「香川県から那覇マラソンに出る人なんて10人くらいしかおらんのかと思ってた」


でも、考えてみれば、東京マラソンや大阪マラソンは同じ3万人規模と言っても、大半が地元の人だけど、那覇マラソンは全国から満遍なく集まってくるはずだから、人口比からすれば香川県から300人くらい出場してもおかしくはない。東京マラソンなら、仮に300人の香川県民が申し込んでも10倍以上の高い競争率に阻まれて20人くらいしか出られないが、那覇マラソンならほぼ全員が当選して出場できる。時間やコストも東京と沖縄なら同じようなものだ。なので、意外に香川県から参加する人も多く、飛行機もあっという間に完売するのかも知れない

そんな分析をしたって仕方ない。とにかく飛行機の確保が最重要問題だ。近場で那覇便がある所を探すと、岡山からJALが飛んでいることが分かったのでチェックしてみたら、なんとか数は確保できそうだ。ただし、お値段が高い。行きも帰りも25000円くらいする。往復で50000円だ。こら、あかん。
てことで、一気に関西方面までエリアを広げて検討した。すると、あるわ、あるわ、なんぼでもあるわ。なんぼでもある、ってのは言い過ぎで、関西の人にとって便利の良い伊丹空港発着便は残り少なくなっていたが、ちょっと不便な神戸空港や関西空港発着の便ならまだまだ残っていた。結局、発着の時間を考慮した結果、行きは関空発、帰りは神戸空港着の便を利用することにした。お値段は安く、行きも帰りも8000円台で、往復でも17000円ほどだ。高松空港発着便なら、一番安いのが取れていたとしても片道15000円はするので、随分安いと言える。
ただ、高松空港と違って関空や神戸空港との移動に時間とお金はかかる。空港までの移動手段は、色々と都合を考慮して、車で行くことにした。

(ピッグ)「え?行きと帰りと飛行場が違うのに?」
(支部長)「ふふふ、奥の手があるのだよ」


支部長が言う奥の手とは、関空と神戸空港を結ぶ船だ。

(ピッグ)「え?ふね?船ですか?」

一体どういう人が使う事を想定しているのか不思議だが、関空と神戸空港を結ぶ船が運航されているのだ。

(支部長)「まさに我々のような利用者を想定しているんじゃない?」
(幹事長)「極めてレアなケースだと思うけどなあ」


この船の存在はヤイさんから聞いたのだ。ヤイさんがかつて北海道へゴルフに行った時、神戸空港から出発する予定だったのを、急遽、関空発に変更した時に利用したらしい。
行きは神戸空港まで車で行って、そこから船で関空に渡る。帰りは神戸空港に着くから、そこから車で帰る。高速道路やガソリン代や船の運賃まで含めても、高松空港発着の一番安いチケットより少し安いくらいだった宿泊料金も格安だったので、全部合わせても今回のコストは東京マラソンなんかに比べたら随分安くあがった。これなら毎年行けるかも。


〜 突然の交通事故 〜


無事エントリーでき、宿泊や飛行機の手配も終わり、1週間前の瀬戸内海タートルマラソンでは惨敗したものの、練習と割り切れば1週間前にハーフマラソンを走ったので練習量は十分とも言える初めての那覇マラソンに向けて準備万端だったのだ

そして、大会3日前の木曜日、最後の練習として軽く数kmくらい走ろうと思って会社から自転車に乗って帰宅していた時の事だ。自宅まで、もう100mも無い近所の道で、狭い路地から突然、車が飛び出してきたのだ。午後6時頃だったので、辺りはもう真っ暗だったが、路地に差し掛かった所で左から車のライトが近づいてくるのは見えた。でも、当然ながら止まると思ってて、まさか突っ込んでくるとは思わなかったら、なんと、そのまま突っ込んできて、そのまま跳ね飛ばされてしまった。体は一回転し、道ばたに倒れ込んだ。胸を強打してて、呼吸ができない状態になり、そのまま身動き取れず伏していた
近所の人なら、そんな狭い路地から停まらずに飛び出してくるなんて事は有り得ないんだけど、そこはマンションの建設工事をやっている現場で、運転手はどうやらそこの若い作業員らしい。交通事情を全く知らなかったのだろう。助手席に上司か先輩らしき男も乗っていたようで、二人の話し声が聞こえる。取りあえずパトカーと救急車は呼んだようなので、ひと安心したが、ろくに呼吸もできないし、痛いので、そのままずうっと横たわっていた。どうやら頭はうってないようなので、その点は安心材料だが、胸のほかにも足も痛いし手も痛いし、どこまで被害があったのかは分からない。

しばらくしたら救急車が来て、救急病院に搬送され、診断を受けた。なんとか打撲くらいで済んだら良いのになあって思っていたけど、それは甘く、なんと肋骨が3本も骨折していた。レントゲン写真を見たら、ヒビじゃなくて、明らかに折れてずれていた。全治6週間とのことだ
ただ、足の骨折とかならギブスで固めて治療ってことになるが、肋骨は呼吸と共に常に動いているので、そういう治療はできないから、自然治癒を待つしかないらしい。て事で、自分では大事故による重傷と認識していたのに、入院もなく、そのまま自宅へ帰らされる事になる。入院しなくていいのは良かったけど、なんとなく寂しい気もする。施してくれたのは、大きく呼吸して胸が広がると、くっつきかけた肋骨が離れてちぎれてしまうので、それを防ぐために胸にバストバンドってのを巻いてくれただけだ。

(幹事長)「こんなんでくっつくんですか?」
(医者)「つきますよ」
(幹事長)「動いてもいいんですか?」
(医者)「痛くない範囲でなら動いてもいいですよ」


痛くなければ何をしてもいいのか。にわかに信じがたいが、そんなものなのか。ただし、今のところ、ちょっとでも胸や腹筋に力が入ったら激痛が走るので、どこまで動けるのか不明だ。

(幹事長)「運動なんかしてもいいんですか」
(医者)「当面は控えてください。て言うか運動なんかしたら痛いと思いますよ」


絶対に駄目とは分かっていたが、一応、聞いてみる。

(幹事長)「実は3日後にマラソン大会があるんですけど、やっぱり無理ですかねえ」
(医者)「・・・」


医者はしばらく意味が理解できない風で、何か聞き違いしたかなっていう不思議そうな目で私を見る。

(幹事長)「やっぱり駄目ですかねえ」
(医者)「とにかく1ヵ月程度は運動は控えてください!」


やっぱり駄目か。せっかく何ヶ月も前から楽しみにしていた那覇マラソンへの初出場が、この時点で消えてしまった。悔しいったらありゃしない!
さらに、おまけではないが、左足の膝を激しく擦り剥いて血まみれになっていたし、左手の薬指は突き指して動かなくなってしまった。もう散々だ。


〜 くじけずに沖縄へゴー! 〜


て事で、初めての那覇マラソンへの出場は絶望となったが、飛行機もホテルもキャンセルはきかないし、せっかくみんなで沖縄へ行く予定だったので、出場はしなくても一緒に行くことにした

(ピッグ)「大丈夫ですか?あんまり無理はしない方が良いと思いますが」
(幹事長)「でも、沖縄へ行くのも止めたら、余りにも悔しいと思わない?」


那覇の大会会場まで行けば、少しは悔しさも紛れるかもしれないと思ったのだ。

当日は支部長がピッグを乗せて9時過ぎに迎えに来てくれて、そのまま高速道路に乗り、途中でヤイさんをピックアップして神戸空港へ向かう。
神戸空港では空港の駐車場ではなく、関空への連絡船の駐車場へ車を停める。神戸空港の駐車場は、神戸空港を利用すると1日分はタダになるが、2日目からは料金がかかる。でも連絡船の駐車場なら、いつまで停めても駐車場がタダなのだ。どういう利用者を想定しているのだろう?
神戸空港から連絡船に乗り、順調に関空に到着し、ここで遅い昼食を取り、那覇行きの飛行機に乗る。

那覇に着いたのは夕方だったが、沖縄地方の天気はイマイチが続くってことで、今日も時々小雨がパラつくような天気だ。でも、さすがは南の島だけあって、12月に雨が降っても決して寒くはなく、ちょうど良いくらいの気温だ
那覇マラソンの大会会場は空港からモノレールで3つめの駅にある奥武山総合運動場で、前日の受付もここでやっている。3万人規模のマラソン大会と言えば東京マラソンなんかと並んで全国一の規模なので、前日の受付会場も東京マラソンのような華やかな雰囲気を期待していたんだけど、そんなことはなくて、なんとなく少し寂れたような雰囲気だ。スポーツ用品の屋台なんかは沢山出ているが、ちょっと華やかさに欠けていた。

ま、別に東京マラソンのように華やかだったとしても我々には無関係なので、そそくさと宿に向かう。宿は国際通りの近くにあるので、モノレールをさらに5駅乗って牧志という駅で降りる。国際通りは那覇で一番の繁華街で、沖縄には数回来たことがあるので、国際通りにも何度か来たはずだが、最後に来たのは10年以上も前なので、イマイチ記憶は曖昧だ。
我々が確保したリトルアジア・ゲストハウスという安宿は、高級ホテルのハイアットリージェンシーのすぐ近くにある。もちろん、1泊1人当たり2000円のリトルアジア・ゲストハウスと1泊何万円もするハイアットリージェンシーとは規模も美しさも比較にはならないと言うか、別次元の宿泊施設だが、どんなところか楽しみでワクワクする。
リトルアジア・ゲストハウスは、丸國マーケットと言う何の店か不明な店舗の2〜3階部分にあった

うらぶれた商店街のはずれにあったリトルアジア

受付は2階で、昔のユースホステルみたいなシステムだった。部屋はユースホステルみたいな大部屋と、我々が予約したような小部屋があった。大部屋なら色々と情報交換もできて楽しい面もあるだろうが、我々のような完全なるおっさん達にとっては個室がありがたい
部屋は四畳半くらいの板の間で、中にロフトと言うか中2階のような部分があり、その下に2段ベッドがある。なので4人が泊まるには十分な広さはある。私は胸が痛くてできるだけ動かなくて済むように2段ベッドの下の段を使わせてもらい、支部長はイビキがひどいので中2階に上がり、ピッグが最若年者と言うことで2段ベッドの上の段に上がり、ヤイさんが床に寝ることになった。

取りあえず夕食に繰り出したが、近所にも飲食店は色々とあるが、ちょっと良さそうな店はどこも満席だ。那覇マラソンの出場選手らしき人も少なくはないが、地元の人や一般の観光客が多い。結構、探し回って、なんとか入れる店を見つけ、飲み食いを始める。

(幹事長)「私は出場は不可能になってしまいましたが、ヤイさんはどうなんですか?」

ヤイさんは肉離れが完治せず、まだ出場を迷っているのだ。

(ヤイ)「取りあえず出ようとは思いますが、たぶん走るのは無理でしょうね」

でも、鉄人ヤイさんだから予測は不可能だ。

(小松原)「無理して走る事はないですよ。那覇マラソンはグルメマラソンだから歩けばいいんですよ」
(幹事長)「え?どゆこと?」


なんと、那覇マラソンはエイドに美味しいものがいっぱいあって、それを食い散らかしながら走るのが楽しいマラソンなんだそうだ。大会事務局が用意した公式エイドだけでなく、沿道には私設エイドが並び、色んな食べ物が提供される。ソーキソバを始めとする沖縄の名産品はもちろん、中には吉野家の牛丼とかもあるらしい。

(幹事長)「そななもん走りながら食べたら吐くで!」

私設エイドには泡盛やオリオンビールもあるらしい

(幹事長)「ビールはともかく、走りながら泡盛飲んだらいかんやろ!」

沖縄名産のグルメコーナーには長蛇の列が出来て、30分とか平気で並ぶらしい。そのせいで完走できないランナーが多いとのことなのだ。
実は那覇マラソンの完走率が異常に低いのは気になっていた普通、どんなマラソン大会でも完走率は90%を越える。かつて瀬戸内海タートルマラソンのフルマラソンは制限時間が5時間と厳し目だったが、そういう大会には実力の無いランナーは出ないので、結局、どんなマラソン大会でも完走率は90%を越える。制限時間をクリアできるかどうか不安なランナーは、そんなに多くはいないのだ。ところが那覇マラソンの完走率は低い。とても低い。高い年でも70%ちょっとだ。1999年の第15回大会に至っては、なんと52%だ。つまり2人に1人しか完走していないのだ。この異常なまでの完走率の低さは暑さと厳しい坂が原因と言われている。私もそう信じていた。本土では寒くなり始める12月だが、沖縄はまだまだ暖かく、走るには暑すぎる季節だ。しかも、コースは坂が多く、最大標高差は100m以上、累積の獲得標高は300m近い。イメージと違って厳しいマラソン大会なのだ。
ところが小松原選手の話によると、そうではなく、ランナーがあちこちのエイドで食い散らかしているうちに制限時間オーバーになってしまうとのことなのだ。酔っぱらって走れなくなるランナーもいるし、地元の人の中には楽しいイベントと割り切って初めから完走することを目的にしていない参加者も多いらしい

(幹事長)「そんな秘密が隠されていたのか!」
(小松原)「だから好タイムを目指して真剣に走っていると、お前、何を勘違いしてるんだ、って非難されるんですよ」
(幹事長)「君はどうなの?」
(小松原)「私は非難を無視して真剣に走ります!フルマラソンのベストタイムは那覇マラソンで出しました。
       でも、そういうランナーは1割程度じゃないですか?」


ふうむ。そうだったのか。真面目に走ってはいけない大会だったのか。

(幹事長)「じゃあヤイさんも気楽に出て、飲み食いしながら行けるところまで歩いて行ったらええですね」
(支部長)「それやったら幹事長も試しに出てみたら?」
(幹事長)「そうやなあ、せっかくここまで来たんだから、歩けるところまで歩いてみようか」


て事で、取りあえず行ってみようかなんて思い始める。


〜 いよいよレース本番 〜


レース当日の朝、取りあえず走れる格好をして出発する。もちろん、胸にはバストバンドを巻いたままだ。

胸にはバストバンドを巻いて、取りあえず出発する

今日も朝から天気はイマイチで、雨がパラついている。でも気温は低くないし、雲が出ている方が暑くなる心配もないので、悪いコンディションではない。
でも、当たり前と言えば当たり前だが、3日前に骨折したばかりの肋骨の調子は良くない。ゆっくり歩くのは大丈夫だが、少し早足で歩くと痛みが走る足から伝わる衝撃も痛いし、呼吸が荒くなるのも痛い。荷物を持ってモノレールに乗って移動していると、痛みに耐えているのが疲れてくる。なんとか会場には着いたけど、やはり走れる状態ではない。当たり前だ。走るのは無理でも、なんとか歩きながら途中まで行って、エイドで飲み食いしたいなあ、なんて思っていたけど、長時間歩くのも厳しい。残念だけど歩いて参加するのも諦めることにした

空は曇っていて走るにはまずまずのコンディションに思えた
(左からヤイさん、幹事長、ピッグ、支部長)

スタート時間が近づいてきたので、参加するメンバーは整列場所に急いだ。3万人もの人が参加する大きなレースなので、整列場所も広大で、ものすごい数の人がぎっしりと詰まっている。もうメンバーがどこに居るのかも分からないので、適当にフラフラ歩いていると、参加者のくせに同じようにフラフラと歩いている人がたくさんいる。もう整列しないといけない時間なのに、その辺に座り込んでる人だって沢山いる。もしかして、小松原選手が言っていたように、最初から完走しようなんて思ってなくて、適当に行けるところまで行けば良いという参加者なのかもしれない。スタート時間が近づいてきているって言ったって、それは先頭のランナーであり、最後尾のランナーが走り出すまでには30分はかかるだろうから、最後でいいやって思ってるランナーには、まだまだ時間があるのだ。

いよいよスタートの合図が聞こえたので、スタート場所よりだいぶ手前の地点でランナーの集団を見ていたが、しばらくしてようやく集団が動き出した。もちろん、まだまだ走るのは無理で、ダラダラと歩き始めただけだ。10分くらい経過したところでヤイさんが目の前に現れた。意外に前の方に並んでいたようだ。

意外に早く通り過ぎたヤイさん

さらに5分くらいしてピッグが目の前を通っていった。支部長は見つけられなかった。結局、最後尾のランナーが通り過ぎるまで30分くらいかかった。

ピッグも通り過ぎていく

体調は悪くなる一方で、もう限界と思ったので、宿に引き上げることにした。再びモノレールに乗って戻ったが、それだけでも気分が悪くなった。宿の近くの国際通りもコースになっていて、私が戻ってきた頃には、だいぶ後ろの方のランナーが走っていたが、それでも数多くのランナーで通りはぎっしり埋まっていた。

国際通りから南へ折れてモノレールの下を走る大勢のランナー

宿に戻ってベッドに倒れ込み、そのままじっとしていた。地元のテレビでは那覇マラソンの様子を中継していたが、メンバーが映るわけでもないから見ても面白くないので、福岡国際マラソンの中継を見る。川内が力走して、優勝は逃したが日本人トップの3位に入り、とても面白かった。
そしたらスタートから4時間ちょっとってところで支部長から電話が掛かってきた

(幹事長)「えっ!?もうゴールしたん?めちゃ速いやん!」
(支部長)「そう言いたいところやけど、しんどくなってリタイアした」
(幹事長)「どどど、どしたん?」
(支部長)「完全に脱水状態や」


朝からパラついていた雨は上がり、暑くもなく寒くもなく風もない絶好のコンディションと思っていたんだけど、そのうち時々日が差すようになり、急激に暑くなったんだそうだ。こうなると風が無いのも悪い条件となり、支部長だけでなく、多くのランナーがリタイアしているそうだ。そんな厳しい状況になっているなんて知らなかった。
スタートから5時間ちょっとしたら、今度はピッグから電話が掛かってきた

(ピッグ)「なんとかゴールしましたよ」
(幹事長)「お疲れ!」


ピッグにとって普通なら5時間なんて恥ずかしくなるような遅さだが、大勢のランナーがリタイアしている状況なので、完走しただけでも立派なものだ
小松原選手からも連絡が入り、高速ランナーの彼でさえ4時間半かかったとのことだ。去年より1時間も遅く、終盤の数kmは歩きどおしだったそうだ。小松原選手が歩くなんて、ほんとに大変だったんだろうなあ。
待っていると、しばらくしてピッグが宿に帰ってきた。その後、さらにしばらくしてヤイさんが帰ってきた

(幹事長)「どうでした?」
(ヤイ)「制限時間には間に合わなかったけど、一応、最後まで歩いてゴールしましたよ」


ヤイさんは今日の暑さのせいではなく、肉離れのために途中で早々に足が痛くなって歩き始めたんだけど、さすがは鉄人ヤイさん、そのまま根性で歩き続け、途中で制限時間の6時間は経過したけど、それでも挫けずに最後まで歩いてゴールしたんだそうだ。

(小松原)「その状況で最後まで歩いてゴールするなんて、それはそれでもの凄いですね。さすがは鉄人ですねえ」
(ヤイ)「次回のためにコースを把握しておこうと思って」

そういう発想が我々とは違うなあ。あまりにも前向きだ。
支部長はさらに遅れて帰ってきた。リタイアする人が多すぎて、回収バスに乗るために暑い中で延々と待たされ、大変だったそうだ。
テレビによると、この日の那覇は12月の気温としては102年ぶりに記録を更新する観測史上最高気温だったようで、おまけに風が無く、マラソンとしては非常に厳しいコンディションだったようだ。そのため、完走率は1999年の第15回大会に次ぐ低さの53%だった。つまり3万人走って半分近い1万4千人もがリタイアしたってことだ。これじゃあ回収バスに乗るのも一苦労するわけだ。

(幹事長)「エイドの食べ物は楽しめた?」
(支部長)「楽しむどころか、水が足りなくなって大変やったで」


暑すぎてランナーが水を飲みすぎたため、水が足りなくなって、水が無いエイドがあったそうだ。エイドに行って水が無かったら大変だ。食べ物を楽しむどころではないわな。

(幹事長)「暑さに強い私が出ていたら快走しただろうに」
(支部長)「無理やってば!」


宿でくたばっていた私もしんどかったが、出場したランナーも大変な目にあった今年の那覇マラソンだった

夜はみんな夕食に繰り出して行ったが、私は一日中寝ていたのに疲れ果てて、ベッドに横たわったままパスした。宿の受付のお姉ちゃんと仲良くなった支部長は、夕食を食べた後だと言うのに、戻ってきてから宿の食堂でカレーを食べていた。

(ヤイ)「ちょっと悔しいので、来年は完走したいですね!」
(幹事長)「私も出場できなかったのがとても悔しいので来年こそは出たいですね!」
(支部長)「・・・」
(ピッグ)「・・・」


なんとなく消極的な支部長とピッグを説得して来年こそ出場しよう!


〜おしまい〜




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