第4回 龍馬脱藩マラソン大会
2015年10月11日(日)、高知県檮原町で第4回龍馬脱藩マラソンが開催された。
今年の夏は、7月に汗見川マラソンに出たし、9月には四国のてっぺん酸欠マラソンにも出るはずだったし、この龍馬脱藩マラソンと合わせて山岳マラソン3連戦になるはずだった。汗見川マラソンは、これまでも3回出たことがあるが、酸欠マラソンと龍馬脱藩マラソンは今年が初めてだし、山岳マラソンに3回も続けて出るのは初めてだったので、久しぶりに緊張感を持っていた。ところが9月初めの酸欠マラソンが悪天候で中止になってしまい、気勢をそがれてしまった。
てことで、もともと夏場はマラソン大会が少ないとは言え、マラソン大会に出るのは、かなり久しぶりになった。私とピッグは7月下旬の汗見川マラソンに出場したからまだマシだけど、汗見川マラソンのエントリーに失敗した他のメンバーは、酸欠マラソンが中止になったせいで、6月初めの徳島航空基地マラソン以来4ヵ月ぶりか、あるいは5月下旬の小豆島オリーブマラソン以来のマラソン大会になったのだ。
さらに、実は、先週の日曜日に開催されたこんぴら石段マラソンにも出ようと思っていたんだけど、気が付いたときには、なんと定員一杯で申し込みができなかったのだ。こんぴら石段マラソンなんて、数多くのマイナーなレースの中でも、群を抜いてマイナーな超草レースであり、去年は9月中旬に四国新聞に小さな紹介記事が出ていたのを見つけて、レース直前に琴平町役場に申し込んだんだけど、楽勝だった。しつこいようだけど、本当にマイナーな草レースであり、そもそも事前申し込みなんかしなくても、当日行っても大丈夫って雰囲気のレースだったのだ。
(國宗)「いや、ほんと。3年前に出た時なんか、当日受付OKでしたよ」
だから、完全に油断していた。そしたら、なぜか今年は8月に早々に定員いっぱいで受付終了になっていたのだ。
(幹事長)「世の中、いったい何が起きているんだ!」
(D木谷)「常識が通用しない世界になってきましたね」
さらに、ついでに言えば、龍馬脱藩マラソンの2週間後に開催される庵治マラソンも、油断していたら、いつの間にか受付終了になっていた。毎年パンフレットが送られてくるから、それを待っていたんだけど、パンフレットは前年の参加者だけに送られてくるとのことで、我々は去年は同じ日に開催されたしまなみサイクリングに出たから不参加となり、そのため今年はパンフレットが送られてこなかったのだ。なので気が付いた時には、とうの昔に定員いっぱいで受付が終了になっていたのだ。でも、そうは言っても、気が付いたのはまだ8月だった。ほんの数年前までは存続すら危ぶまれていた草レースが、2ヵ月も前に定員一杯になるなんて、もう信じられない。
龍馬脱藩マラソンには、我がペンギンズとしては去年、初参加するはずだった。去年、初参加しようとしたのには理由がある。6月末の徳島航空基地マラソンの後は、マラソンには不向きな猛暑の季節になるから、しばらくレースがほとんど無いため、数少ない貴重なレースとして7月末の汗見川マラソンに参加しようと思っていたんだけど、マイナーなレースだからと油断してたら、申し込み受付開始と同時に、あっという間に即日完売してしまって、申し込みし損ねてしまったのだ。仕方なく、次善の策として9月始めの酸欠マラソンに出ようと思ったのだが、こちらも油断してたら申し込み受付開始からあっという間に完売してしまっていて、申し込みし損ねた。急速に進展する認知症のせいであり自業自得なんだけど、それにしても、汗見川マラソンにしても酸欠マラソンにしても、超マイナーな草レースが、ことごとく、あっという間に完売してしまうなんて、もう世も末だ。おまけに、毎年出ていた10月末の庵治マラソンは、去年は同じ日に開催されるサイクリングしまなみ2014の方に参加することになっていたので、11月末の瀬戸内海タートルマラソンまで5ヵ月もマラソン大会に出ない、なんて情けないことになってしまう。いくら軟弱なマラソンクラブと言えども、さすがにそれでは存在意義が無くなってしまうだろうって事で、急遽、出場可能なマラソン大会は無いものかと探して、まだ申し込み可能だった龍馬脱藩マラソンに申し込んだのだ。
汗見川マラソンや酸欠マラソンと言った超マイナーな草レースを含め、あらゆるレースが申し込み開始と同時に即日完売になっていく昨今の異常なマラソンブームの中で、なぜ、この龍馬脱藩マラソンには申し込むことができたのか?
(ピッグ)「なぜですか?」
(幹事長)「超きびしーからだ」
龍馬脱藩マラソンは、かつての塩江山岳マラソンや四国カルストマラソンに匹敵するような登山マラソンらしいのだ。実は、このマラソン大会の存在は知っていた。なぜかと言うと、かつて開催されていた四国カルストマラソンの後継大会という位置付けだからだ。
四国カルストマラソンは、かつて塩江町が高松市と合併するまで開催していた塩江マラソンと双璧をなす恐怖の山岳マラソン大会だった。塩江マラソンは、前半は延々と12kmも急坂を登り続け、後半は9kmも急坂を下り続けるというトンでもないコース設定のマラソンだったが、四国カルストマラソンも酷暑の7月に炎天下の高原の急坂を登るという殺人レースだった。標高1500m前後の高原なので曇っていると夏でも肌寒いくらいで、空気も澄んで気持ち良いのだが、ひとたび太陽が顔を出すと空気の薄い高原のギラギラした直射日光が強烈に当たり、肌が焼けていくような猛暑になるのだ。なので、曇っていれば良いけど、天気が良いと灼熱地獄のレースになる。もちろん、日射しがきついだけでなく、アップダウンも尋常ではなかった。こんな苦しく厳しいレースだが、マラソン大会がほとんど無い夏場の貴重なレースということで、2回、参加したことがある。
ところが、この四国カルストマラソンが廃止されてしまった。なぜ廃止になったのかは分からない。炎天下の高原を走るという超レアなシチュエーションで、超マイナーながら圧倒的な存在感を誇った死のマラソン大会だったので、廃止になったのは惜しい限りだが、死ぬほどきつい急坂を炎天下で走る殺人レースだったため、危険すぎるってことで廃止になったのかもしれない。そして、その後継レースとして新しく4年前にできたのが龍馬脱藩マラソンなのだ。
しかし、後継レースの龍馬脱藩マラソンは緩く優しくなったのかと言えば、そんなことはない。最長でも20kmコースまでだった四国カルストマラソンと違って、龍馬脱藩マラソンにはフルマラソンもできた。しかも、そのフルマラソンのコースが厳しいらしいのだ。
フルマラソンとハーフマラソンと、どちらにしようかと悩んだので、第1回から出場を続けているスーパー女性ランナーH本さんに聞いてみた。
(幹事長)「フルマラソンとハーフマラソンと、どっちにしようかと思って」
(H本)「悪い事は言いません。フルマラソンは死にます。幹事長の実力からすればハーフマラソンが限界です。できれば10kmの部にしてください」
あのスーパー女性ランナーのH本さんがフルマラソンは避けてハーフマラソンに出ると言ってるのだから、我々がフルマラソンに出るなんて選択肢はあり得ない。四国カルストマラソンと違って開催時期が7月から10月になったため、炎天下レースの危険性は無くなったが、フルマラソンの部は、スタート地点から折り返し点までの標高差が、なんと550mもある山登りマラソンなのだ。いくらなんでも、それは厳し過ぎる。ハーフマラソンの部がどれくらい厳しいのかは分からないが、フルマラソンの厳しさを考えると、ハーフマラソンだって甘いものではないだろう。でも、さすがに檮原まで行って10kmレースに出るってのも情けないので、ハーフマラソンに出ることにした。
このように超厳しいコースのため、昨今のキチガイじみたマラソン熱の中にあって、この龍馬脱藩マラソンだけは即日完売にならなかったのだ。つまり、人気薄ってことだけど、我々としては、そこまで厳しいコースって、どんなんだろうって、むしろ楽しみにしていた。
ところが、大会の3日前の夜、宿泊を予約していた民宿のおばちゃんから「台風が来るとて大会が中止になったそうや」なんていう電話があった。大会事務局じゃなくて民宿のおばちゃんから連絡が来るってのが釈然としないが、確かに、季節外れの巨大台風が日本に近づきつつあるってのは、天気予報を聞いて知っていた。しかし、1週間前のこんぴら石段マラソンの時も、季節外れの大型台風に直撃される恐れがあって、ちょっと心配したけど、日本一雨が少ない香川県だけあって、結局、ほとんど雨は降らなかった。なので、2週間連続の季節外れの巨大台風襲来とは言っても、どうせ大したことはないだろうと高をくくっていた。
それに、そもそも、マラソン大会って、多少の雨風というか、トンでもない暴風雨であっても、中止になる事はない。これまで悪天候でマラソン大会が中止になったなんて聞いたことない。3年前の第5回とくしまマラソンとか2年前の第4回サンポート高松トライアスロンでも分かるように、悪天候のため中止するなんていう発想はマラソン関係者の辞書には載っていない。我々自身も、5年前の第33回小豆島オリーブマラソン大会で大雨の中を快走してからは、雨に対する抵抗感は払拭されている。
なので、いくら台風が近づいているっていう天気予報を見ても、まさか中止になるとは思わなかった。そもそも台風はゆっくり来ているから、四国に影響が出始めるのは、せいぜい大会当日の夕方頃からではないかと思った。でも、日本一雨が少ない香川県と違って、日本一雨が多い高知県(当社比)だから、用心したのだろう。特にフルマラソンは山のてっぺんまで行くから、暴風雨が吹き荒れる可能性があったのかもしれない。
て事で、初出場を楽しみにしていた去年の大会は直前に中止になってしまった。
てことで、去年は楽しみにしていたのに、とても残念な結末になったため、今年こそは是非、参加しようという気になった。今年は7月の汗見川マラソンはちゃんと申し込めたし、9月の酸欠マラソンも申し込む予定だったので、必ずしも龍馬脱藩マラソンに出ないと間隔が空きすぎるっていう心配は無くなったんだけど、去年のいきさつが心残りなので、申し込もうと思ったのだ。そのため汗見川マラソン、酸欠マラソン、龍馬脱藩マラソンと山岳マラソンの3連戦という予定になったのだ。
上にも書いたように、この龍馬脱藩マラソンだけは、コースが超厳しいこともあって、昨今のキチガイじみたマラソン熱の中にあっても、即日完売にはならない人気薄のレースだ。とは言え、油断は禁物だ。ちょっとした油断が死を招くのは、7月の汗見川マラソンの申し込みに失敗したメンバーが続出したことで明らかだ。汗見川マラソンの申し込みの時は、去年の失敗に懲りた私は危機感があったので受付開始と同時にエントリーして出場権を獲得したが、イマイチ切迫感の無かった支部長ほか大勢のメンバーがエントリーに失敗してしまった。もう、昔の常識は通用しない。どんなレースであっても、取りあえずエントリー開始と同時にパソコンのキーを叩かねばならない、という強い危機感があったので、この龍馬脱藩マラソンのエントリーに当たっても、メンバーにしつこく周知した。
受付開始は6月1日0:00となっている。つまり5月31日の夜中の12時だ。徳島マラソンも以前は夜中の12時が受付開始だったため、ついつい寝過ごしてエントリーに失敗してしまう事があったので、要注意だ。なので、数日前と、当日の昼間に続き、夜中の12時の少し前にもメンバーに一斉メールで注意喚起した。
そして、受付開始の数秒直前にパソコンのキーを叩いたためフリーズして苦労した汗見川マラソンの失敗を繰り返さないよう、受付開始の数秒後にパソコンのキーを叩いた。にもかかわらず、なぜかスムースにいかず、再度、アクセスし直したりしていて、エントリー画面に行き着くまで10分くらいかかってしまった。おまけに、参加料をクレジットカード払いにしようとしたら「ただいまクレジットカード払いは受け付けていません」なんていう意味不明のメッセージが出たりして、とても手間取ってしまった。そうこうしていると、ピッグからエントリー完了のメールが入るし、支部長からもヤイさんと國宗選手の分も合わせてエントリー完了の連絡が入る。さらにDK谷さんからも無事エントリーできた連絡が入る。
て事で、みんなをせき立てながら急いでエントリーしたんだけど、心配は無用だったようで、翌朝になっても、まだ受付が継続されていた。これは、やはりコースが厳しいからだろうか。ただし、その時点では、実は一抹の不安が残っていた。何かと言えば、連絡事項として「参加料の入金先着による定員締切となりますので、早めのご入金をお勧め致します」なんて書いてあることだ。私はエントリーはできたが、なぜかクレジットカード払いを受け付けてもらえなかったので、コンビニ払いにした。なので、まだ入金が終わってないのだ。参加費の支払い期限は1週間くらいあるんだけど、それで許されるのかどうか分からない。私と同じように、エントリーは終わってるけど入金はまだ、という人が沢山いて、他の人が先に入金してしまえば、定員オーバーになってしまうのではないか、という心配があったのだ。ピッグや支部長に確認したら、2人ともクレジットカード払いを受け付けてくれたそうだ。一体、どういうこと?とにかく、万が一アウトになったら元も子もないので、急いでコンビニへ行って支払いを済ませ、ようやく一安心だ。
ところが結局、その翌日になっても、翌々日になっても、いつまで経っても、まだ受け付けていた。やっぱり人気がイマイチなのか。
日本全国、どんなマラソン大会であっても、受付開始と同時に即日完売してしまう末期的な昨今の状況の中、何日経っても受け付けてくれる龍馬脱藩マラソンは、貴重な存在と言えるが、実はこのマラソンは、参加申し込みは楽だが宿泊場所の確保が極めて難しい。もしかしたら、このマラソンの人気薄の理由は、コースが厳しいからだけでなく、宿泊場所に困るからかもしれない。宿泊場所が無いから参加できない人が多いのかもしれない。それで、いつまでも定員オーバーにならないのかもしれない。
一応、四国内なので、高松から日帰りも不可能ではないような気もする。高知県内のマラソンであっても、本山町で開催される汗見川マラソンだったら、いつも日帰りで行ってるし。ただ、さすがに檮原町は遠いので、去年、参加申し込みを済ませてすぐにH本さんに聞いてみた。
(幹事長)「檮原まで高松から日帰りは難しいよねえ?」
(H本)「何言ってるんですか!当たり前でしょ。睡眠不足で走れるようなレースじゃありません。龍馬脱藩マラソンを舐めたらあかんぜよ!」
(幹事長)「て事は、檮原町に泊まるのことになるのか」
(H本)「今頃探しても泊まるところは無いですよ」
(幹事長)「え!?そうなん?」
檮原町は高知の、というか四国の山の中にある。かなり不便な場所なのだ。そもそも、なぜ龍馬脱藩マラソンなんて名前が付いているのかと言えば、坂本龍馬が明治維新を進めるために土佐藩を脱藩して伊予へ行く時に通った道を走るからだ。土佐と伊予の国境まで山道を登り、国境の韮ヶ峠で折り返してくるという脱藩コースを走るのだ。ちなみに、以前開催されていた四国カルストマラソンは、韮ヶ峠から少し東に行った峰の上を縦走するコースだった。
スタートとゴールは檮原町役場だから、韮ヶ峠ほど山深いわけではなく、檮原町の中心部に泊まれば良いんだけど、そもそも檮原町に宿泊施設は少ない。一番上等なのは雲の上のホテルで、これは立派なホテルだ。さらに雲の上のホテルの別館でマルシェユスハラというのがあり、こちらも普通のきちんとしたホテルだ。H本さんも毎年、そこに泊まっているとのことだ。でも、これらの予約は極めて難しい。
(H本)「私たちは毎年、そこに泊まって出場してるんだけど、帰る時に翌年の予約をして帰ってますよ」
(幹事長)「どっひゃあーっ!」
一応、電話で確認してみたけど、全然、相手にもしてくれなかった。雲の上のホテルもマルシェユスハラも、どちらも僅か15室しかないので、一見さんが入り込める余地は無いのだ。町内に普通のホテルは、この2軒しかないので、マラソン大会のホームページを見て民宿をピックアップした。檮原町内に民宿は全部で10軒ほどあるが、檮原町はかなり広いうえに、基本的に山間部なので、同じ町内と言えどもマラソン会場の役場の近くでないと移動が大変だ。なので、現実的な宿泊候補となるのは5軒だった。どういう施設なのか情報が極めて少ないので、片っ端から電話を掛けてみた。ところが、恐れていたとおり、ことごとく満室だ。どこも数部屋しかないような小さな民宿なので、マラソン大会が開催されるとなれば、たちまち全部満室になってしまうのだ。ホテルは合わせて30室、民宿も合わせてせいぜい20室なので、詰め込んでも100数十人くらいしか宿泊できないのだ。
(ピッグ)「マラソン大会の参加人数って何人でしたっけ?」
(幹事長)「定員1500人ってなってるよ」
(ピッグ)「10人に1人しか泊まれないってことですねえ」
(幹事長)「高知県内の人は早朝に家を出れば間に合うだろうけど、他県からの参加者は日帰りはしんどいよなあ」
こうなったらもう「須崎辺りに泊まって、朝、檮原に入るしかないかも」なんて諦めつつ最後の民宿に電話したら、何があったのか分からないけど、1部屋あいていた。参加予定メンバーは5人いたけど、1部屋と言っても2部屋続きの広い部屋だったので、十分入れるとのことだった。ただし食事では揉めた。
(おばちゃん)「夕食は無しでええかな?」
(幹事長)「え!?夕食は要りますよ!普通、夕食は要るでしょ?」
(おばちゃん)「マラソン大会の前夜祭には出ないん?みんな出るんよ」
(幹事長)「そんなものには出ません。出ませんから夕食いります!」
(おばちゃん)「そうな、夕食いるんな。でも5人もおったら食堂が狭いから、部屋で食べてもらわないかんのや」
(幹事長)「喜んで部屋で食べますがな。何の問題も無いですがな」
(おばちゃん)「老夫婦でやっとる民宿やから、部屋まで食事を運ぶ人がおらんでなあ」
(幹事長)「運ぶ人がおらんのやったら、私らが自分で運びますから」
(おばちゃん)「どこかでお弁当を買ってくる訳にはいかんかな?」
(幹事長)「なんでわざわざ弁当買って民宿に泊まるんですか!それくらいなら、その近くで食事しますけど」
(おばちゃん)「この近所には食事できるとこは無いなあ」
(幹事長)「それやった夕食作ってください!」
て事で、なんとか夕食を作ってもらうことになった。それにしても夕食を作るのを渋る民宿なんて、どういう事だろう。しかも、これだけしつこく夕食をお願いしたのに、レースの1週間ほど前になって予約確認の電話がかかってきた時も、
(幹事長)「予定通り5人で行きます」
(おばちゃん)「それで夕食は無しでええな?」
(幹事長)「何を言うとんですか!夕食は要りますってば!」
(おばちゃん)「ほうな、夕食いるんな。前夜祭には出ないんかなあ?」
(幹事長)「だから前夜祭には出ませんってば!夕食いりますから!」
(おばちゃん)「ほうな、夕食いるんな・・・」
(幹事長)「夕食と朝食と、どっちも要りますからね!」
(おばちゃん)「ほうな。どっちも要るんな。ほな作るわな」
などと言うデジャブのような会話が繰り返された。ここまで作るのを渋る夕食って、決して期待できるような食事でないことは確かだが、怖いもの見たさで、マラソン大会そのものよりも、むしろ夕食を楽しみにしていた。ところが、上にも書いたように、大会の3日前の夜、おばちゃんから大会中止の電話があったため、問題の夕食を食べることはできなかった。
去年、このような経験をしたため、今年はいち早く宿泊場所の確保に動いた。
(石材店)「おや?珍しく学習効果が働いてますね」
(幹事長)「さすがに去年の民宿のおばちゃんとのやり取りは強烈な印象で残っているからな」
「いち早く」って言うのは、つまり、大会への参加申し込みをしてからでは遅いって事だ。まだ受付が開始になる前の4月に早くも予約しようとしたのだ。上にも書いたように、檮原町内に普通のホテルは雲の上のホテルと別館のマルシェユスハラだけだ。まずはネットで予約しようとした。ところが、ネットで予約できるのは向こう3ヵ月間だけで、10月の予約は受け付けていない。それで電話で予約しようとしたら、なんと電話でも3ヵ月先までしか予約を受け付けないと言う。しかも、ホテルのおねえさんの言うところによると、実は旅行会社が部屋の大半を抑えており、電話受付用の部屋数は少ないとのこと。これじゃあ、3ヵ月前になって電話しても、たぶん予約するのは無理だろうなあ。て事で、早々にホテルは諦める。
なので、去年と同じように、民宿を当たるしかない。上にも書いたように、檮原町内に民宿は全部で10軒ほどあるが、町の中心部から遠方にある施設を除くと5軒だ。去年、予約した民宿から当っていこうかとも思ったけど、そこも役場からそんなに近い訳でもないので、もっと中心部に近いとこから当たることにした。マラソン会場のすぐ近くの町の中心部に近いところは2軒しかないので、もう満室かもしれないと思ったけど、取りあえず電話したら、1軒目がなぜか空いていた。
(幹事長)「えっ?マラソンの前夜ですけど、ほんとに空いてるんですか?」
(おばちゃん)「毎年来る人が昨日、キャンセルになって、急に空いたんよ。何人な?」
(幹事長)「5人もおるんですけど」
(おばちゃん)「5人やったらギリギリ入れるな」
ギリギリってのが気になるが、背に腹は代えられない。すぐさま予約する。
(幹事長)「それって広い部屋に5人詰め込むんですか?」
(おばちゃん)「いやいや、2人部屋2つと1人部屋1つですよ」
民宿で1人部屋って、どういう形態だろう。たぶん3部屋空いてるので、5人を入れたら、そういう部屋割りになるって事だろう。
(おばちゃん)「泊まりだけで、ええよね」
いきなりきた!でも、去年の経験があるから動揺はしない。
(幹事長)「いえいえ、食事いりますよ。いりますがな」
(おばちゃん)「7人も食事は作れんがな」
(幹事長)「え?5人ですよ」
(おばちゃん)「他にも2人泊まる人がおってな。前夜祭には出んの?」
(幹事長)「前夜祭には出ません。食事ないと困ります」
(おばちゃん)「うちも、もう歳やし、そんなにたくさん作れんのや。他で食べてくれんかなあ?」
(幹事長)「近所に食べるところなんて、あるんですか?」
(おばちゃん)「あるよ!居酒屋とか焼き肉屋とか、あるよ!」
おや?去年の民宿は中心地から離れていたから近所に食べる所は無いとのことだったけど、町の中心部には食べるところがあるのか。
(幹事長)「近所に食べるとこがあるんだったら、そこで食べます」
(おばちゃん)「焼き肉屋が人気やで。予約しとこか?」
(幹事長)「予約くらい自分でします」
(おばちゃん)「うちで泊まる言うたらええから」
焼き肉屋ごときを何ヶ月も前から予約する必要なんてあるんやろか。何ヶ月も前から予約なんかできるんやろか。でも、考えたら、飲食店も極端に少なそうだから、やっぱり後で予約しておいた方がいいかも。
(幹事長)「夕食は他で食べるとして、朝食は作ってくださいね」
(おばちゃん)「朝食いるんな?」
(幹事長)「いります。いりますがな。朝食なかったら困りますがな」
(おばちゃん)「そうなあ?いるんな?」
朝食まで渋るおばちゃんだったが、そこはなんとか作ってもらうことになった。
て事で、うまいこと町の中心部の民宿を確保できたので、去年の民宿をリベンジすることはできなくなった。残念な気もするが。
ところが、その後、無事にエントリーできたのが6人になったため、1人分を追加することにした。どうせ4部屋おさえているから、1人や2人の追加は大丈夫だろう。
(幹事長)「すんません。1人増えたけど、泊まれますよね?」
(おばちゃん)「えっ?増えたんな。それは無理やなあ」
(幹事長)「え?なんで?1人部屋って、そんなに狭いん?2人くらい入れるやろ?」
(おばちゃん)「そら2人くらいは入れるけど、うち定員が7人なんや」
山の中の小さな民宿に定員なんて概念があるのか?ちょっと驚き。しかも7人って少ないんじゃない?
(幹事長)「そんなん、なんとでもなるでしょ?ええじゃないですか」
(おばちゃん)「いかん。無理や。近所に旅館があるから、そこ当たってみてよ」
おばちゃんの態度が妙に頑ななので、諦めて、中心部にあるもう1軒に電話してみた。そこは旅館という名前だったので、もしかして、もっときちんとした施設かもしれない。最初からこっちに電話した方が良かったかもしれない。
(幹事長)「まだ部屋あいてますか?」
(おばちゃん)「そうやなあ、何人な?」
(幹事長)「取りあえず1人ですけど」
(おばちゃん)「そうやなあ、1人やったら空いとるかなあ」
なんとなく曖昧な答えだが、1部屋は確保できた。
(幹事長)「そこって2人でも泊まれるんですか?」
(おばちゃん)「そうやなあ、2人やったら泊まれるかなあ」
妙な曖昧さが気になるが、うまいこと確保できたので、良かった良かった。
(おばちゃん)「ただ、食事は作れんで」
きたきた。やっぱり、そうくるか。でも、それはOK。
(幹事長)「はいはい、夕食は他で食べますから。朝食は作ってくださいね」
(おばちゃん)「いや、朝食もできんなあ」
なんと!最初の民宿は朝食だけは作ってくれると言うのに、ここは朝食すら駄目なのか!?
(幹事長)「朝食なかったら困ります。他に食べるとこなんて無いでしょ?」
(おばちゃん)「せやけど、もう歳やし、朝食も作れんのや」
朝食も作れない旅館って、一体、どういう事だろう。「旅館」という名前は何を意味するんだろう?やむを得ない。朝食なら、来る途中のコンビニで買い込めば済む。とにかく泊まる場所の確保が最優先だから仕方ない。
て事で、なんとか6人分の宿泊場所を確保できたので、まあ、良かった良かった。
大会への参加申し込み以上に厳しい宿泊場所確保の戦いも無事終わり、これで大会出場へ万全の態勢となった。
(ピッグ)「いや、それを言うなら、ちゃんと練習できてからでしょう?」
その後、連絡不行き届きのためD木谷さんだけが前夜祭に申し込んでしまったことや、前夜にあんまり深酒するのは避けた方が良いのではという意見もあり、結局、夕食は食料を買って行って民宿の部屋で食べることにした。それから、どうせ1人分は朝食が無いので、全員、朝食も食料を買っていく事にする。なので、民宿の食事がどういうものかは分からない事になった。
去年の大会が台風で中止になったもんだから、今年も天候は不安だったが、大会の1週間ほど前の天気予報では「晴れが続く」との事だった。ところが数日前から「雨かもしんない」なんて予報に変わり、最終的には「曇りだろうけど保証はできない」的な天気予報になった。まあ、しかし、まだ10月の初旬だから、雨が降ったとしても寒いって事はないだろう。
今回は珍しくドタキャンが出なかったので、参加者は私、支部長、ピッグ、ヤイさん、國宗選手、D木谷さんの6人が同一行動となり、小松原選手は別行動となった。
先月の酸欠マラソンは私が運転して行ったんだけど、延々と続く山道で、しかも到着したとたんに中止になったから、すぐに折り返して帰ってきて、本当に疲れたので、今回はピッグに車を出してもらった。直前になって、國宗選手が都合で単独行動になったため、残りの5人でピッグ車に乗って出かけた。
(幹事長)「D木谷さん、ウルトラマラソンはどうでした?」
D木谷さんは悪天候で中止になった四国のてっぺん酸欠マラソン大会の2週間後に京都で開催された丹後100kmウルトラマラソンに出たのだ。
(D木谷)「なんとなく完走できましたよ」
(幹事長)「えっ!?ほんまですか!?凄すぎる!!!」
そもそもD木谷さんがウルトラマラソンに出たのは知人に誘われたからだ。普通、誘われてもウルトラマラソンには簡単には出ないと思うんだけど、D木谷さんは深く考えずに気楽に誘いに乗ったのだ。それで普通に完走するって、これはただ事ではない。
(幹事長)「どういう作戦で行ったんですか?」
(D木谷)「制限時間が14時間なんで単純計算では1km8分半程度で走ればいいんですよ。
なので前半は1km7分くらいで走って、後半は山もあったんでだんだんペースが落ちていって、
最終的には13時間57分でゴールしました」
(幹事長)「ピッタリ計算どおり!て言うかギリギリ!」
1km7分で走るのはたやすい。誰でもできる。そのペースで42kmなら走れる。しかし100kmってのは42kmの2.5倍だ。1km8分に落としたって走れるとは思えない。しかもしかも、丹後100kmウルトラマラソンはサロマ湖ウルトラマラソンのようなフラットなコースではない。前半は100数十mの峠を2つ越え、さらに後半には標高400m以上の坂が待っているのだ。
(幹事長)「後半に400mの坂って、あり得なくないですか?」
(D木谷)「確かに、あれで一気にダメージがきますね」
(ヤイ)「でも、死ぬまでに一度はウルトラマラソンに出たいですよね」
そりゃあウルトラマラソンに出たい気持ちは誰だってあるだろう。でも、どうせなら坂の無いフラットなコースに出たいぞ。
(幹事長)「去年、四万十ウルトラマラソンの60kmの部に出たピッグの御意見は?」
(ピッグ)「100kmは不可能だと実感しました!」
四万十ウルトラマラソンも100kmの部は標高600mを越える峠があるけど、60kmの部はあんまり坂が無いフラットなコースだ。それでも60kmが限界だとピッグは言うのだ。ピッグは去年の海部川風流マラソン大会でサブフォー目前の好タイムを出した実力者なんだけど、その彼でさえ100kmは絶対に無理だと断言しているのだ。私も同感だ。フルマラソンをゴールした後の感覚で言えば、最初からペースを抑えて走れば、あと18kmを走るのは不可能とは言えない。でも、あと58kmも走るのは絶対に不可能だと断言できる。
(ヤイ)「いや、でも、一度くらいはウルトラマラソンに出てないと、胸を張ってマラソンランナーとは言えませんよ」
(幹事長)「そら、そうかも知れませんけど・・・」
(D木谷)「来年はみんなで出ましょうよ」
(幹事長)「D木谷さんは、今年、トライアスロンにも初出場して完走したし、ウルトラマラソンにも初出場して完走したし、すごいですねえ。
これでアイアンマンだし、ウルトラマラソンマンですねえ」
(ヤイ)「だから来年はみんなでトライアスロンとウルトラマラソンに出ましょうよ!」
トライアスロンやウルトラマラソンに気軽に出場して気軽に完走するD木谷さんの底力には驚嘆させられるが、あまりにも前向きなヤイさんの姿勢にも圧倒される。
お昼過ぎに高松を出発して、高速道路を須崎で降り、スーパーで夕食と朝食の買い出しをする。酒はどのくらい必要か悩んだ。無いと寂しいけど、あればあるだけ飲むのは目に見えている。てことで、500ml缶ビール1人1本と、泡盛を1本買った。
(ヤイ)「この泡盛は、どういう意味があるんですか!?」
(幹事長)「すんません。個人的な好みで」
須崎から檮原までは45km、車で1時間ほどだ。ただ、先月の酸欠マラソンのようなクネクネの急坂ではなく、基本的に良い道なので、うんと楽だった。
(ピッグ)「ま、運転したのは私で、幹事長は後ろで寝てただけですけどね」
予約を取れた民宿は、どちらもマラソン大会の会場である役場のすぐそばで、徒歩圏内だ。前夜祭に申し込んでしまったD木谷さんには後から1人分を予約した民宿に泊まってもらい、他の5人が最初に5人分を予約した民宿に泊まることにした。単独行動となった國宗選手も、ほぼ同時に梼原町に着いた。
食事を巡るいきさつを考えると、ボロボロの腐りかけたような古い民家を想像していたら、我々の民宿は意外に小ぎれいな建物だった。1階は、かつて何かの商売をしていたのではないかって思えるような造りになっていて、店の奥は家の人の部屋とか炊事場になっていた。客に出す食事を作る専用の厨房なんかは無くて、これじゃあ食事を作るのを嫌がるのも無理はないって分かる。トイレや洗面所も家の人と共用だ。我々が泊まる部屋は2階にあり、2人部屋を2部屋って事だったけど、2部屋の間は襖で仕切られただけで、実質は2間続きの大部屋だった。宴会するには、むしろ打って付けの構造だ。2階には、他にも2部屋あったんだけど、そこは家の人が使い、宿泊用には貸していないとのことで、國宗選手が泊まる1人部屋は地下にあった。部屋は和室なんだけど1人用のベッドがあり、確かに1人部屋だ。でも、もう1人くらいは畳の上で寝れそうだ。なので、しつこく聞いてみる。
(幹事長)「この部屋、もう1人泊まれるんじゃないですか?」
(おばちゃん)「まあ泊まれんことはないけど、うちは定員が7人になっとるからなあ」
相変わらず定員にこだわっている。当局からよっぽど厳しい指導があるんだろうか。
(幹事長)「仕方ないから1人だけ他の民宿にしたんですよ」
(おばちゃん)「ああ、そこやったら、私の叔母がやってる所やね」
なんと、梼原町の民宿は同じ一族がやっているようだ。
D木谷さんは事前に申し込んでいた6時からの前夜祭に出かける。普通、前夜祭って無料か、せいぜい1000円とかだけど、ここの前夜祭は2500円もするので、申し込んでおきながら行かないのはもったいない。て言うか、何が出てくるか楽しみだ。
(幹事長)「高知だから、酒がしこたま出るんですかねえ」
(D木谷)「えっと、酒は1ドリンクってなってますよ」
(ピッグ)「さすがにマラソン前夜だから深酒は控えるんじゃないですか」
残された我々は、まだまだ時間は早かったけど、する事も無いので、さっそく宴会に入る。宴会って言っても、スーパーで適当に買ってきた食料を食べながら缶ビールを飲むだけだ。深酒防止のため、缶ビールは500ml缶を1人1個だけにしたから、当然、物足りない。さっそく泡盛を飲む。ところが支部長やピッグは泡盛に手を出さない。
(幹事長)「なに?わしの泡盛が飲めんっちゅうのか?」
(ピッグ)「い、いや、マラソン前夜の深酒はどうかと思うので」
(支部長)「て言うか、なんで泡盛やねん」
もちろん、マラソン大会なんて恐れるに足りないというスタンスのヤイさんは積極的に飲んでいる。
(幹事長)「ヤイさんはマラソンの練習はしてるんですか?してないとは思いますが」
(ヤイ)「してません。全然してません。ウォーキングは毎日20kmしてますけど」
(幹事長)「え?に、にじゅっきろ!?」
いくら時間が有り余ってるからって、毎日20kmもウォーキングするなんて、狂気の沙汰ではないか?飽きないのだろうか。20kmと言ったらハーフマラソンの距離じゃないか。ランニングでないとはいえ、毎日20kmも歩いていたら、ヘタなランニングの練習を凌駕するのではないか?
(幹事長)「まさか支部長もトレーニングしてるんやないやろな?」
(支部長)「何を言よんかいな。私は毎日レフコ・トライアスロンをやってますがな」
支部長の言うレフコ・トライアスロンとは、スポーツジムのレフコへ行って、自転車マシーンに乗って、次にランニングマシーンに乗って、最後にプールに入るという、順番は異なるけど1人でトライアスロンの種目をこなすというトレーニングだ。支部長は最近レフコに加入して、それを毎日やっていると言うのだ。
(幹事長)「支部長んちからレフコまでなら3kmくらいやから、走っていったらええやないの。て言うか、そもそも自転車もランニングも外でやればええやないの」
(支部長)「それやったら家に帰る時、また汗かくやないの」
(幹事長)「汗かいたらええがな。家に帰って風呂に入ったらええがな」
(支部長)「何を言うとんかいな。レフコで入る風呂がええんやないの」
どうやら支部長の真の目的はレフコでお風呂に入ることらしい。レフコのお風呂はジャグジーやサウナを備えた立派なものらしい。
(幹事長)「何となく本末転倒と言うか趣旨をはき違えてるような気もするけど、お風呂につられて毎日スポーツジムへ行ってるとなると、
かなりの練習量やなあ」
(支部長)「ヤイさんも一緒に加入したんやけど、一回も来ないんや」
(ヤイ)「なかなか行くのが大変で」
(幹事長)「だって、ヤイさんとこからレフコって20km近くあるんじゃないですか?なんで、そんな遠くのスポーツジムに入ったんですか?
(支部長)「ヤイさんはお金の使い道に困ってるんや」
ヤイさんは時間もたっぷりあるが、それ以上にお金がたっぷり余って仕方ないらしい。
(幹事長)「まさか國宗選手は練習してないよね?」
(國宗)「それが最近、お客さんとの付き合いで自転車に乗ってまして」
これは予想外の事態だ。自主的な練習とは全く無縁な國宗選手なんだけど、お客さんとの付き合いを断る訳にはいかず、毎週自転車に乗っているらしい。
ヤイさんと言い、支部長と言い、國宗選手と言い、みんな今回は珍しく練習量が豊富だ。
(幹事長)「まさかピッグだけは練習してないよね。絶対にしてないと思うけど」
(ピッグ)「お察しの通りです」
良かった。ピッグだけは期待通りだ。
(ピッグ)「そういう幹事長はどうなんですか?」
(幹事長)「私は最近、山登り路線やな。
毎週、土曜日は自転車で標高1000m前後の山や峠に登り、日曜日はランニングで標高200mちょっとの峰山に上り、
おまけで先日は木曽駒ヶ岳に登ってきたよ(「番外編」参照)」
(ピッグ)「げげげげーっ!完全に、脱藩マラソンに照準を合わせた練習じゃないですかっ!」
去年の海部川風流マラソン大会ではサブフォー目前の好タイムを出して手が届かないところに行ってたピッグだが、去年の春以来の練習量激減により、最近は低迷状態が続いており、今回も勝てるような気がする。支部長とヤイさんと國宗選手は、いつになく練習量が豊富だが、そうは言っても、私も今回は練習量で負けてはいないので、あまり負ける気はしない。てことは、後はウルトラマラソンマンD木谷さんだけだ。
(ピッグ)「目標タイムはどうなんですか?」
(幹事長)「坂が多い山岳マラソンだから2時間を切れれば良しとしよう!」
なーんて話していたら、前夜祭が終わったD木谷さんが小松原選手と一緒にやってきた。
(幹事長)「前夜祭はどうでした?」
(D木谷)「さすがに良い物が出てましたね。飲み物もワンドリンク付きと言いながら酒が出回ってましたし」
ただし、D木谷さんも明日に備えて深酒はしてないらしい。小松原選手に至っては、今回は車中泊で、これから車で車中泊する人用の駐車場に移動するとのことでアルコールは飲んでいない。上にも書いたように、梼原町内には宿泊場所が極めて少ないため、車中泊する人も多く、トイレが備わった車中泊専用の駐車場が用意されているらしい。
(幹事長)「小松原選手はフルマラソンに出るんよねえ。きつくない?」
(小松原)「さすがに、ここのフルマラソンはきついっすね」
小松原選手ほどのスーパーランナーでも、このフルマラソンはきついらしい。なんと言っても、最大標高差が550m以上もあり、累積の獲得標高は850mを越える。しかも前半はずっと上りとは言え、15km地点辺りまでは緩やかな上りで、そこから先が急坂となる。16km地点から折り返しの20km地点まで4kmで300mも上るから、斜度7〜8%が4kmも続くことになる。しかも最後の400mは岩が転がる完全な山道らしい。ハーフマラソンなら最大標高差が120mちょっと、獲得標高も400m程度だ。これでもきついと言えばきついが、フルマラソンに比べれば楽なもんだ。
(小松原)「それに最後の最後で厳しい上り坂があるんですよ」
(幹事長)「えっ?最後に上り坂?このコースって、前半はずっと上りで後半はずっと下りじゃないん?」
(小松原)「それがゴール前3〜4km辺りで上り坂があるんですよ。そこまでで足がパンパンになってますから、上るのが苦痛ですね」
一体、どういうコースになってるんだろう?
厳しいフルマラソンに備えて小松原選手が引き上げたあと、D木谷さんも引き上げ、気が付いたら、支部長も早々に部屋の隅っこに布団を敷いて寝てしまった。さらに続いてピッグも布団を敷いて寝てしまった。
(幹事長)「いくらなんでも早すぎるんと違うか?」
(支部長)「最近、早寝早起きで」
(ピッグ)「明日がありますから」
もしかして、みんなやる気まんまん?
(國宗)「私も風呂に入って自分の部屋に戻ります」
お風呂は地下にあり、みんな面倒くさいからって入らなかったが、地下のお風呂の隣の部屋に泊まっている國宗選手だけは入るようだ。
結局、残された私とヤイさんでしつこく泡盛を飲みながら夜更かしをする。テレビでは西穂高岳から奥穂高岳の岩尾根を縦走する番組をやっていて、俄然、やる気をかき立てられる。
(幹事長)「あのルート、ええですねえ。危険だけど登り甲斐がありますねえ」
(ヤイ)「一緒に行きましょう!」
トライアスロンやウルトラマラソンだけでなく、登山にも乗ってくるヤイさんだった。
夜更かしはしたが、翌朝は早起きする必要はない。ハーフマラソンのスタートは9時半で、会場までは徒歩3分だ。8時に起きれば十分だ。て事で、早寝した支部長やピッグが早起きして騒々しくなる中、気にしないでギリギリまで布団で寝てたら、「雨が降ってる」なんて声が聞こえる。天気予報では雨の可能性は無くなったと言ってたのに、早朝から雨らしい。ただし、ほんの小雨で、私が起きた頃には止んでいた。
ヤイさんも私と一緒に夜更かししたんだけど、高齢化の影響で早起きし、この日もウォーキングに出たらしい。
(幹事長)「まさか21kmのコースを全部下見したんじゃないでしょうね?」
(ヤイ)「んなアホな。途中までですよ」
途中までと言いながら、かなり歩いたのは間違いない。雨の中、どう考えても、無駄なエネルギー消費だと思うが。
朝食のおにぎりを食べ、ようやく支度に取りかかる。支度ったって、着替えるくらいだ。
(ピッグ)「今日も着るものに悩むんですか?」
(幹事長)「さすがに今日は悩む余地は無いよな」
夏の暑い時とか冬の寒い時は何を着るかが決定的な要素となるが、この時期は暑くても寒くても選択の余地は無く、半袖Tシャツしかない。
(支部長)「と言いながら、いつもの大阪マラソンのシャツじゃないね」
(幹事長)「なんとなく寒そうだから厚目のTシャツにしました」
などと言いながら窓を開けると、おや?意外に寒い。風が強い。まさか、もう雨は降らないと思うけど、長袖にした方が良かったか?ヤイさんは長袖のアンダーウェアの上に半袖シャツを着ている。國宗選手とD木谷さんはアームウォーマーを付けている。さらに支部長も含めみんなタイツを履いている。ううむ。みんな万全の態勢だ。ま、走り始めたら暖かくなる事を期待しよう。
参加賞をもらう受付は9時までとなっていたので、会場には9時前に着いた。フルマラソンのスタートは9時なので、フルマラソンの参加者は既にスタンバイしている。スターターは間寛平だ。寛平ちゃんは高知の出身なので、高知のマラソン大会にはよく来る。16年前に出た宿毛篠山マラソン大会にも来ていた。寛平ちゃんは、わざとかどうか分からないが、大半のランナーがスタートしてしまった後からピストルを鳴らしていた。
参加賞はTシャツのほか、雲の上のホテルの温泉券が付いていた。マラソンの後に温泉に入れるのは嬉しい限りだ。ただし、急がなければ大混雑するだろう。ほかにも檮原町内で使える200円の商品券が付いていた。
外にいても寒いので、いったん民宿に帰ってTシャツを置き、ギリギリになって会場へ出直した。
なんとなく気合いが入っていない雰囲気を漂わせる参加メンバー
(別の場所に泊まったD木谷さんや小松原選手は不在)
スタート地点の混雑の中で、別の宿に泊まったD木谷さんとなんとか合流できたのは、出発直前だった。そして、最近いつもそうだけど、何の緊張感も無いままスタートとなった。
フルマラソンに比べれば楽とは言え、獲得標高が400mもあるのだから、最初から不用意に飛ばしすぎてはいけない。どんなレースでも序盤のオーバーペースは惨敗の基になるので要注意だが、今日は特に序盤は気をつけなければならない。コース図を見ると、スタート地点と折り返し点の標高差は100mちょっとだ。なのに獲得標高が400mもあるって事は、結構アップダウンがあるって事だけど、どういうコースになっているのか予備知識が無いから不安だ。おまけに、このレースは距離表示が1kmごとには無いらしい。コースを知らない初めてのレースで距離も分からないってのも不安だ。
取りあえずメンバーと一緒に走っていく。レース前には時折強い風が吹いたりして寒かったし、走りにくいんじゃないかと不安もあったけど、走り始めると風は弱くなり、ちょうど良い感じ。曇っているし弱い風もあるし、全然暑くなく、ちょうど良い具合だ。
1kmほど走った辺りから上り坂が現れるが、大した斜度ではない。しばらく行くと2km地点の表示があったので、時計を見ると12分を越えている。つまり1km6分を越えている。つまり、いきなり、めっちゃスローペースだ。厳しい坂が現れるのに備えて序盤は抑えて走るつもりではいるけど、まだ大した坂でもないのに、いきなりこんなスローペースでは2時間切りはあり得ない。いくらなんでも抑え過ぎだ。て事で気合いを入れたんだけど、そこから坂がとっても急になり、ペースを上げるどころではなくなった。ただし、急な坂が1kmほど続いてピークを迎えた後はトンネルに入り、フラットになる。さらにトンネルを出ると、今度は下りになって一気にペースを上げられた。さらに少し進むと再びトンネルがあり、今度のトンネルは下り坂だ。トンネルの中は暗く、一瞬、何も見えない真っ暗闇となり、他のランナーとぶつかったりした。
急な下りのトンネルを出ると最初のエイドステーションがある。水やスポーツドリンクのほか、なんとコーラがあった。
(D木谷)「コーラは良いですねえ」
(幹事長)「カロリーを補給できますね」
その直後に4km地点の距離表示があり、時計を見ると、この2kmはほぼ1km6分のペースだ。ちょっとはマシになったが、これじゃあ2時間は切れない。幸い、下り坂はますます斜度が大きくなり、ガンガン飛ぶように走れる。
だが、下り坂が続くのは嬉しいかと言えば、実は嬉しくない。なぜなら、下り坂があるって事は、また上りがあるって事だからだ。スタート地点と折り返し点との標高差は100mちょっとしかないから、さっきのピークでほぼ最高点に達してしまい、後はほとんど上り坂は無いんじゃないかと期待していたけど、こんなに下っていたら、また上らなければならない。
(D木谷)「どんどん下りますねえ」
(幹事長)「ちょっと下り過ぎですねえ。せっかく上ったのに台無しですねえ」
ここで下りに強いピッグが少し先行する。
得意の下り坂でぶっちぎるピッグ
さらに下りはガンガン続き、スタート地点よりさらに下がったんじゃないかと思われた頃、ようやくフラットになる。こんな前半できつい下り坂があるって事は、逆に言えば、小松原選手が言ってた通り、帰りは終盤に厳しい上り坂があるって事だ。これは要注意だ。
しばらく行くと5km地点の表示があり、さすがにこの1kmは5分ちょっとで走れた。このままのペースで行ければ2時間も切れるだろう。
なーんて思ったら、そこからジワジワと上り坂が始まる。そら当然だわな。大した斜度ではないけど、いったん思いっきり下ってしまったので、なんとなくペースが乱れてしまい、大幅にペースダウンしてしまう。これはまずいって気合いを入れ直し、ちょっと前を走るピッグを抜いた。ところがD木谷さんは、さらにペースを上げ、少しずつ前方に離れていく。自然体でついて行くには少しペースが速い。なんとなく力が入らない、と言うか、力がみなぎらない。昨晩、ちょっと飲み過ぎたせいだろうか。無理してでも、ここで頑張って着いていくべきかどうかが悩みどころだが、まだ前半だし、無理は良くないと思って自制する。
余裕で引き離しにかかるウルトラマラソンマンD木谷さん
この辺りから少し雨が降ってきた。雨と言っても本当に細かな小雨で、どうって事はないんだけど、だんだん大降りになってくるのは嫌だ。雨なんて降らないと思ってたから帽子も被ってないし。でも、幸い、しばらくしたら雨は止んだ。
ここで2つ目のエイドステーションがあったが、雨が降ったり止んだりで喉も渇いてないので、パスする。
次の距離表示は7.5km地点なんていう中途半端なところにあったが、時計を見ると、驚くべき遅さになっていた。そこまでペースダウンしている自覚は無いんだけど、とんでもない遅さだ。この時点で距離表示に疑問が生じ始めた。
その後もダラダラと緩い上り坂が続くが、大した斜度ではない。いつになったら厳しい坂が現れるんだろうって不安を感じながら走り続けると、恐らく8km地点辺りで折り返してきたトップランナーとすれ違った。しばらくすると2位のランナーもすれ違ったが、トップとはかなりの差が付いている。その後も続々とすれ違い始める。
しばらく行くと3つ目のエイドステーションがあったが、これもパスすると、間もなくフルマラソンのコースとの分岐点になる。フルマラソンは、そのまま愛媛県との県境まで上るんだけど、ハーフマラソンのコースは横道に逸れる。いよいよ、ここからが本格的な厳しい上り坂になるのかと思ったけど、相変わらず緩やかな上り坂が続く。少し行くと10km地点の距離表示があり、時計を見ると、なぜかあり得ないほどペースが上がっている。同じような緩い坂がダラダラ続いてきたので、そんなにペースが上下しているとは思えないから、やはり距離表示に問題があるんじゃないだろうか。上り坂を10km走ったところで1時間は切っているから、後半の下り坂を頑張れば、21kmで2時間を切るのは十分可能な気がする。
横道へ逸れた先は、折り返しじゃなくて、ぐるっと一方通行の周回コースを回って帰ってくるようなコースになっていた。前のランナーや後続ランナーとすれ違わないので、どれだけ離れているか距離が分かりにくい。先行するD木谷さんの姿はどんどん遠くなって、簡単には追いつけそうにない。後ろを振り返ると、なんとなくピッグの姿が見えるような気がする。思ったより離れていない。こんなチンタラしたペースでダラダラ走っていたら、すぐに追い付かれるかもしれない。さすがにちょっと焦って気合いが入る。
折り返しの周回コースを走り終わった時点で前半の上り坂区間は終わったはずだが、結局、最後まで急な上り坂は現れなかった。てっきり、坂はだんだんきつくなり、折り返し辺りが一番きついと思っていたのに、一番急な坂はスタート直後の2〜3km辺りだった訳で、その後は、最後まで緩い上り坂が続いただけだ。思っていたのと違う。後から調べてみると、このコースの最高点は序盤の上りの後のピークで、そこに比べたら折り返し辺りは少し低くなっているのだ。急な上り坂に備えてペースを抑えて力を温存してたつもりだったんだけど、それは失敗だったかも。前半から、もっと飛ばしていた方が良かったかも。なんとなくアテがはずれて戸惑いが出た。
後半は緩いながらも下り坂になったはずだし、気合いを入れてペースを上げたつもりだったんだけど、次の距離表示の12.5km地点で時計を見ると、またまたとんでもない遅いペースになっていた。どう考えてもあり得ないから距離表示は信用できないんだけど、これじゃあ2時間を切れないのも間違いない。まだ足はそんなに疲れてないからペースアップを心がけようとするんだけど、なんとなく力が入らない。やっぱり前夜の酒のせいか。
その後もダラダラと緩い下り坂が続く。再び小雨が降ってきて、なんとなくだんだん雨粒が大きくなる。大きくなったと言っても、まだまだ小雨だが、本降りになるのが不安。それに、上りの時は頑張って走るので汗もかくけど、下りになると汗もかかないし、暑くないどころか、ちょっと肌寒くなってきた。
なんとなく気分が少し暗くなってきたところで次の15km地点の距離表示があった。この2.5kmのペースは再び妙に速くなっていた。どう考えてもペースはそんなに変わってないと思うのに、タイムがこんなに悪くなったり良くなったりするのは、絶対に距離表示がおかしいと確信した。なので、これから後の下り坂を頑張れば2時間は切れる可能性は残っている。
なーんて思いながら緊張感も無くダラダラ走っていると、ヤイさんがいきなり後ろから声を掛けてきた。
(ヤイ)「やっと追い付きましたよ。終盤の上り坂に備えてペースを抑えてるんですか?」
(幹事長)「ぎょぎょぎょ!いつの間に?」
いきなり出現した超人ヤイさん
ピッグには追い付かれる可能性があるとは思っていたけど、伏兵ヤイさんがいきなり登場するとは思わなかった。確かに、序盤の急な下りが、逆に終盤には急な上りになって再登場するので、それまでに全力を使い果たすのはまずいとは思っていたけど、だからと言って、ことさらペースを抑えていたつもりはなかった。
(幹事長)「ピッグはどうしました?」
(ヤイ)「途中で抜きました」
(幹事長)「國宗選手や支部長は?」
(ヤイ)「支部長は後ろから来てますけど、國宗選手は途中で見失いました」
ううむ。國宗選手もその辺でこちらを伺っているかもしれない。この辺りから距離表示が1kmごとになってきて残り5km地点の距離表示が現れたが、この1kmのタイムは確かに下り坂とは思えないほど遅くなっていた。これはちょっとまずいと思い、気合いを入れてペースアップする。結局、今日はここまで、あんまり全力を出していなかったので、気合いさえ入ればまだまだ力は残っていたようで、次の残り4km地点の距離表示で時計を見たら、1km5分を切るペースに上げられていた。これでヤイさんを少し引き離した。
ヤイさんの亡霊から必死で逃げる幹事長
雨も上がって闘志も沸いてきたところで、いよいよ急な上り坂が始まる。このコースの最大の急坂だ。ここで頑張らないと再びヤイさんに追い付かれてしまう。振り返る事はしないが、すぐ後ろから迫ってきているようで怖い。終盤の厳しい坂だから、ここで力尽きて歩き始めるランナーも多いが、歩く訳にはいかない。本日、初めて必死で頑張る。下った時に思ったが、この坂は長い。上りになると、よけいに長く感じる。しかも途中から真っ暗のトンネルに入る。かなりくじけそうになるシチュエーションだが、ヤイさんに抜かれる恐怖のおかげで、なんとか頑張れた。
長いトンネルを抜けると、ようやく厳しい上り坂が終わり、残り3km地点の距離表示が現れる。ここで時計を見てびっくり。あり得ないほど遅い。さっきの1kmが5分を切っていたのに、この1kmは8分近くかかっている。そりゃ上り坂だからペースは落ちるだろうけど、歩いている訳でもないし、いくらなんでもそこまで遅くはないだろう。明らかにおかしい。ちょうどトンネルを出たところに距離表示が立っていたので、たぶん、本当の残り3km地点はトンネルの中だけど、トンネルの中では見えないので出口に設置したものと思われる。
だと思うんだけど、少なくとも、この時点で2時間切りは不可能となる。いくらなんでも残り3kmで挽回できるタイムではない。
とは言え、後ろからはヤイさんが迫ってきているはずだし、できるだけ良いタイム出したい気持ちは変わらない。ここで目標を「同じ山岳マラソンである汗見川マラソンの今年のタイムを上回る」に切り替える。汗見川マラソンは、やはり前半はずっと上りで後半が下りだった。スタート地点と折り返し点との標高差は脱藩マラソンよりずっと大きいが、途中のアップダウンが無い一本調子の坂なので、獲得標高は脱藩マラソンよりずっと少ない。なので、コースとしては脱藩マラソンの方が厳しいけど、今年の汗見川マラソンは猛暑のレースだったが、今日は涼しいので、総合的に見てどっちが走りやすいかは似たようなものだ。
最後の上り坂でかなり力を使い果たしたような気もするけど、残り3kmはずっと下り坂なので、重力に任せて思いっきり転げ落ちていく。どうやらヤイさんは着いてきていないようだが、油断はできない。残り2km地点の距離表示で時計を見ると、この1kmは本日の区間ベストタイムだ。ただし、さっきの距離表示は場所がおかしくて区間が長かったと思うので、この区間は距離が短いはずだ。なのでタイムは良くて当たり前。ただ、次の残り1km地点の距離表示で見たタイムも同じようなハイペースになっていて、ペースアップできているのは間違いないようだ。
そして最後の1kmも猛然とダッシュをして、ハイペースのままフィニッシュに持ち込もうとしてゴールを見て愕然。なんと、最後の最後で再び急な上り坂があるではないか。ものすごく短い坂だけど、ゴール直前に急な上り坂があるなんて、あまりと言えばあまりの仕打ち。一気にペースをダウンしてゴール。結局、2時間は切れなかった。今年の汗見川マラソンよりタイムが良かったのだけが救いだ。
終盤に厳しい坂があって力を使い果たしたような気になっていたが、それまでが全力を出してなかったため、ゴールしても余力が残っていて、なんとなく不完全燃焼気味だ。足も大して疲れていないし、痛くもない。やはり初めてのコースはペース配分がうまくいかず、全力を出し切るのが難しい。
ゴールすると既にゴールしていたD木谷さんが迎えてくれた。D木谷さんは余裕で2時間を切っていた。さすがはウルトラマラソンマンだ。
ヤイさんは、その後、どうなったかと思って待っていると、僅か1分差で帰ってきた。危ない危ない。途中で力を抜いたら追い付かれるところだった。
(幹事長)「全然ランニングの練習してないのに、毎日20kmのウォーキングの成果ですねえ」
(支部長)「肉離れしてたとこが不安だったから、前半はペースを抑えてましたけど、痛みが出なかったので後半はペースを上げたんですよ」
さらに1分違いでピッグが、そのまた1分違いで國宗選手も帰ってきた。
両手を挙げて降参しながらゴールする國宗選手
間もなく支部長も帰ってきたから、今日はみんな、あんまり差が付かなかった。
(幹事長)「意外に速いやん。最後の厳しい坂は歩かなかったん?」
(支部長)「あの坂も全然、歩かなかったで。今日は久しぶりに“完走”したで」
支部長が一歩も歩かずに“完走”するのは久しぶりというか珍しいことだ。しかも、最後の急坂では間違いなく歩くと思っていたのに“完走”したなんて。意外にレフコ・トライアスロンは良いトレーニングになっているのかも。
最後の坂でも歩かず“完走”した支部長
(支部長)「このコース、ちょっと距離がおかしいんと違うかなあ」
(幹事長)「距離表示が明らかにおかしいよなあ」
(支部長)「いや、距離そのものが長いと思う」
支部長は最新式の時計をしていて、GPSにより走った距離が正確に計測できると言うのだ。それによると今日のコースはハーフマラソンの21.0975kmより500mくらい長いのではないか、というのだ。実は私も、距離表示疑惑だけでなく、長いのか短いのは別にして、本当に正確な距離になっているのかどうか疑問はあった。なぜかと言えば、折り返し点で引き返してくるコースなら、折り返し点を設置する場所によって正確に距離を調整できるけど、このコースは折り返しが一方通行の周回コースになっていたから、正確な距離調整ができないはずなのだ。またフルマラソンの部も、愛媛県との県境を1歩だけ跨いで帰ってくるというコース設定だから、こちらも正確なのかどうか疑念が生じる。ま、しかし、どっちにしても良いタイムではなかったから、細かいことを言っても仕方ない。
一方、フルマラソンの部に出た小松原選手は3時間31分などと言う脅威のスピードで帰ってきた。フラットなコースでも私らには100%不可能なタイムだ。フルマラソンのベストタイムが3時間8分の小松原選手だからこそ達成できるタイムだ。
(幹事長)「どういう展開やったん?」
(小松原)「最初からずうっと1km5分のペースを守って行きました」
1km5分って言ったら、私らならハーフマラソンの丸亀マラソンの序盤のペースだ。あんなペースで獲得標高が850mも越えるフルマラソンを走るなんて、脅威のペースだ。しかも折り返し点直前の400mは岩が転がる山道で、走ることは不可能だし。すごいなあ。
レースが終わって身体も冷え始めたので、タダで配ってくれている豚汁を頂く。檮原高校の生徒が作って配ってくれている。暖かくて美味しかったので、2杯も貰ってしまった。
弁当ももらったが、早く温泉に行かなければ混雑するだろうから、弁当を持って温泉に繰り出す。
恐れていた通り、温泉は駐車場が満杯状態で、停めるところに苦労した。なんとか車を停めてから温泉に入ったら、なんと温泉も満杯で入場制限がかかっていて、しばらく列に並んで待たされた。そらそうやろなあ。それでも、そんなに長時間は待つことなく温泉に入り、心ゆくまで露天風呂に浮かんで足を揉みほぐした。
温泉から出て、休憩コーナーでお弁当を食べ、反省会をする。
(幹事長)「恐れていたほどの坂ではなかったよなあ」
(支部長)「ほんとほんと。全然歩かなかったし、大したコースではなかったな。10kmの部を勧めたH本さんは私らを見くびり過ぎやな」
(ヤイ)「それじゃあ、来年はフルマラソンに出ましょう!」
(D木谷)「そうですね!フルマラソンに出ましょうか」
(幹事長)「え、そ、それは、ちょっと、どうかと思うけど・・・」
(支部長)「ふ、フルは、む、無理でしょう・・・?」
いくらハーフマラソンのコースが思ったより楽だったと言っても、フルマラソンのコースは絶対に超厳しいと思う。ウルトラマラソンマンとなったD木谷さんはともかく、ヤイさんも妙に強気だ。
個人的な反省点としては、宿泊すると、どうしても前夜は宴会となり、夜更かしして深酒してしまうので、早朝に出る日帰りツアーの方が良いのではないだろうか。高松からだと遠いんだけど、移動時間は9月の四国のてっぺん酸欠マラソンと同じくらいだったし、しかも酸欠マラソンのようなクネクネの急な山道じゃなくてゆったりした道だったので、運転はむしろ楽だ。なので、来年は日帰りを検討すべきかも。
さて、次のレースは、みんなで出るのは11月末の瀬戸内海タートルマラソンだが、個人的には競争率4倍超の狭き門をくぐり抜けた神戸マラソンが11月中旬にある。
しかし、その前に、去年から漠然と計画していた淡路島一周サイクリングを決行せねばならない。
(幹事長)「参加者は今日のメンバーじゃ!皆の衆よろしいか?」
(支部長)「おう!」
(ヤイ)「おう!」
(國宗)「おう!」
(D木谷)「おう!」
(小松原)「おう!」
(ピッグ)「え?」
〜おしまい〜
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